小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

ドッジボールが顔に当たったら!?

2019-02-22 16:42:26 | 学級生活の攻略法
バシッ
「いたっ!」
ドッジボールをしていて,太郎くんが投げたボールが花子さんの顔に当たってしまいました。
花子さんは,顔を押さえて泣いています。
この後,どう対処するか。

①花子さんの顔に大きな怪我がないかすぐに確認する。
 →もし怪我があれば,保健室へ。
 →怪我がなくても,赤く腫れていたりする場合は,水道へ連れて行き冷やす。

というこの花子さんのための対処は,一緒にいる先生は必ずといって誰でもするでしょう。

では,「当ててしまった太郎くん」への対処はどうでしょう。

ドッジボールをしている中で起きてしまったことで,太郎くんも故意に当てたわけではないので,対処の仕方に少し悩むところです。
わざとじゃないから叱るわけにもいかない。
でも,友だちを痛い目にあわせているのだから,スルーするわけにもいかない。

私は毎日のように休み時間にも子どもたちとドッジボールをしているので,このケースは頻繁に経験しています。
こんなとき,わたしはこうしています。

②故意ではないにしても,太郎くんはコートから出し,花子さんに謝らせる。
③花子さんがコートに戻れるまで,太郎くんも花子さんに付き添わせる。
 (保健室に行くにしろ,水道に行くにしろ,コートの外で泣いているにしろ)

この③がポイントかなと思っています。
太郎くんが先生に厳しく叱られたり,誰かに責められたりすることはありませんが,でも花子さんと共に行動をさせ,花子さんと同じだけドッジボールの時間を奪います。
それが,当ててしまった子の,責任の取り方として相応なものかなと。
一緒にいるうちに,「当てた」「当てられた」で関係が悪化してしまった二人の仲も,互いに寄り添えるようになる,それもねらいです。
私が一貫してこうするので,自然とクラスとしてもそれがルールになっていて,私が不在の場合もそうするようになりました。

これはドッジボールに限らず,どんなスポーツをするにしろ,同じようにしています。

低俗な文化がはびこるクラスの特徴

2019-02-19 16:29:44 | 学級生活の攻略法
低俗な文化がはびこるクラスの教室環境の特徴をあげてみます。

・忘れ物グラフが掲示してある
・宿題忘れの子の名前が黒板に書かれている
・学級文庫に並ぶ本が,マンガだったり,学年に不相応な本ばかりだったりする
・雑巾がきれいに並んでいない
・子どもの作品にホコリがかぶっている
・黒板の隅に,先生が授業で使うカードが乱雑に張られている
・教室の床が,ご飯粒や習字の墨で汚れまくっている
・棚の使い方がめちゃくちゃで,明らかにルールが見られない
・金曜日の下校後にも,上靴や給食着で残っているものがある
・何年前のものか分からないくらい古い掲示物や作品が未だに場所をとっている
・先生の朱書きが入らず,誤字脱字だらけの子どもの作文が平気で掲示してある

そして
・先生の机の上が散らかっている

詳しい説明はしませんが,私が色々なクラスを見てきた中で,経験として感じられるところです。
もちろん,私もこんな教室にしてしまっていた頃もありましたし,今でも気を抜くとどれかは当てはまってしまうこともあり,慌てて軌道修正することもあります。

クラスというのは,そこに子どもがいなくても,先生がいなくても,教室環境を見るだけで,どれほどの文化で過ごしているのかはある程度分かるような気がします。

担任は1人で仕事をする時代ではなくなったと

2019-02-07 20:33:13 | 教師の仕事術の攻略法
小学校の学級経営は,担任の先生が担う。
担任の先生が一人で。
小学校の授業は,担任の先生が受け持つ。
ほとんどの教科を。

というのが基本的な形なのですが,これが最近は,とことんそうではなってきたなと感じています。
要するに,担任の先生が一人で,独力で仕事をするというスタイルがどんどんなくなってきたということです。
他の職員と複数で仕事に当たることが増えてきた,そういう協同的な仕事の仕方というのが最近の実態です。

その要因の一つが,やはり特別支援体制の充実です。
その対象となる子がいる場合,担任以外にサポートに当たってくれる職員が共に授業などをすることになります。
それは支援学級の担任であったり,支援員であったり,支援アドバイザーであったり。
なので,対象となる子が多ければ多いほど,共に仕事をする職員の数も増えるわけで,今まさしくそういう現場が増えているように感じます。

もう一つの要因は,学力向上をめざす観点で配置される職員です。
理科などを教える専科や,指導法改善としての加配職員がこれにあたります。
担任以外の職員と,子どもを分けて少人数指導したり,TTで指導したりする授業も以前より増えてきました。

以前は,何でも担任一人でやることが多かったので,逆に担任の授業に別の職員が入るということがあると,それは珍しいことで,私の場合,そういう授業にやりにくさを感じていたように思います。
「全部自分でやりたい」という傲慢さ。
「人に自分の授業を見られるのは恥ずかしい」というわがまま。
こういう情けないものが根っこにあったはずです。

しかし時代が変わり,そんなものは通用しなくなりました。
そんなものを持っていては仕事にならなくなりました。
小学校の担任の仕事も,誰かと連動してしていく時代になりました。
だから,これから先,担任に必要な資質は
「連携力」「組織力」
そういうったものになってくると思います。
そういう新たな資質を身に付ける新しい担任こそが,これからの学級をよりよいものにしていけるだろうと感じます。

子どもが先生に「教える」という発想

2019-01-30 13:49:53 | 「教師-子ども」関係の攻略法
先生が子どもたちに「教える」

子どもたちが先生に「教わる」

というのが当たり前の形ですが,これを逆転させてみます。

子どもたちが先生に「教える」

先生が子どもたちに「教わる」

これは双方にとってとても新鮮な感じがするし,特に子どもにとっては「先生にぼくが教えるなんて,痛快!」みたいな感じで意欲的になれます。

え?じゃあ子どもたちが何を先生に教えるの?ってことになりますが,以前に実践していた先生は
「先生に,四字熟語を教えてください。」
としていました。
子どもたちは家で四字熟語とその意味を調べてきて,次の日に学校で先生に教えるという形でした。
全員必ず,というわけではなく
「もしよければ」
としていました。
聞いてみると,「もしよければ」でも,クラスのうちの多くの子が毎日教えにきていたそうです。
「先生!今日は『有言実行』です!これは,言ったことは必ずやるって意味ですよ!」
こんな感じでしょうね。

この取組は,子どもをやる気にさせて,その子の学校生活の活性化を図る目的がありますが,ここにもう一つねらいがあると思います。
それは,まぎれもなく「教えたことは,その子自身が習得する」ことです。

学習の効率性を言うときに,よく言われるのが
「最もよく習得できる学習形態は,学習者が他者に教えること」
ということです。
教えれるということは,そのことを十分に理解しているということだし,それを他者にも分かりやすく伝えるということが,またその定着を強めます。

「先生にぜひ教えてね。」
この言葉には
(そしたら,きみがそれを覚えるからね)
というのがくっつくのですね。

だから,教える内容は「アニメのキャラクター」とか「好きなアイドル」ではなくて,「四字熟語」とか「歴史上の人物」とか,ぜひ知識として蓄えてほしいものにするのですね。

娘の担任から電話がありました

2019-01-25 16:39:54 | 保護者への攻略法
小学1年生の娘がかぜで学校を休んだ日の夕方,自宅に担任の先生から電話がありました。
偶然その電話を私が受けました。

「花子さんの具合はいかがですか?」
「お友だちが持っていったプリントはちゃんと届いていますか?」
「今日は生活科で大根を収穫したんですよ。」
「明日は来れるといいですね。お友だちが会いたがっています。」

私も学校では担任です。
クラスにお休みの子がいたら電話して伝えるお決まりのセリフ。
それを,初めて「親」という立場で受けました。

受けてみると,先生の一言一言が,こんなにも大切で,温かく感じるとは,知りませんでした。
かぜをひいている我が子のことが心配なので,それを気遣ってくれる先生の思いは,親として本当にありがたいものでした。
親として先生と一対一で話ができる機会というもの自体がそう多くあるものではないので,この特別な電話が貴重にも思えました。

幸い,子どものかぜはたいしたことなく,次の日には登校できました。
我が子は,うれしそうに
「担任の先生に手紙書いたんだ!」
と言いながら。

私も,担任として欠席の家庭へ電話をするときは,もっと心をこめようと思いました。
「お決まりのセリフ」ではあっても,その一言一言が相手にとっては大切なものであることを忘れずに。