小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

取っ組み合うほどのけんかを見なくなったような…

2015-09-28 19:56:15 | 雑談
休み時間に廊下を歩いていると、血相をかえた子が駆け寄ってきて
「先生!教室に来てください!」
と、私の手をひっぱって走り出しました。
そして教室にたどり着いてみると、私を読んだ原因は
「けんか」
でした。
男の子が2人、取っ組み合いのけんかをしていました。
(あらあら)
2人とも、顔は涙やら鼻水やらでもうぐしゃぐしゃで、引っ張りあった服は乱れ、口元から血も出ていました。
かなり激しくやりあったようです。
この激しいけんかに、周り子たちも圧倒されている感じで、だれも止めに入ることもできずにいました。

クラス中から、
「先生、助けて!」
の雰囲気を感じ、
「はい、そこまで~」
と、とりあえずその取っ組み合いを止めました。
そして、担任の先生が来るまで、その子たちを廊下で落ち着かせ、他の子たちは次の授業の準備をして待つように伝えました。
そうしていると、すぐに担任の先生が帰ってきて、バトンタッチ。
応急措置になぜか選ばれた私やおやくごめん。

そのクラスを後にしながら、思いました。
(そういえば、久し振り子どものけんかを見たな)
あんなに激しく取っ組み合うようなけんかを。
私が思うに、子どもたちはあんなけんかをあんまりしなくなったような気がしますが、どうでしょうか。

自分が子どものころは、自分も含めてもっとあちこちでけんかをしていたし、私が教員になってすぐのころにも、もう少しけんかを見ていたような気がします。
それがいつからかほとんど見なくなり、今回のようにたまに見かけるととても珍しいもののように見えるようになりました。

なぜだろう。
考えてみました。
子どもたちのけんかが減った原因。
1 人間関係をあきらめやすくなった。
→子どもたちは、自分の昂った思いや怒りを、言葉や行動で示すということを、諦めたり、めんどくさがったりするようになっているのでは。

2 けんかの仕方を知らない
→ 正々堂々と、同じ条件のもとバトルするのがけんかです。言葉にしろ、暴力にしろ。けんかにはけんかのルールがあります。しかし、その経験が少ない子たちは、いざそんな場面になっても、それができないのではないか。

3 怒りをぶつける方法が変わった。
→ 怒りの矛先は…
「より強いものに頼る(チクる)」
「陰湿な方法で解消する(陰口・物隠し・ネット)」

4 大人がけんかをさせなくなった
→子どものけんかを見ると、周りの大人がすぐに止めて、指導に入るようになったのではないか。

いかがでしょうか。
こんな「現代的」な子どもの、社会の特徴から、けんかが減ってきているのではないかと推察するのですが。

「私の身近なところではしょっちゅうけんかは起きてるよ!」
という方もいるかもしれませんね。
あくまで私の身近なところから感じられるもので、私の主観にすぎませんが。

もちろんけんかはいいものではありません。
けんかのない平和が一番いいのです。
が、だからこそ、特に子ども時代には、けんかも経験してみるべきものだろうと思うのです。

本気で怒り、それがどうしようもなく相手との激しいぶつかり合いになってしまい、お互い痛い目に合う。
そんな経験がまた、成長の過程として味のあるものになるんだろうと。

そして
「雨降って地固まる」
は本当に起こりうるもので、ここで築かれる絆みたいなものもあるものです。

人間と人間の、中身の濃いコミュニケーションとも言えます。

子どもにけんかを勧めるわけにはいきませんが(笑)、けんかもできる、けんかもやったことのある子たちではいてほしいと思います。


担任から依頼「うちのクラスを叱って」

2015-09-25 17:33:22 | 学級生活の攻略法
1時間目の時間、私は授業が入っていなかったので、職員室で仕事をしていると、突然
「先生、ちょっと来てもらっていいですか」
と。
だれかと思ったら、ある担任の先生でした。
私の立場上、突発的に助けを求められることは珍しくないことです。
「具合の悪い子どもがいるので…」
「子どもが窓ガラスを割ってしまったから…」
とか。
今回は何事かと思いましたが、その先生の様子を見てみると、ちょっといつもとは違うようでした。
先生は慌てているというわけではなく、神妙な、怒った顔つきをしていました。

そして廊下を一緒に歩きながら事情を聞きました。
「どうしても聞かない子がいるんです。私、もう頭に来て…」
どうやら、担任の先生の言うことを聞かず、ふざけた態度の子がいるので、私に叱ってほしいということでした。

「あらあら…」
私としてはこんな依頼は初めてだったし、引き受けてもうその教室に向かってはいましたが、正直、動揺しました。
(いきなり俺が行ってどうなるものかね…)
歩きながら、先生はその子が言ったことしたことを洗いざらい喋って、もう我慢ができないといった感じでした。
まさしく怒り心頭。
私に口を挟む余地もないまま、二人で教室に到着。

クラスの子たちはみんなきちんと席に座って待っていました。
よほど担任の先生が怒ったのでしょう。
もうクラス全体に嫌な空気がたちこめていました。

「さあ、Aくん、さっきあなたが先生に言ったことを、もう一度言ってみなさい。」
という言葉に始まり、しばらくその先生と子どものぐちぐちとしたやりとりが続きました。
私は教室の端からだまって見ていました。
腕組みをして。
そしていよいよ二人の対話が煮詰まったとき、私が声を出しました。
これ以上ないくらいの勢いで、その子を叱り飛ばしました。
突然の怒号に一層張りつめた空気になる教室。
涙がこぼれだすAくん。
私も冷静でいようとは思っていましたが、確かにふざけた態度のその子に腹が立ち、もう一端導火線に火がつくと激しく燃え続けるタイプです。
叩きのめすほどに、叱り続けました。
そして
「またいつでも来ます」
と伝えて、そのクラスを後にしました。

こんなことをしたのは初めての経験でしたが、とても具合の悪いものでした。

誰かの代わりに叱るという微妙な役目
見ていない事実を叱ることへの不安
担任の先生が叱って済めばそれが一番いいのに、それができていないことに対して処理をするという虚しさ
担任の先生がいる目の前でクラスを叱るその居心地の悪さ

いろんなものが混じって、非常に具合の悪いものでした。

この担任の先生はなかなか落ち着かないクラスに奮闘しており、特に今回の子に対しては頭を悩ませていることを、私も知っていました。
年配ながら、一生懸命の先生で、子どものためにいつも汗をかく先生でした。
私が怒鳴らずにはいられなかったのは、この先生の努力が報われないことにことに対する、その相手であるクラスの子たちに向けた怒りだったようにも思います。

しかし、私が叱ってその場では子どもがおとなしくなりましたが、それ以降どうだったのでしょうか。

私が叱って、なにかよくなることがあるのでしょうか。

私がこのクラスの「最後の手段」的な抑止力にはなるかもしれません。
それは表面上は効果が見えるものかもしれませんが、やはり本質をよくするものでないのは明らかでしょう。

このクラスの子どもたちにとっても。
この先生にとっても。

関わってしまった以上、一緒になってこれからがよくなるように考えていきたいと思います。

また出た 算数で先生を越える粋な発言

2015-09-23 13:04:38 | 授業中の攻略法
5年生の算数
「倍数と約数」
の授業でのこと。

12を割りきれる数を並べて
1 2 3 4 6 12

18を割りきれる数を並べて
1 2 3 6 9 18


「並んだ数をみて、何か気づくことは?」
と問いました。
すると子どもたちは
「どっちも1と2と3と6が入っている」
「どっちも6個ある」
「もともとの数が入っている」
「かけると元の数になるペアができる」
と、約数の性質に迫るものを見つけ出しました。

そこで、今回も現れました。
私の予想を越える「粋な」発見が。
ある子がいいました。

「最後の数が最小公倍数になっている」

この子はよく独特な視点からおもしろいことを言う子ですが、毎回言葉足らずで、先生も友達も最初は理解に苦しみます。

周りの子の
「?」
に気付いて、さらにその子は不器用そうに言葉をつなげます。
「あ… なんていうか、こないだ倍数のとき勉強した、最小公倍数なんです」
私は一瞬
(最大公約数のことを知っていて、その言葉を使いたいだけなのかな)
と受け止めましたが、どうやらそうではなかったようです。

周りの子たちが理解することを諦めるような空気を私は感じたので
「うん、どういうことかな」
と口を挟みました。
「最小公倍数って言ったけど、どの数が、どの数の最小公倍数になってるの?」
「前の全部の数の、最小公倍数です。最後の数が」
諦めかけていた周りの子たちの目の色が変わりました。
そして
「あ」
と、どこからか漏れました。
さらに、黒板を指差しながら
「本当だ~」
という声も。
まだ分からない子たちは
「何?何?」
情けないことに、私もまだ
「何?何?」
と。
「先生!1 2 3 4 6 の最小公倍数が、12ってことですよ!」

「…お~!!」
「え?じゃあ18もそうなってる!?」
「1 2 3 6 9 … 」
「なってる!なってる!」
「18だよ!」

ここからは、私の出る間もなく、子どもたちが勝手に授業を進め出しました。
「ちょっと待て!他の数字でも本当にそうなるのか!?」
「やってみよう!例えば、えーっと、じゃあ28だったら…」
「…なるかな」
「…なるよ!」
「他の数では!?」

「っていうか、なんでそうなるの?」
「わかんなーい」
「不思議じゃない?」
「不思議じゃないよ。だって、1の倍数が2で、2の倍数が4で、4の倍数が6 …あれ、ちがう。」
「おもしろーい」
「Aくん、よく見つけたね」
「えへへ」

すっかり授業の流れは私のプランとは変わってしまいましたが、もちろん構いません。
構わないどころか、大満足です。
一人の子が見つけた算数のおもしろさが、周りの子に広がり、別の子が深めてくれる、理想的な授業になりましたから。

こんな痛快なことは、一年間授業をしていて数回あるかないかですよね。
教師の意図で生まれるものもあれば、今回のように私の浅はかな意図とは無関係に子どもたちが創り出す感動もあります。
私ですら
「なぜそうなるのか」
を、理論的に明らかにしてみたいと興味津々になるほどです。

Aくんにお礼を言いたい気持ちで一杯です。

東日本豪雨 学校再開の黒板に

2015-09-19 23:11:29 | 学級生活の攻略法
先日の東日本の豪雨について。
まずは、被害にあわれた皆様に心からお見舞い申し上げます。

その後
「一部の学校で授業再開」
というニュースがあり、その中でものすごく感動することがありました。

それは、茨城県の石下小学校の、ある黒板に書かれた言葉でした。

これは、そのクラスの担任の先生が、災害のあと、久し振りに学校に戻ってきた子どもたちへのメッセージとして書いたものだと思います。

こう書いてありました。

びっくりしたね。
たいへんだったね。
こわかったね。

石下小のみんな ぶじでした。
学校もだいじょうぶだよ。

いっぱいはなしきくからね。
教かしょやドリルがなくてもだいじょうぶだからね。

いっぱいおはなししてね。
むりしてはなさなくてもいいよ。

こうしてお友だちとあえてよかったね。
みんなぶじでよかったね。

※ネット上の画像で見たもので、一部見えない文字もあり、そこは想像で書かせてもらいました。

これを見て、思いました。

なんて温かい文章なんだろう。
なんて安心できる文章なんだろう。

文章からにじみ出る
この先生の優しさ。
柔らかい人柄。
子どもたちへの深い愛情。

災害にあって、いろんな苦労や悲しみを抱えて学校に戻ってきた子どもたちを、そっと包み込んで、笑顔を取り戻してあげる文章のようです。

私が担任だったら、朝の黒板になんと書くだろうと、考えてみました。

きっと、精一杯の気持ちを込めて、

熱い思いで書くとは思いますが、到底この先生のような文章は書けそうにありません。

なんというか、もっと慌ただしい、緊張感の抜けない文章を書くだろうと思います。

ネット上の画像では、黒板のメッセージを並んで見つめて、お互いに笑顔になっている子どもたちも写っていました。

もちろん私はこのクラスも担任の先生もまったく知らないのですが、この黒板のメッセージを見ただけで、もうこのクラスの素晴らしさが一瞬で分かったような気になりました。

強い悲しみ、苦しみにいる子どもを救い、またがんばろうという気持ちを芽生えさせる。

きっと今ごろ、このクラスでは、担任の先生を子どもたちが囲んでは、いろいろな話をして聞かせていて、それを先生はゆったりとした笑顔で聞いてあげているんでしょうね。

保護者アンケートは記名?匿名?

2015-09-16 20:44:34 | 保護者への攻略法
学校側が保護者向けに実施するアンケート。
内容はいろいろとあると思います。
学期末の学校評価
生徒指導上の生活調査
家庭学習に関する実態調査

最近本校で話題になったのが
「アンケートは記名・匿名どちらがよいか」
ということです。
学期末の学校評価のアンケートについて、本校では昨年度まで「匿名」で実施していました。
それを、今年から「記名」にしました。
これはアンケートを実施する学校側の意向でしたことですが、その一番の目的は
「無責任な意見を寄せないでほしい」
というものでした。
匿名のころ、アンケートに記述で寄せられる意見の中に、
「学校に無理な、理不尽な要求をする」
「学校に心ない中傷をする」
「真偽が分からない情報を入れる」
そういう記述が見られることがありました。
大抵の学校は経験したことがあることでしょうが。
私も教務主任をしている立場上、そういった意見に悩まされることがありました。
そこで、校長は今年から思いきってアンケートを記名式にしました。

するとどうなった。
記名式になった今年の学校評価を見てみると、
・記名欄にきちんと記名しているものがほとんどだったが、若干数相変わらず無記名なものがあった。
・数値で示す学校評価は、ほぼ例年と変わらない結果だった
・記述で寄せられる意見は、建設的なものが多かったが、中には若干数理不尽なものがあった。しかし、匿名だった頃と比べると少なかったという印象があった。
・アンケートの中に、「ぜひ匿名に戻して」という意見がいくらかあった。

という結果でした。
トータルとして、学校評価本来の目的である適切な外部の評価は得られて、それはよかった、という学校側の受け止めかたでした。
また、本校の職員からも
「だれが書いたか分かる方が読みやすいし、リアクションも返しやすい。」
と、記名式を支持する意見がほとんどでした。
おそらく、今後も本校はこのアンケートを記名式で行っていくことになるだろうと思います。

さて、いかがでしょうか。
アンケートの記名と匿名、どちらがいいのでしょうか。
アンケートの内容や、学校・保護者のカラーも関係してくるものだと思いますが、みなさんの学校ではどちらで実施していますか。

おそらく、意見を寄せる側としては、うちのアンケートにもありましたが、匿名にしたほうが意見を出しやすいという部分があるだろうと思います。

が、学校が恐れているのは、その「出しやすさ」から、無責任な意見を寄せられてしまうということです。

しかし、そういった意見も含めて本当の意味でのアンケートなんだから、学校は恐れずそれを受け止めるべきなのか。

記名式にしたとしても、それを気にせず本当の意見を堂々と出すことを保護者が努めるようにするべきなのか。

考えさせられます。