小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

「このおかず、ごはんにかけていいですか?」

2017-09-27 19:42:05 | 学級生活の攻略法
給食のとき、ある子から質問。
「先生、このおかず、ご飯にかけていいですか?」
この日のおかずは、麻婆豆腐でした。
「どうぞ~おいしそうだね」
私は答えました。
特に何も考えず。
すると、それを聞いていた別の子が、
「え、でも先生、献立にはご飯にかけるとはなってませんよ」
と。
毎回献立にはそういうことまで丁寧にかいていて、その子は感心にそれをチェックしているのです。
私は
「はぁ」
と、ばかみたいな顔で気の抜けた声が漏れました。
内心、
(細かいこと言うね~かけたきゃかければいいじゃん)
と思っていました。
結局、この場ではそれ以上もめることはなく、かけたい子はかける、かけない拒かけないと、自然となっていました。
私はそれでいいと思いました。
が…

これでよかったんでしょうか。
意外にあとから色々と気になってきました。
「かけていいですか?」と聞いてきたあの子。
そんなことは自分で判断してほしいとも思うし、いや、でもきちんと先生に聞くところがえらいとおもうべきなのか…

「かけるものじゃないですよ」と言ってきたあの子。
献立の「ルール」をまもろうとしてることがえらいのか、それとももっと柔軟性を持つべきなのか…

そして「どうぞ」って何も考えずに答えた私。
食に関する指導観がゆがんでる?
ゆるすぎる?
そこら辺がしっかりした別の先生だったら
「だめです!ご飯に書けるべきメニューは決まっています!麻婆豆腐はかけるものじゃありません!」
と答えるのでしょうか。
でも、これが指導として適切なのか…
間をとって
「自分で考えなさい」
でしょうか?
ちょっと無責任かな?

…などなど、あれこれ考えてしまいました。
先生の食に関するマナー指導というのは、その先生の食事に対するスタンスというか、生い立ちというか、そういうものによるところが大きいと思います。
私の場合、そこがきっと緩かったのでしょう…

1時間目運動会練習 2時間目算数 3時間目運動会練習 ってときに

2017-09-24 21:56:38 | 学級生活の攻略法
運動会までもうすぐです。
練習は回数も内容もハードになってきました。
さすがに子どもたちの中にも「おつかれモード」になってる子も見られるようになりました。
もちろん先生たちも。笑

1日の時間割の中で、
1時間目 運動会練習
2時間目 算数
3時間目 運動会練習
みたいなときがどうしても出てくることがあります。
この練習に挟まれた算数はいやな感じですね。
体力的にも精神的にも子どもたちにとっては集中できないような。
しかし避けるわけにはいきません。
やることはやらなくては。

じゃあこんな算数をどういう授業にするか。
ここがポイントです。
こんなポジションにある算数を普段と全く変わらない算数にするのは、ちょっと子ども側に立った配慮が足りないと言われるでしょう。

①やることを明確にする
→これが大前提です。ここがあいまいで子どもを混乱させても頭は回りません。

②先生の話は極力減らす
→普段もそうありたいのですが、こんなときはなおさらです。子どもの聴く力には浅い限界があり、それ以降は耳に入りません。

③子どもの活動量を増やす
→ここがポイントだと思います。「子どもたちは疲れているから」と活動量を減らして、ダラダラとした時間を過ごさせるのは逆効果です。やることを明確にしたら、たっぷり活動させるべきです。子どもは一旦夢中になれば、疲れたもどうもありません。

④その活動内容はシンプルなものに
→思考力をフルに使うようなことや、複数人で行う創造的なことははかどらない可能性があります。それよりは、子どもにとって無理のないレベルのシンプルな活動がいいでしょう。

こういった感じかと思います。

練習もしていないのに、なんで長縄の記録が伸びてる?

2017-09-21 21:52:32 | 学級生活の攻略法
クラスで取り組んでいる長縄の新記録が出ました。
この長縄は、八の字で三分間に何回飛べるかというものです。
学校としてこの長縄をがんばろうという気運があり、どのクラスもがんばっているので、私もその波にのまれるようにして1学期から取り組んでいます。笑
(私個人的にはこの長縄をあんまり好んでないのですが…)
この学校に限らず、長縄に取り組んでいる学校は多く、私も過去にもよくやってきました。

新記録が出るとうれしいものです。
この瞬間をめざしてがんばってるわけですから。
うちのクラスも昨日は大盛り上がりでした。

では、どんなときに新記録が出るのでしょう。
いくつかの要因があるはずです。
「技能が高まった」とか「工夫や作戦が功を奏した」とか、「先生の指導技術が高まった」とか、「環境や道具がよくなった」とか。

では、うちのクラスの今回の結果は。
上のどれにも当てはまりません。
(特に練習もしてないし、私も指導法を勉強したわけでもないし 笑)
じゃあなぜ?
1つ言えるのは
「目標が明確になった」と同時に、「その目標を達成する必要性が明らかになった」
ということです。
実は今回の長縄は、運動会の取組の一環なんです。
長縄の結果が、そのまま赤組、白組の勝敗につながります。
というわけで、うちのクラスにも変化が起きたということだと思っています。

単に「目標は300回」とするのとは大きく違います。
300回としただけでは、子どもたちの中では数字としてとらえただけで、これを本当の、本気の「目標」とまでとらえられていない子も多いはずです。
「なぜ300なのか」
「なぜそれを超えなくてはいけないのか」
という本当の意味での目的をとらえられていません。

これは、私も今回の経験でいい勉強になりした。
長縄に限らない話でしょう。
何かに取り組む際に目標を掲げるなら、その目標の意味まで子どもたちと共有するべきだということです。

運動会を通して見えてきた「学校の長所と短所」

2017-09-19 21:49:42 | 学級生活の攻略法
以前に
「運動会に学校の姿が表れる」
という記事を書いて、
「私も客観的に運動会を通して学校を見てみる」
と書きました。
そして、見ています。
分かってきたことは

〇フットワークの軽い先生が多い
〇人の努力に心を寄せられる先生が多い

という学校のよさが見えてきました。

例えば
・応援団担当でない先生が、朝や昼休みの応援団練習に顔を出している
・校庭で毎日使う放送機器の準備や後始末を、「誰がする」と明文化されていないにも関わらず、気付いた人が率先してやっている
・運動会に使う各道具の補修や、会場となる校庭や駐車場の整備など、計画的進んでいる

こういう様子が頻繁に伺えます。
自分は初めてなので「率先して」といのはできないなですが、そういう先生たちのあとについて、見よう見まねで動いているという感じです。
いい学校です。

しかし裏返すと
▲個々の努力に頼っている
ということになります。
「気が利く先生」「フットワークの軽い先生」がたくさんいることは学校にとって財産なのですが、じゃあもしそういう先生たちがいなかったら…
いろいろなことが動かなくなる、そういうことになるでしょう。
要するに、運動会が動くシステムがまだ未熟で、共通認識、共通理解が図られていない部分が多く存在しているということです。

同時に、「リーダー」が不在です。

強力なリーダーシップのもとに、みんながまとまって動くという性質がありません。
ここも、運動会だからこそ顕著に表れます。

学校の優れているとこ、足りないとこ、私なりに見えてきました。
じゃあ、私がどう動くか。

うーん、まあ、まだそんな大きなテーマをこの学校で自分に課すつもりはないので…
もう少し様子を見ます。笑
ずるい。笑

「子どもってやっぱり純粋」図工の一場面

2017-09-15 20:59:48 | 「教師-子ども」関係の攻略法
4年生の図工の授業で、「飛び出す絵カード」のような工作をしました。
折りたたみ式のカードを開くと中から起き上がってくるみたいな、あれです。
(最近はこんな図工が増えましたね。がっつり絵を描くようなのは減りました)

最初に簡単な説明をしたら、みんな夢中になって作っていました。
「誰かにプレゼントするつもりで作ろうね。もらったその人が幸せな気分になるように」
と、私なりに精一杯目を輝かせて言いました。笑
すると、どの子も
「誰にあげようかな」
「もう決めてるよ!」
のような顔をしたのが分かりました。
やはり何をするにも、目的意識、相手意識があるのとないのでは、やる気が違ってきます。

活動を進めながら、子どもたちは無意識に口を動かします。
「ここに折り紙を貼ろうかな」
「どうしたら飛び出してくれるのかな~」
「あはは、お母さんの顔、変になっちゃった」
「喜んでくれるかな~」
こんな愛らしい声に
「静かにしなさい」
とは言えなくて、まあまあ騒々しい授業になってしましいます。

普段やんちゃなある男の子が、珍しく黙々と作業をしていたので、ちょっと尋ねてみました。
「誰にあげるの?」
「おばあちゃんです!」
見ると、カードには「いつもありがとう。ずっと元気でいてね」と書いてあり、上手とは言えないけど、ゆがんだ「飛び出すケーキ」が作ってありました。
「おばあちゃん、りんごすきだから書いてあげよう!…先生、りんごってどうかくんですかね?
こうかな?」

かわいらしいものです。
普段は憎らしいときもあり、私の怒号を毎日のように浴びているその子ですが、こんなに純粋で優しい一面があるとは、驚きました。
こんな姿は偶然に現れるものではなく、これこそがこの子の本質だと思います。
なぜかふと、自分の幼少期を思い出してしまい、
(家族に手作りのプレゼントなんてあげたことがあったかな。ばあちゃんになんて絶対ないわ)
笑えてきました。
自分なんかよりずっといいものをもってるんだろうなと、そう思えました。

こんな素晴らしい一場面に出会うと、またがんばろうと思えるこの仕事です。
恵まれてます。