小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

素晴らしき…じゃなくても,愛すべき6年生学級,卒業!

2014-03-25 07:07:05 | 学級生活の攻略法

昨日,卒業式でした。

我が六年生学級も,無事に全員を送り出すことができました。

この子たちとの一年を振り返ってみると,また今までとは違う,特別な一年だったように思えます。

4月から,課題の多い子たちでした。

学力の面でも,生活態度の面でも。

私も6年生を受け持つのはこれで何度目かですか,その中で培われてきた,私なりの「常識」を破る子たちでした。

幼い男子。

消極的な女子。

「こんなしょうもないことで叱らなくちゃいけないのか」

そう落ち込む日が続く毎日でした。

同学年の先生も当然同じ悩みを持っていて,いっしょに嘆く毎日でした。

私は,まず,その「常識」をとっぱらうことから始めました。

そして,この子たちなりの「基準」を見つけるようにしました。

何事もスモールステップ。

コツコツとやっていこうと。

すると,6年生らしい素地はまでできていない子たちが,少しずつ変容していきました。

ほめられる場面が出てきました。

しかし,「やった!」と思えるのは束の間,また次の瞬間には叱る場面が出てくる。

その繰り返しでした。

3歩進んで2歩下がる♪です。

2.5歩かな?

他学年や専科,管理職の先生たちからも

「この子たちは…」

とため息がもれ,それが私の耳に届くたびに痛い思いをしていましたが,しかし本当のことですから,言い訳もしません。

そもそも

「この子たちを何とかしてくれ」

と,校長にお願いされるように受け持ったのがスタートです。

「粘り強く,気長にやらなくては。」そう自分を奮い立たせるように言い聞かせていました。

昨日の卒業式では,子どもたちの横顔を眺めながら,そんな風にいろんなことを思い出していました。

「ついに,この子たちとの一年が終わったんだな」

そう思うと,またこれまでの卒業生のときとは違う,熱いものが込み上げてくるようでした。

そして,意外なことに…

この子たちとの授業や毎日のやりとりを思い出そうとすると,真っ先に浮かんでくるのは,

「笑ったこと」

でした。

「叱ったこと」

ではなく。

叱ったことが多かったはずなのに,でも,それ以上にこの子たちとよく笑ったことが,何より強く心に残っていました。

本当によく笑う一年でした。

子どもたちの笑顔をよく見たし,私も子どもたちによく笑わせてもらいました。

なんというか,この子たちは,笑いを作れる子たち,笑いが似合う子たちでした。

6年生としては未熟なくせに,しかし「笑い」にそんなことは関係なく,この子たちの日常のあちこちに「笑い」が存在していました。

だから楽しかったです。

今思うと,この子たちと笑う時間は,私が意図的に作ることも多かったのかなと。

叱らなきゃいけないことがたくさんある。

それだけは辛い毎日を,どうにかして明るくしたい。

だから,笑おうとしていたように思えます。

叱らなきゃいけないことを,叱らずに済むようにするのではなく,叱るべきことはやっぱり力いっぱい叱ることにしました。

卒業を控えている子たちに,全力でぶつかるべきだと思ったからです。

しかし,どこかでバランスをとりたい。

何かでバランスをとりたい。

この子たちには何が合うだろうか。

そう思った時,「笑い」だったんです。

幼くも,明るい男子たちは笑いを生み出す名人たちでした。

消極的ながらも,本当は楽しいことを求めている女子たちは,すてきな笑顔を持っていました。

笑えるって幸せですよね。

辛いことがあっても,笑える時間があるなら,十分それを乗り越えられる。

私だけでなく,子どもたちも,無意識のうちに,このクラスの根底にあるそんなことを感じていたはずです。


あちゃ~ 楽しいはずの文集づくりが,変な方向に

2014-03-19 23:33:00 | 学級生活の攻略法

我が6年生学級ももうすぐ卒業です。

1日1日を,1時間1時間の授業をかみしめるように過ごしています。

時間の流れは止められず,あっという間に,卒業は目の前です。

恒例の「文集づくり」をうちのクラスもしました。

子どもたちが,自分の好きなことや,1年間の思い出をつづる「プロフィール」のページを書く時間。

私は,過去の経験からも,絶対に失敗させたくない,しょうもないものを作らせたくないという思いから,最初にしっかりと指示を出すことにしました。

字は丁寧に書くこと

漢字を使用すること

印刷するので濃く書くこと

内容は適切なものを書くこと

友だちと話しながら書くと,友だちと同じようなプロフィールを書いてしまうので,話はせず自分で最後まで書き上げること

そして

できたものは,「隣の人」→「文集係」→「先生」と,重ねて何度もチェックをすること

力を込めて指示を出し,子どもたちは真剣に聞いていたので

(よし うまくいきそうだ)

と,手応えを感じました。

が,

「それでは,始めましょう」

と,子どもたちが書き出した,それからの教室の雰囲気というものが…

シーン…

静か。

重い。。

硬い。。。

誰一人として私語はせず。

(あちゃ~ これは,しまった)

と思いました。

だって,普通,文集のプロフィールを書くときって,楽しくて,にぎやかな雰囲気の中書くものですよね…

それも,卒業を目前にした,思い出に残る時間の一つになるくらい。

それを,明らかに担任が豹変させてしまいました。

どちらかというと,この作業は子どもたちにとって,「失敗をしてはいけない」という緊張感に包まれた,息苦しい時間になっていたと思います。

最初に,あんなに厳しく言うから…

「友だちと話さず書け」なんて言うから…

素直な子どもたちは,ちゃんと先生の言ったことを守って,その通り書きました。

結果,「失敗」なものはありませんでしたが,「笑顔で書いたんだろうな!」っていうものも,見られないような気がしました。

うーん,あんなに言うべきではなかったのでしょうか。

言うべきだけど,言い方が強すぎたのでしょうか。

失敗してもいいから,楽しく,自由に書かせるべきだったのかなぁ

いや,でもそしたら残念な作品になりそうで,それだけは避けたいし…

ここら辺のバランスなんですね。

経験があるからって,先回りしすぎて,レールを敷きすぎて,子どもたちを強烈に導くことはできるけど,必ずしもそれが一番の方法にはならないということを学びました。

子どもたちがのびのびと活動できるようにすることも,保障してあげなくちゃいけないんですね。

次回,一年後でしょうか。

また別の子たちに文集を書かせる際には,どんな風に書かせるべきか。

一年かけて考えてみます!


年度末,職員室にいる先生たちの様子も色々

2014-03-16 11:56:47 | 教師の仕事術の攻略法

年度末ですね。

学校も忙しい時期に入っています。

各学級も,最後の思い出づくりと,事務的な仕事と,担任の先生たちは,どんどん減っていく残りの時間と格闘しています。

この時期,職員室で見る先生たちの様子も様々です。

「いかにも」という感じで走り回っている先生。

いつもと変わらず,休息時間に悠々とコーヒーを飲む先生。

以前に講演会で聴いたことがあるおもしろい話に当てはめてみました。

先生(に限らず仕事をする人)を,こんな方法で分類できるそうです。

カテゴリー「仕事量」…A仕事をしている B仕事をしていない

カテゴリー「忙しそう」…C忙しそうにしていない D忙しそうにしている

この二つのカテゴリーを組み合わせると,どの先生もどれかに当てはまります。

タイプAC…仕事をしているのに,忙しそうに見えない先生。

→かなりできる人ですね。効率よく仕事をこなし,かつ周囲の人に圧迫感を与えない工夫や,ゆとりがある人です。

タイプAD…仕事をしていて,それ相応に忙しそうにしている先生。

→いい先生ですね。はたから見るとガンバリ屋さんタイプに見えます。いつも活発に動き回り,その分きちんと仕事をしているという正統派です。

タイプBD…忙しそうにしているけど,実は中身のある仕事はしていない先生。

→これは残念ですね。仕事の要領が悪い人です。若手に多いかな。自分もそうだったはずです。勤務時間と仕事量が比例しないタイプです。

タイプBC…仕事もしていないし,それ相応に忙しそうにしていない先生。

→これは…何でしょう。仕事に意欲がないのか,しなきゃいけない仕事に気付いていないのか… どちらにしろ,職場にいてもらってはマイナスなタイプです。

いかがでしょうか。

上位のタイプほど望ましくて,下位のタイプほど痛いですね。

まず,自分がどのタイプにあてはまるかを考えますね。

多くの先生は「タイプAD」じゃないかな。

一生懸命仕事がんばっています。

そして,ごくまれに,「タイプAC」の先生を見ます。

憧れますね。

仕事術を盗みたいぐらいです。

「タイプBD」「タイプBC」にはならないように気をつけておきたいです。


一年生クラスで,やりすぎてしまった…!

2014-03-11 21:08:49 | 教師の仕事術の攻略法

補教で1年1組に入ることになりました。

私,補教に入るときは,ちょっとがんばっちゃいます。

詳しくは以前の記事↓

「補教に来た先生は一体どんな先生!?」

今回も,かわいらしい一年生たちをたくさん笑わせてあげました。

一年生ですから,単純なことでも大笑いしてくれるんですね。

盛り上がる子どもたちを何とか落ち着けて,計画の授業をして,終了。

翌日,担任の先生が

「今日の日記,みんな先生のこと書いてるんですけど」

「あは,それは光栄です」

続けて,1年2組にも入ることになりました。

このときは,ちょっと私お疲れ気味だったのですが,1組で楽しいことしたし,2組だけしないのはよくないだろうと(勝手にいらぬ気を回して),またがんばっちゃいました。

2組の子たちも大喜び。

授業が終わって教室を出るときには,

「行かないで~」

と,5・6人引きずっていました。

楽しい時間を,普段一緒にいない子たちと過ごせてよかったです。

・・・が,そこから思いがけぬ「余波」が。

その日以降,廊下や運動場で1年生とすれ違うたびに

「あー!あの先生だー!」

「おもしろ先生だー!」

「またあれやってー!」

と大きな声をかけられます。

「ははは,またねー」

ぐらいで軽くかわすのですが,とにかくどこにいても,どの1年生にも声をかけられるもので,ちょっと大変です。

中には背中に飛びついてくる子も。

うーん

慕ってきてくれることはうれしいことなんですが,この騒動,早く落ち着いてほしいと思っています。。。

調子にのって,ちょっとやりすぎてしまいました。

補教,次回は慎重にいきます。。。


近隣幼稚園の「奇妙」な方針にびっくり

2014-03-10 22:50:03 | 「教師-子ども」関係の攻略法

うちの上の子はもうすぐ3歳になります。

まだ通っていないのですが,近隣の幼稚園や保育園の情報が,少しずつ気になるようにはなってきました。

ママ友たちの間でもそんなことが話題になることもあるようです。

こないだ教えてもらったことで,私は驚いてしまったのですが

「うちの幼稚園では,子どもどうしだけでなく,先生どうしも,子どもたちと先生との間でも,お互いを呼ぶときは『あだ名』で呼び合うと決めている」

というところがあるそうです。

「…それ本当?」

と,何度か聞き直しましたが,本当のようです。

子どもどうしは,かわいいとしても…

「先生どうしも?」

「え?子どもと先生も?じゃあ,子どもが先生をあだ名で呼ぶの??」

ちょっと,小学校教員の私にはなかなか理解ができなくて,そして,実際にそうしている場面の想像もできなくて,混乱してしまいそうになりましたが,やっぱり本当だそうです。

「園としての方針なんだろうねぇ」

ほ~

なんて思っていると,今度は職場で,こんな話を聞かせてもらいました。

「うちの姪っ子が通ってる園なんだけど(他県),そこではね,みんな『下の名前で呼び捨て』って決まってるんだって。」

「え?(こっちは『呼び捨て?』)」

「子どもだけでなくて,先生どうしも,子どもと先生の間でもなのよ~」

「子どもが先生を呼び捨て… ですかぁ」

「だからね,こないだ姪っ子にあったとき,私『ゆきこ!』って,思いっきり呼び捨てされたのよ。はぁ(怒)ってなったんだけどね。」

「そりゃ,はぁ(怒)ってなりますね

どうやら,そこは海外のやり方を真似ているようでした。

勉強不足で最近の保育園,幼稚園事情は詳しく知りませんが,こんなのが流行ってきているのでしょうか?

うーん,すさまじいです。

いやいや

教育は何がスタンダードか分かりませんし,今回のこの「あだ名」「呼び捨て」が,いいのか,よくないのかは,私にも(個人的な思いはありますが)判断できるものではありません。

驚いたのは正直そうなんですが,ひょっとしたら,近い将来これが一般的になっているかもしれません。

しかし,こんな思い切った,独特な方針を持っている幼稚園に対して,一つ投げかけたい問いはあります。

その子たちが,小学校に上がったら,どうなるのか。そこまで見通しているのか。

ということです。

小学校まで接続した,一貫教育校なら話は別です。

そんなところなら,その方針だって一貫して継続できるでしょうから。

しかし,問題は,そうじゃない一般の小学校進学の場合です。

私が嫁さんから聞いた近隣幼稚園の場合もそれに含まれるわけです。

A 幼稚園の間だけ,そうあればいいと思ってやっているのか。

B 小学校進学後も,それを継続してほしいと思ってやっているのか。

このいずれかになるはずなのですが,どうなんでしょうか。

A だとすれば,「あだ名」「呼び捨て」が定着してしまった子たちが,急に小学校でそれを変えるのには,本人にも周囲の人たちにも一苦労あることは間違いないはずですが…

B だとすれば,この実践に当たっては,より慎重になるべきでしょう。進学先の小学校とも事前に共通理解を図る必要があります。

もしかして

C そこまで考えていない

なんてことは,あってほしくないのですが。

しかし,今回の話題は一例にすぎず,こういう「幼保小の接続」そして「小中の接続」「中高の接続」が抱える問題ってたくさんありますよね。

どこもが単発の教育に終わってしまい,次につながっていかない。

そんな例は多々あるように思います。

小学6年生を担任することが多い私は,特に中学校との接続にある問題点によく悩みます。

垣根を越えて,大事なことはじっくり話がなされて,必要な部分は一貫した教育を進めていくことができるようになりたいものです。

が,一般の園,学校には,そんなシステムができるにはハードルが多々ありすぎて,まだまだ遠い将来の話になるような気がして止みません。