小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

先生仲間と、やっと夏らしくバーベキュー

2015-07-29 22:09:41 | 雑談
夏休みに入っても、校内の会議や研修、校外の研修や出張、それぞれの宿題…
なかなか忙しい日が続いていましたが、やっとみんなの仕事が一段落し、
「楽しいことやろうぜ♪」
ということで、
「卓球大会&バーベキュー!」
をやっちゃいました~

職員室で参加を募ったところ、10人を越す先生たちが参加してくれました。
中には家族同伴、恋人同伴もあり、にぎやかでした。

卓球大会ではひたすらシングルス。
総当戦。
この猛暑の体育館でかなり厳しいものが、危ないものがありましたが。笑
まあ先生たちはみんな元気。
私は惜しくも二位でした。
この卓球大会には「恋人」ということで一人別の学校から参加してくれた先生がいたのですが、その先生が
「この学校はいいですね。こんなことができるぐらい、先生たちの仲がよくて」
と言ってくれました。
確かにそうですね。
ちょっと呼び掛けただけでこんなに多くの人が休日に集まるわけですから。
うれしいものです。
今年4月に本校は半分以上の先生が入れ替わったこともありながら、もう夏休みにはみんな打ち解けています。

卓球が終わるとバーベキュー。
これは我が家にみんなを招待しました。
卓球で汗をいっぱい書いたあとだったので、ビールがめちゃくちゃうまかったです~
気持ちいい夏空の下、やっと感じた夏休みの解放感もあり、みんなお酒が進みました。
すると…
普段は言わないジョークを連発して笑ってばっかりの先生
あーだこーだと職場と同僚への愚痴がこぼれる先生
若手に対して熱い説教が始まる先生
それから逃れられない若手先生
そんな酔っぱらいをそっちのけで我が家の子どもと遊んでくれてる先生

いろいろといました。
私は家主なだけに、どこかしら
(おれが酔っぱらうわけにはいかん)
と、普段になく冷静に周りを見ていました。(それでも酔っぱらってましたが 笑)

ここでどんな様子でいようと、親しい仲間うちでのお酒の席です。
エブリシングOK.
そんなものです。
きっと、次の日に
「昨日はすみませんでした~」
って頭を下げる先生もいるんでしょうが、そんなのも笑い話です。

仕事中の連携や協力体制というのが重要なのは言うまでもないことですが、こういう仕事の外でのプライベートな時間につながる関係というのも、とても大事ですね。
こんな風に心を許した時間を共に過ごした者同士というのは、仕事上での立場や利害を抜きにした、本当の意味での協力関係ができるようになります。

例えば、ここにいたある先生が、今度仕事ででかい失敗をしてしまったときは、きっとここにいた他の多くの仲間がフォローに回ろうとするでしょう。
なぜかといえば
「仲良しだから」
仕事上だけでの付き合いでは、この「仲良し」にはなかなかなれません。

あまりに楽しかったので、この夏休み中に、もう第二回をする話が出ています。笑
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夏休みなのに先生たちの首を絞めている犯人は私

2015-07-22 21:19:50 | 教師力UPの攻略法
夏休み、入りましたね~
うれしいかぎりです。
でも、担任をしていたときほどの解放感はない気がします。
担任をしていたころは、終業式の日に
「さようなら!」
で、子どもたちを手放したときのあのスッキリ感がたまりませんでした。笑

さて、夏休みに入って初日の職員室。
先生たちも、多忙だった一学期を終えてゆっくりとした時間を持てるかと思いきや…

みんなパソコンに向かって忙しそうです。
うーん、せっかくの夏休み初日のうれしい日なのに、少し意外で、残念な気もしました。
教務主任の私としては、みんながどんな仕事に取り組んでいるのか気になるところです。
羽を伸ばしたいこの日に、みんなはせっせと何をやっているんだ!?

こそ~っとパソコンをのぞいたり、学年間している話に耳を傾けてみると…

先生たちが作っているのは
・授業時数一覧
・学力向上策の成果と課題
・次回職員会議資料
・1学期部会の反省の集約
・2学期分通知表の内容修正
・学校評価アンケート

…これって、全部、私が先生たちに課したものでした。
教務主任から出された宿題でした。
先生たちが夏休み初日にも関わらず忙しそうにしていた原因は、まぎれもなく、私でした。。。

確かにそうです。
私です。
1学期が終わるこの節目の時期に、してもらいたいことがたくさんあって、
「よろしくお願いします」
と伝えたところでした。

だから、それを先生たちがするのは当然のことなんですけど、なんですけど、夏休み初日にこんな姿を見てしまうと、複雑な気持ちになりました。
正直、申し訳なくも思いましたね~
いや、どれも必要な仕事なので、申し訳なく思う必要はないのでしょうが、それにしても… です。

どの仕事も、締め切りにはずいぶんゆとりを持たせているので、急がなくてはいけないものではないのですが、真面目な先生たちなんですね。
早め早めに取りかかるのがうちの先生たちです。
ある人が取りかかると、横にいる人も刺激を受けて、その横も… という感じで、職員室中が仕事にのめり込む雰囲気が出来上がります。
これは本校のいいところだと思いますが、それにしても夏休み…

自分の教務主任という立場の辛さを感じる一場面になりました。
先生たちの仕事がしやすい環境をつくる役目なのに、同時に先生たちを仕事でがんじがらめにしてしまう自分。
必要な仕事ですが、なんとかならんものかと自問してしまいます。

まぁ、でも、先生たちはこれを済ませてしまえば、今度こそ本当の羽を伸ばせる夏休みに入れるわけでしょう。
同時に、今度は私にそれらを集約・集計する大変な作業が回ってくるわけです。笑
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ICTは子どもの学力を… 落とす?

2015-07-15 22:14:20 | 授業中の攻略法
以前にも増して、私は授業でICTを多く活用するようになりました。
本校の今年の研究テーマがICTに関連しているということもあり、おかげさまで様々な機器の充実も図られるようになり、より活用しやすい環境になりました。
うれしいことです。

最近は、いろんな所に出向いてICT先行研究校の授業を見たり、大学の先生の講話を聞いたりする機会も増えました。
ICTが授業の質を高める優れたツールとして、その利用が広がっています。

以前にこのブログでも紹介しましたが、私は児童用タブレットPCを活用した授業も実践しています。
子どもたち一人一人にタブレットPCを持たせ、教師の大型電子黒板と連動させる授業です。
地元メディアの取材を受けたりもしましたが、今度、またそのスタイルの授業を公開する予定もあります。
ということで、この夏休みもICTの研究に先生たちと熱を入れることになりそうです。

つい先日、実家の母と話すことがありました。
母も教員です。
私は自分がしているICT活用の授業の話をちょこっとだけしました。
「今どき、いろいろと便利になってるよ」
すると、母は以外な反応でした。
「便利すぎるのもどうかと思うよ」

母が言うには
便利になる→子どもが努力しなくなる
ということだと。

うーん
一方的に、「ICTは子どもの学習を助ける」という側面しか見ずに研究を進めてきた私には、なかなか強烈な意見でした。

子どもの関心を高める
課題をつかみやすくする
理解を深める
他者との交流を促す
発表を手助けする

そういった効果をもたらすのがICTであり、適材適所で積極的に利用していくべきものだと、そうとらえていました。

しかし、母のシンプルなその発想は、たしかに一理あると思いました。
上に上げたような効果を、確かにICTはもたらすとは思いますが、逆を言えば、理解を深めたり他者と交流したりするという、それ自体の努力を子どもがしなくなる、そうも言えるのかもしれないと。
私たちが、よかれと思って行っている手立ては、結局は、子どもの力を落としている、そういうことにつながるのかと…

とまで、一瞬思いました。
母が、あまりに意外なことを言うので、私もはっとして、極端なことを考えてしまいました。
しかし「極端すぎる」
思い直しました。
うっかり、ICTを悪役に回すところでしたが、そんなことはないと。
やっぱり、ICTはICTで優れたツールであることは、相変わらず間違いないはずです。

ただ、母の発想も大事だとは思わされました。
肝心なのは
ICTに頼る授業にならないこと。
言い換えれば、その授業はICTがなければ成り立たない、そんな授業を創らないということだと思います。
だって、ICTは一つのツールにすぎないのだから。
学習内容と、学習者の子どもをつなぐ一つのツールにすぎず、それがなくても、主役である子どもたちの学びは保証されるべき。
授業とはそんなものだと思います。

授業者である先生は、ICTを使って満足することなく、やっぱり子どもの姿を見て満足するべきです。
子どもに力がついたかどうか。
それのみが授業の良し悪しを量る唯一の基準であることを忘れてはいけませんね。
そこをしっかりととらえていれば、ICTで便利な授業になったからといって、うちの母が指摘したような
「子どもが努力しなくなる」
ということにはならないはずです。

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算数の授業におけるオープンなアプローチ

2015-07-13 16:04:07 | 授業中の攻略法
一学期のゴールが見えてきましたね。
担任の先生たちは通知表など、学期末事務で大忙しです。
これを乗り越えたら、晴れの夏休みです。

さて
私が受け持つ算数の授業も一学期終了の目処が立ってきました。
担任の先生たちが学期末事務に追われている一方で、私はそれがないので、算数の授業のことを考えています。

算数の少人数指導として2年目の今年は、いくらか授業の転換を試みてきました。
私の中で、キーワードとしているのは
「活用」
「協働」
といったものです。
これまで以上に子どもたちが能動的に取り組んでいく算数の授業をつくるために、あれこれ試しています。

今後、大事になってくるのは
「何を教えるか」
と同時に
「どう教えるか」
「どう学ばせるか」
というところになってきます。

授業で取り扱う問題や、その答え、そしてそれにたどり着くまでの道筋が限定的・固定的なものばかりでは、学びの幅は広がりません。
「どう学ばせるか」
ここにメスを入れることが難しくなります。
授業のスタイルとしてはワンパターンな流れのものになり、そこに子どもの「能動的」な姿は期待できなくなります。

そこで、そういった授業からの脱却をめざすアプローチが出てきます。
限定的・固定的なものではなく、「オープン」なアプローチです。
じゃあ、授業の何をオープンにするのか。
そこで3つ、出てきます。

1 オープンエンドアプローチ
これは、「エンド」いわゆる「答え」がオープンになっていて、多様な答えが存在する問題を取り扱うというものです。
授業の中で、子どもたちがそれぞれに自分なりの答えを持ったとき、たった一つの「正解」があるわけでないので、どの子の答えにも価値が生まれ、子どもたちは他者が生み出した価値に気付き、また高めあっていくことができるものです。
おもしろい授業になりそうですが、私が思うに、なかなか算数では難しいアプローチなのかなと。
算数はどうしても答えはある一定のところにたどりつくものです。
このアプローチが使えるのは国語や社会、道徳といってものかなと思います。

2 オープンプロセスアプローチ
これは、「プロセス」いわゆる答えにたどりつくまでの道筋がオープンになっているというものです。
ようするに、「答えを出すための方法が多様に存在する」そんな問題を取り扱います。
これは、ズバリ算数にもってこいですね。
三角形の面積を求めるのに何通りもやり方があるように、算数はここがおもしろい学習でもあります。
大事なことは、まず指導者が「プロセスをオープンにする」という認識をもつことでしょう。
その上で、じゃあどんなプロセスが存在しうるのか、押さえておくことです。
それなしに子ども任せの授業をしているようでは、本当の思考力の深まりはねらえないでしょう。
ということは深い深い教材研究が必要だということ。
算数の知識を深める必要があるということ。

3オープンプロブレムアプローチ
これは、何を問題にしてもよいというアプローチです。
授業には、問題を解決するだけでなく、新たな問題を見つけたり、自分たちで問題を作ったりすることがねらいとなる授業もあります。
そこに幅を持たせ、多様性を生み出すというものです。
なかなか現時点では頻繁には行われない授業だと思いますが、これができるようになると、また授業はおもしろくなるでしょうし、これができる子どもたちというのは、なかなかな力をつけていると見ることができそうです。
将来的にはこんな授業をたくさん展開し、より能動的な子どもの姿が見られるようにしていきたいものです。


以上3つのアプローチを整理してみました。
私も2学期以降、これらを意識した実践を試みていきたいと思います。
でもそうすると、結構教科書から離れた授業をやりたくなっちゃうんです…
1学期にもありましたが、あまりに離れすぎて、授業はおもしろかったけど、テストの点が取れなかったということが。笑


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久しぶりに本気で子どもを叱ったとき、心から情けなくなりました。

2015-07-07 21:40:02 | 「教師-子ども」関係の攻略法
私は、めっきり子どもを叱ることが少なくなりました。
少なくなったというより、正確にはほぼなくなったと言えます。
というのは、今は担任を離れて教務主任を務め、子どもと関わるのは高学年の算数の授業のみとなっているからです。

担任をしていたころは、当然子どもを怒鳴り散らしていました。笑
それが必要だったし、それが受け持つ子どもたちへの愛情でもありました。
だから、子どもを叱ることにも慣れていたし、そのノウハウも覚えつつあったし、精神的にも身体的にも叱る体力が備わっていました。

しかし現在、立場が変わり、以前とはいろんなことが私の中で変わってきています。

子どもを叱るということに関してもそうで、子どもを叱らなくなると、以前にもっていた叱ることに関する知恵やエネルギーがなくなっていることに気づかされました。

高学年の算数をしていて、子どもを叱らなくてはいけない場面はほぼありません。
とりあえず、私の授業に関しては。
子どもたちもある程度落ち着いていますし、私も授業の中で子どもが乱れることがないよういろいろと工夫をしているつもりです。

しかし、珍しく、それが崩れる場面がありました。

ある授業の中で、ある子がすごく悪い態度をとったのです。
私の前で、私がする算数の授業の中で、そんな態度を見ることは今までになく、これは叱るべきだととっさに思いました。

そこから、私は授業を中断して、大きな声を出してその子を叱り始めました。
久しぶりの感触でした。

…が、どうもうまくいきません。
「うまくいかない」というのは、叱りながら、自分がどう叱っていいのか分からないのです。
その子への怒りは十分にあるのですが、叱り方が分かりません。
だから、ただひたすら、あまり意味もない言葉を、深みもない言葉を、怒りに任せたまま、その子にぶつけ続けていました。

なんとも、下手で、醜い叱り方だったように思います。
叱るというより、ただ単に私は「キレていた」だけだったようにすら思えます。
センスの欠片もなく、一番やってはいけない叱り方だったはずです。

その子は涙を流しながら震えていました。
かわいそうに。
上手な叱り方で反省して心を入れ換えられたらよかったのに、私の下手な叱り方で、ただただ恐怖を感じ、苦い思い出を作っただけだったでしょう。

授業が終わり、職員室にもどり、ぐったりと疲れていました。
叱ることの体力なんて、前はたくさんあったはずなのに、もうすっかりなくなっていました。
そして、あまりに下手な叱り方をした自分が情けなくなり、気を落としました。

担任を離れたがゆえのことでしょうが、それにしても、ここまで子どもを叱ることもない授業に甘えてきた自分が明らかになり、それが腹立たしくもなりました。

子どもと本気で向き合うことをしなくなった自分の立場が寂しくもなりました。

初心忘れるべからず。
立場が変わると、成長できる面もありますが、大事なことを忘れてしまうという一面もあるんだということ。
いつも見失わないようにしていこうと思います。


















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