小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

今年最後の授業は、予想外のグダグダで終了

2016-03-27 20:58:56 | 授業中の攻略法
6年生との最後の算数の授業。
私なりに綿密なプランを立てました。

まずは、子どもたちをうならせるほどの難問を出して夢中にさせて
次は真逆に1年生のプリントを配布して懐かしさと爆笑を誘い
そしてそこから卒業式への熱い思いに触れ
フィナーレは「数学的思考」と「今後の人生」を絡めながらはなむけのメッセージを送る

そんなプランでした。
どれも十分な準備をして臨みました。
私はこの学年の子たちとは低学年のときから接点があり、いよいよ迎える卒業に、ひときわ熱い思いがあります。
その分、この子たちとの最後の授業も感動的なものにしたいと思っていました。

そして最後の授業のスタート。
プラン通り、まずは超難問をズバッと出題。
「え~ なにこれ!?」
「やってみたい!やってみたい!」
予想通りの展開に。
なかなか力のある子たちなので、この手の問題はいつも大好きでした。
今回もかなり食いついてきました。

子どもたちは集中して解いていますが、次のプランもあるし、そう時間はかけられません。
「はいはい。じゃあそのくらいにしよう。答えは…」
と私が切り出すと、
「先生待って!」
「言わないでください!!」
と子どもたち。
「おぉ… じゃああと1分ね」

1分後に
「はい、そこまで!顔あげよう」
と言うのですが…
顔をあげる子は誰一人おらず。
「… じゃあヒント出すぞ!」
「だめ先生!」
「解けそうなんです!」

時計を見ると、予定していた時間よりはるかにオーバーしており、焦る私。
この難問は出だしのウォーミングアップのつもりで、この時間のメインはこのあとに準備しているのに!

すると、ある子が
「先生は解けるんですか?この問題」
と、たずねてきました。
「当たり前だろ。先生が出してんだから… あれ?」
パズルのような問題を出していたのですが、言われてやってみると、私も答えが分からず。笑
当然答えは確認してきたのですが、
「まぁ簡単でしょ」
となめていた部分があり、そこまで頭に入れずにいたので、実際にやってみると
「…。。。」
「あ!先生も解けてない!」
「うるさい。ちょっと待ってなさい。こうして… えーっと…」
「え~ 先生まじですか!」
「よし!じゃあ先生より先に解くぞ!」

ますますのめりこむ子どもたち。
に加えて私。笑

気が付けば授業の残り時間はあとわずか。
そしてついに

キーンコーンカーンコーン

終わってしまいました。笑
このチャイムに気付かず問題を解く子たちもいる中で、私も教卓で問題を解きながら、顔も上げずに
「… はい、終わりまーす。教室に戻れー …」
ため息をつきながらまばらに教室に戻る子どもたち。
相変わらず席を立つ気配もない子どもたち。

こうして、今年最後の私の授業は終わりました。笑

立てたプランのプの字も達成できないまま終了。
予定していた感動的なフィナーレなんて皆無でした。笑

パズルから我に返り
「いいのか、こんなグダグダな最後で…!」
と後悔しましたが、時すでに遅し。
もう終わっています。

仕方ない。
最後まで難問にのめりこめる子たちでよかった!
そう思うことにします。笑

卒業式練習 私の役目は嫌われ役

2016-03-18 22:03:29 | 「教師-子ども」関係の攻略法
6年生が卒業式練習に励んでいます。
6年担任が進めるのが基本ですが、本番も近くなり、私も教務主任としての立場から加わるようになりました。
その他、音楽指導の先生や放送担当の先生、教頭先生も加わるようになりました。
徐々に体育館で6年生を指導する先生の数が増えていきます。

先生が増えると、まず問題になるのが
「評価基準」
です。
指導内容はもちろん事前に共通理解しているのですが、それらに関して6年生の子たちがどれくらいできれば
「合格」
と見なすのか。
そこの基準がそろっていないと、指導がバラバラになってしまいます。
例えば
「声の大きさ」
6年生が名前を呼ばれて「はい」と返事をするのに、
「大きな声で」
という指導は共通しているのですが
「具体的にどれくらいの大きさ」
というのは明確になっていません。
というか、明確したくてもするのが難しいものです。
だから、返事を聞く先生の耳で判断するわけですが、ある先生が「十分」と思った大きさでも、ある先生は「まだまだ」と思うことはあり得ます。
声だけでなく、卒業式で重要となる動きや歌などについて、いちいち評価基準が必要になってくるものです。

そこをバシッとそろえるのは難しいのですが、私たちは基本的に6年生担任の基準を尊重するようにしています。
6年生のことを最もよく理解していて、卒業への思いをもっとも深くもっているのが担任ですから。

この前提をもとに、「指導者キャラの役割分担」
というものが見られるようになります。

複数の指導者がいるのに、みんな同じ「指導者キャラ」だと、子どもたちへの刺激が少なくなり、もったいないことになります。
数を生かして、それぞれがいろんなキャラを演じるようになります。

・子どもの側に寄り添う優しい先生
・常に厳しく声を張り上げる先生
・遠目に全体を見守る先生
・子どもを奮い立たせる言葉で励ます先生
・個別指導に徹底する先生

いろんな先生を演じます。
これは別に
「じゃあ~先生が~の役で」
なんて事前に打ち合わせをするわけじゃなく、自然と役割が決まります。
先生たちも長い付き合いの中で、だれがどんな役をすればハマるかはお互いに分かり合っているものです。
だから自然とできます。

今回の本校の卒業式練習で、私が何の役を演じているかというと
「鬼先生」
です。笑

は~
結構疲れます。笑
でも、なんとなくそれがハマりました。
嫌な役だし嫌われ役ですけど、いいんです。
必要だと思いますから。

おかげで、最近は私が体育館に現れただけで子どもたちは神妙な顔つきになります。

本番までもう少しです。
この嫌われ役を 全うします。

感動の「教育課程完成!」のはずが… あれ?

2016-03-15 21:42:43 | 雑談
11月ぐらいから編成作業をコツコツと進めてきた来年度の教育課程。
教務主任の私としては、当然かなりの時間と労力を費やしてきました。
来年度も検討事項が多く、それをクリアするために多方面に働きかけてきました。

その教育課程が、ついに今日完成しました!
やったー!
製本まで完全に終わり、立派な形となりました。
教務主任としては、一年の中でもトップに入るくらい感動の瞬間です。

完成した教育課程をしみじみと眺める私。
最初は1ページ1ページを大事に大事に開きました。
「お~ ついにできたんだな~ 教育課程ちゃん」

そして先生たちにも完成品を配布しました。
当然教育課程の完成に向けて、全職員で作業を分担してきました。
だから、感動は私だけのものではなく、全員で分かち合えるものです。
私は、じっくり分かち合おうと思って、わざわざ一人一人に手渡ししていきました。

「先生、ついにできましたよ」
「先生、ほら、完成しました」

しかし…
「あ、どーも」
「え?あ~ 教育課程」
「今度の表紙は青なんだ。へ~」

なんとも先生たちのリアクションがさびし~
教育課程の完成だというのに、まあ~ 冷めたものです。

「教育課程、私もってますけど。あ~ 来年の?」
「ありがとう、そこ置いててもらえる?」

うーん
今日はこんなはずでは。笑
感動的な一日になるはずだったのに。笑
完全に読み違えました。笑

まぁ、考えてみればそうですね。
私もこの立場でないころは、教育課程の完成に感動したことはなかったですね。
というか、教育課程自体が自分にとってそう重要なものではなかったですね。
教務主任になって初めて、この完成のためにこんなに苦労している人がいることを知りましたから。

は~
感動を分かち合うほどはありませんでしたが、完成は完成です。
中身もなかなかものが出来上がっているという自負もありますから、それでよし。
とにかく、私の教務主任としての最も重要な仕事が今年も無事終わりました。
残り少しの期間、最後の仕上げまでやり通して、今年を終えることができそうです。

自分の仕事ぶりが今年はどうだったかをじっくりと振り返る必要はありますが、それはもう少し落ち着いたころにとっておくとして。
4月からはどんな仕事をするのかな。

また教務主任を継続するのかな。
するとなれば3年目になります。
担任に戻るのかな。
はたまた異動があるのかな。
私も本校での経験が長くなっているので、可能性は十分にあります。
そうなれば、人生の変化ということになるな。
はたまた…

その答えはもうちょっと時間が経てばおのずと見えてくるものですから、黙って待つことにします。

とりあえず今日は教育課程完成、おめでとう!です。

自衛隊として5年を乗り切った教え子が「生き残るために大事にしてきたこと」

2016-03-08 22:06:06 | 授業中の攻略法
前回のブログで、教え子の結婚式に参加したことを書きましたが、そこに当時の同じクラスの仲間も数人出席していました。

どの子とも久しぶりの再会を懐かしみました。
大学生として勉強している子も、就職して社会人をしている子もいましたが、その中で一人
「自衛隊」
としてがんばっている子がいました。

女の子です。

その子は小学生当時からめちゃくちゃ元気な子で、いつも大きな声を張り上げてはクラスを盛り上げてくれるような子でした。
女の子ですが、男の子顔負けのパワーがあり、ドッジボールをしては男子全員をぶっ飛ばすほどでした。笑

その子が高校生のころに会ったときに
「私は絶対自衛隊に入ります!」
と豪語していました。
そのときは
「こいつなら本当に入るかもな」
と思う一方で
「でも元気だけでやっていける世界ではないだろうから、大丈夫だろうか」
と心配もしました。

そして高校卒業後、その子は本当に自衛隊に入隊。
今年で5年目を迎えていました。

「先生、お久しぶりです」
話しかけてきたその子は、相変わらず体つきはがっしりとしていて、でもドレス姿だからアンバランスな感じ。
「お久しぶりです」
なんて丁寧な言葉もすっかり社会人らしく身についていましたが、表情はやっぱり昔のままの愛らしい教え子そのものでした。

披露宴の最中、その子とじっくりと話すことができました。
その子は、自衛隊としてやってきた5年間について、私に話したいことが山ほどある様子で、興奮気味にいろいろな話を聞かせてくれました。

聞くと、やっぱり、自衛隊という世界は全く甘い世界ではないということでした。
ハードな訓練
上下関係の厳しさ
私たち教員には想像もできないほどのものがあるようでした。
しかし、その子が言うには
「国を守るという任務を果たすために、必要なもの」
とも言っていました。
力強く。

聞けば、その厳しい世界に耐えられず、ギブアップしてしまう同僚も少なくないそうです。
さらに、女性だからこその辛さというもの存在するのでしょう。
元気が取り柄のその子も、ハードな訓練の話をしながら、ときおり思い出すかのように辛い表情も見せていました。
そんな、私も経験したことのないような厳しい世界を、もう5年も乗り切ってきたその教え子を見て、私は誇らしくなると同時に
「お前はもう俺を超えてるな」
素直にそう思えました。

私はその子に最も聞いてみたい質問をしました。

「お前、そんな世界をどうやって5年間も乗り切ってきたんだ」

この答えこそ、今の子どもたちに本当に必要なものになるんじゃないかと思えたのです。
私が小学校に戻った時に、子どもたちに身につけさせなければいけないものじゃないかと。

その子は、すぐに答えました。

「会話です」

…会話。

「とにかく、いつもいろんな人と話をしています。
上司に質問するし、先輩にアドバイスを求めるし、同僚に愚痴ります」

うんうん。

「自分はこう見えて、一人でたくましくやっていけるタイプじゃないんです。
だから、すぐに人に頼るし、人に支えてもらいます。」

「話しているうちに、辛いことも解決策が見つかることもあるし、解決策が見つからなくても、なんとなく、解決できそうな気になることってありませんか。」

あるある。

「それに自分、弱いくせに頭固いから、いろんな人の考え方を知ると、えーって驚くことがいっぱいあるんです。
そしたら、なんていうか、自分も違う行動がとれるようになるっていうか、同じ問題に対しても違う方法でやれるようになるんです。」

それそれ。

「そうやって、ここまでやってきました。ほら、私前からおしゃべりだったでしょ。あはは」

ありがとう。
やっぱりそうだった。
自衛隊として5年を立派にやってきた教え子の中に、大切な答えがありました。

会話。

会話力。

毎日の授業の中でも、繰り返しのように子どもたちには言っています。
「積極的に自分の意見を伝えなさい」
「友達の考えを聞きましょう」
「話し合って、新しいアイディアを見つけてごらん」
そういうことが授業中の課題を解決するのに有効になることもあります。

しかし、この教え子がするそれは、もう次元が違います。
心底、それが必要なのです。
それがなくては生き残れないと思っているんです。
だから、それに必死になってるんです。

私が今算数を教えている子たちが、社会人になり、本当に人を頼りたくなったときに、この教え子のような「会話」ができるでしょうか。

会話は、意欲だけでなくやっぱりスキルも必要です。
それに相手との信頼関係を築くだけの人柄も必要です。

この教え子は、自衛隊としては駆け出しですが、きっとそういったものが十分に身についているのでしょう。
小学生時代を思い出してもそう思えるし、久しぶりに会って話した感触からも、それは明らかでした。

だからこの子は生き残れているし、この子はきっと強い。
そう自然と思えました。

私が今教えている小学生にも、ぜひこんな資質を身につけさせたいと、久しぶりに心から思いました。
正直、それが十分にできているとはとても言えない今の自分の仕事ぶりに、情けなくもなりました。

だって、やはり毎日の算数において、そこに「必死」になるものはないから。

しかし、算数を言い訳にはできません。
算数をあきらめてはいけません。
今の私が子どもと接することができるその接点は算数だけです。
だったら、そこを極めるしかないのです。

自衛隊の教え子に、心から感謝します。






教え子の結婚式に出て乾杯しちゃいました

2016-03-01 21:51:49 | 雑談
招待状をもらっていた教え子の結婚披露宴が先日行われて、参加してきました。
私自身、初めての体験です。
こないだ教え子の同窓会に初めて参加したかと思ったら、今度は初めての結婚式。
近いうち、今度は初めて教え子の赤ちゃんを抱っこするんでしょうか。笑

その教え子は若い若い花嫁さんになっていました。
とてもきれいでした。
今風のおしゃれな披露宴で、とても幸せそうでした。

なんと私、この披露宴で乾杯の音頭を頼まれていたんです。
電話が来たときはびっくりしました。
恐れ知らずの教え子で、私を捕まえるために学校にまで電話してきました。笑

「先生、実は乾杯をお願いしたいんですけど…」
「まじか~」
もっと年配の人もたくさんいるだろうに、私がするのも気が引けるから正直断ろうかと思いましたが、かわいい教え子の頼みだし、ここで断ったら
「苦労は買ってでもしろ!」
とえらそうに教えてたことがうそになるので、引き受けました。笑

もちろん、こちらも初めての体験です。
貫禄ある人たちの乾杯の音頭は何度と見てきたのですが、まさか自分がする番がこんなに早くくるなんて。
いざそうなると、
「あのおじちゃんたち、何て言って乾杯してたっけ??」
ってなりました。
まあ俗に言う
「乾杯は短いに越したことはない」
これがその通りだろうと、ネットでオーソドックスな例文を拾い上げて
「これでいいや」
と会場に向かいました。

席に着くと、自分のグラスにだけ花がついていました。
(お、乾杯する人の特権か)
もうすぐ始まるというころ、司会の人がやってきて簡単な打ち合わせをしました。
「初めに新郎側の上司の方がスピーチをします」
うんうん。
「そのあと、乾杯です」
え?もう?
「実は新婦側のスピーチはありません。ですので、ぜひ乾杯でそちらも兼ねて、どうぞ」
なに~!
聞いてないぞ~!
「どうぞ」
なんて言われても、そんなすぐに気の利いたこと言えるもんじゃないぞ~!

そこから開始まで数分しかないわずかな時間の中で、必死に考えました。
たぶん、ここ最近で最も頭をフル回転させました。笑
他のクラスメイトも何人か来てて、話しかけてきましたが
「ちょっと黙っとけ!後で!」
と遠ざけました。笑
披露宴が始まり、新婦側の上司のスピーチが始まりましたが、そんなの聞きません。笑

そしてついに
「それでは乾杯へと移ります。乾杯の音頭をとっていただくのは、新婦花子さんの小学校時代の恩師…」
と紹介され。
「ではよろしくお願いします」
本当に出番がやってきました。
「ただいまご紹介に預かりました…」
しゃべりながら
(本当に俺が結婚式で乾杯やってるよ)
と、おかしな感じがしてきました。
なんというか、年取ったな~って。笑

お決まりのあいさつに加えて、その子の小学校時代のエピソードもいくらか話しました。
横の高砂で、その子がうれしそうに聞いているのが分かりました。

こんな話もしました。

実は10年ほど前になりますが、私も結婚式を挙げました。
そのときの披露宴で、花子さんとクラスの子たちが駆けつけてくれて、歌ったり踊ったりしてたくさんのお祝いをしてくれました。
あれから、私としてはそう時間は経っていないような気もするのですが、今日こうして、花子さんと立場を逆にしています。
結婚する花子さんに、私がお祝いの言葉を述べているんですね。
なんとも言えない感動で、胸がいっぱいです。

感動で胸がいっぱいなのはおおげさなことではなく、本当にその通りでした。
学校の先生をしていると子どもから感動をもらうことはあるものですが、こんな経験は、また味わったことのない希少な感動だったように思います。

いや~
とにかく、何とか終わってよかったです。笑
教え子よ、お幸せに!