小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

本気で叱り飛ばした、そのあとになぜか

2013-05-24 23:10:16 | 「教師-子ども」関係の攻略法

前回「教育ニュース」という新しいカテゴリーで記事を書いてみました。

どんな反応かなと思っていたら、とりあえず今までの記事と変わらないくらいのアクセス数があり、リンク先のブログ村でも注目記事として1位をとっています。

ってことは、それなりの反響があったということかな?

一発目だから試しに見てみたということかもしれないな…

まぁ、もうしばらくそのカテゴリーでも続けてみます。

私としては、最初の記事を書いたときは楽しかったです。

新鮮で。

自分自身でもいい勉強にもなるし。

読者のみなさん、またお付き合いください。

さて、今回は「教育ニュース」ではないいつものカテゴリーで。

今年、私の勤める学校は初めて運動会が春開催になりました。

ずっと秋だったので、初めての今年はみんな「どうなることやらっ」って感じで進めています。

春と秋、一長一短でしょうね。

本校内でも春開催にあたり、賛成も反対もたくさんの意見が出されましたが、とりあえずやってみて評価しましょうってことになりました。

私としては単純に新しい形にのぞむことは好きなので、今年はバタバタしながらも楽しんでますけどね。

その運動会練習の中で、クラスの子どもたちを本気で叱ることがありました。

まだまだ未熟な子たちなので、簡単な整列や集合ができなくて注意をすることばかりなのですが、今回叱ったのは表現運動でした。

全く気持ちの入らない踊りに

「小学校最後の運動会がそれでいいのか」

と。

心から叱りました。

この叱りに、なんら「技術」なんてないんですね。

本当に、この子たちに、小学校最後の運動会をもっと大切にしてほしいと思って伝えました。

精一杯の言葉で、精一杯の熱意で。

相当大きい声で怒鳴りましたし、激しい口調でした。

顔は怒りに震えていたはずです。

叱られている間の子どもたちの表情、よく見えました。

悲しい顔がいっぱいでした。

こんなとき、叱り終えた後は、しばらく子どもたちとはまともに顔をあわせられないものです。

あんなに叱って、次にどんなテンションで接すればいいか分からなくて。

叱った先生も、叱られた子どもたちも、もうぐったりです。

私の中では

(あ~ やっちゃった)

です。

(しばらく嫌われ役かな~)

(先生から遠ざかる子が増えるだろうな~)

そんなことを思います。

(は~)

・・・・ところが、その時間の体育が終わり、教室に帰る途中、教室に帰ってから、子どもたちの様子は意外なものでした。

なぜか晴れ晴れしい表情が多いのです。

そして、やたらと先生に寄ってくる。

話しかけてくる。

(ん?さっきこの子たち、めちゃくちゃ叱られたよな?)

そしてそれ以降、クラスはいつもよりシャキッとした、少しいい雰囲気。

先生と子どもたちの歯車がいつもよりかみ合い、心地いい感じ。

ん~

あんだけ叱ったあとは、子どもたちと先生の関係が悪くなり、しばらくはギクシャクしそうなところに、意外でした。

思うに

子どもたちは、本気で叱ってくれる先生を、どこかで求めている!

ってことでしょうか。

叱られるってことは、もちろんうれしいことでなく嫌なことなんですけど、叱るも「心から、本気で」あれば、そんなことは通り越して、お互いの結びつきを強めるのかもしれません。

確かに、私もこれだけ本気で言いたくなるのは、この子たちへの愛情があるからだと思います。

まだまだ足りないところばかりの子たちに、可能性を感じ期待しているんです。

だから叱りながら涙が出そうにもなるんです。

純粋な子たちには、自分たちを思って本気になってくれる大人がいることが分かり、先生の気持ちを受け止めてくれた。

そういうことなのかなと思います。

普段、私もよく口先だけで子どもたちを叱ります。

そのときは、そのあとの子どもの表情もよくないものです。

先生と廊下ですれ違うのも避けようとしています。(笑)

が、今回はびっくり、子どもたちが寄ってきてくれました。


「小学校の英語教科化」に一言

2013-05-22 22:43:19 | 教育ニュース

このブログに新しいカテゴリーを加えました。

ズバリ「教育ニュース」

教育に関連する最新のニュースについて,一小学校教諭が現場レベルで一言物申させてもらうという… のをやってみようかな?

ぐらいで試しに今回やってみます。

このブログも記事数が650ほどになり,話題も多岐にわたるようになってきました。

正直,ネタも尽きることがあるわけで(笑)

このブログを続けるためにも,またブログの幅を広げるためにも,この新しいカテゴリーが活躍してくれればなと思います。

一番は読んでくださる方の反応です。

これまで「攻略法」として書いてきた記事は,なかなかうれしい反応が多かったので,(リンク先の「ブログ村小学校教育では,投稿記事はほぼ必ず『注目記事』にランクインさせてもらっています」)今回始める「教育ニュース」も,それらに負けない反応が見られたら,それなりのニーズがあるものとして,続けていきたいと思います。

もしそうでなければ,これはボツになるまでですね。(笑)

さて,第一回目に取り上げるニュースは

「小学校の英語 正式教科に」という提言案が出されたというニュースです。

政府の教育再生実行会議は,国際的に活躍できる人材を育成するために,今の小学校英語を5・6年生より前の学年から実施すること,正式な教科にすることなどを検討するようもとめる提言案をまとめました。

安倍総理は「徹底した国際化を断行していく必要がある」と述べました。

安倍総理,今絶好調なだけに,教育の分野における「改革」にも意欲的で,しかもそれが実現されていく可能性は大きいのかもしれませんね。

もしそうなれば,私たち現場の小学校教員は,また大きな影響を受けることになります。

外国語活動が導入されて一定の時間が経過している今でさえ,やはり英語を子どもたちに自分で教えることへの抵抗や苦手感がある先生はたくさんいるのが現状です。

どこかに

「なんで小学校の先生の私たちが英語を教えなきゃならんの!?」

みたいな感情が根強く残っている。

そんな先生が多いはずです。

(やはり年配の先生に多いかな?)

そりゃそうです。

自分が小学校の先生になったときは,英語を教えるなんてことは求められておらず,当然そのスキルは磨いてきていないわけですから。

極端に言えば,英語ができない人でも,小学校の先生にはなれたわけです。

そんな先生が,今は「英語を教えなさい」と言われるようになり「私,英語できませんが」と顔をこわばらせています。

この先生たちの厳しい状況について,上の人たちもなんとかサポートしようとはしてくれています。

教材,教具を支給してくれたり,ALTを配置してくれたり,様々な研修会を開いてくれたり。

そこに救われている面も大変大きいと思います。

「小学校の先生」に関する既存の固定概念を打ち破り,英語を教えることに前向きになり,自らの英語語学力や,その指導法を学ぼうとできる先生になることが求められています。

今回,教科化されることになれば,いわゆる「テスト」などによる「評価」をしなくてはいけなくなり,当然教える側の責任はより重くなるといこと。

「苦手だから,なんとか歌やゲームを工夫して楽しく盛り上がらせて…!」

なんてことだけでは許されません。

よりグローバル化されるであろう今後の社会において,子どもたちがより英語に堪能であるべきだという意図はよく分かるので,私としては,教科化されて,小学校においてよりみっちりと英語の学習を進めていくことには賛成です。

ここで強く思うのは,

じゃあ私たち小学校の先生が,確実に子どもに英語を教えられるように,私たちを管理している人たちが責任もって行動をとってください。

ということです。

政府が英語を教科化したから,すぐに子どもたちの英語が堪能になるわけではありません。

現場に丸投げされた状態では,下手すれば,先生たちの英語を教えるスキルは何も変わっていないまま,無責任なテストや評価が行われるということになりかねません。

自主的に研鑽を積む先生はいるかもしれません,残念なことに,それができる先生はそう多くないはずです。

だから,先生全員が確実に英語の研鑽を積む「システム」を国には作ってもらいたい。

子どもを変えるために教育を変えたいなら,まずは「教育者」を変えることからでしょう。

ぜひ,そのプロセスを確実に踏んだ上で,この提言を実現化していってほしいと,現場のものとしては強く願います。

以前に中学校の英語の先生と話をする機会があり,おもしろいことを聞きました。

「小学校で外国語の授業が始まりましたけど,中学校の英語の先生という立場から一番強く望むことはなんですか?」

と尋ねたところ

「間違った英語を覚えて進学させないでほしい。」

という答えでした。

そりゃそうでしょうね。


この子たちのすることの先が読めてしまうあまりに

2013-05-21 22:45:55 | 学級生活の攻略法

また更新のペースが落ちてきています。。。

読んでくださっている方,スミマセン。

ペースを取り戻せるよう,なにか工夫をしなくちゃです。

学校の仕事と,家庭と,その隙間にこのブログがあるような感じになっちゃっているので。。。

さて

6年生担任として奮闘する日々が続いています。

今年はなかなか手強い!

生活態度的にも,学力的にも!

いい子たちばっかりなんですけど,日々頭に浮かぶ言葉は「未熟」。

なんでこんなにできないかな~

なんでこんなに幼いかな~

この「なんで」が,責任を過去の誰かになすりつけるような感じがして情けないので,そう思うのはやめようと思っていますが。

私は昨年も6年生担任で,トータルしても結構な回数6年生を見ています。

だから,まだ幼いこの子たちに対しても,ある程度余裕をもって付き合うことはできているように思います。

やっぱり経験って強いですね。

それだけに頼って仕事をするわけではないですが,ないよりある方が心強いのが経験ですね。

きっと私がいかにも「6年生の先生!」って雰囲気を醸し出しているからか,子どもたちも頼ってくれますし,担任として求心力が働いていることを感じられるのは,この時期の学級経営の形としては,いいものだと思っています。

いわゆる

「言えば聴く」

ような状態です。

「言わなきゃ分からない」

も同時にあるんですが(笑)

年間を通して長い目でやっていこうと思います。

最近は,この子たちの行動の先が読めてしまって仕方ありません。

「このあと,どんな不注意をやらかす」

「この取り組みの中で,どんなトラブルが生じる」

「この学習の中で,どんなつまづきが見られる」

今までの経験に加えて,この子たちと付き合って一月半が経ち,実態も分かってきたからです。

そこで,私は,不注意やトラブルやつまづきが生じる,その前に言います。

「~なことが起きやすいです。それが起きないようにするためにも・・・」

子どもたちは

「さすが先生・・・」

という顔できちんと聴いてくれます。

そして,事無きを得ることができ,ほっとする。

ということが,多く見られるようになりました。

でも,これってまた考えものですね。

何でも先回りして,レールを敷きすぎない!

レールを逸れて,不注意やトラブルやつまづきが生じることも,大事なんですよね。

子どもはそこから多くのことを学ぶわけです。

先生は先が見えているからといって,そんな子どもたちの学ぶ機会を奪いすぎては,なんというか,弱っちい子どもが育ってしまうことになりそうです。

未熟な子たちなので,未熟なりにいろんな失敗も経験させようと思います。

それが多すぎるのも,また学級の日常としては大変なのですが。。。

バランスを見ながら,ときにはガツンと壁にぶち当たらせることも必要です。

私が余裕をもって付き合うことができているのは,先回りしてトラブルを起こさせないという余裕ではだめですね。

起きるトラブルを予測できていて,かつそのトラブルが起きたときにも懐深く対処できる。

そんな余裕でありたいです。


論文寄稿の依頼に応えて謝礼が届いたけど…これでいいの?

2013-05-16 23:06:24 | 教師力UPの攻略法

少し前の話ですが…

とある研究会から,突然

「研究誌に掲載したいので,論文を寄稿してほしい」

との依頼がありました。

昨年度,その教科に関して本校が研究公開を開き,そのとき私が研究主任で,また公開授業の授業者であったので,お声がかかったのでしょう。

声をかけてくださったのは,大学の附属小学校の先生でした。

その研究会のリーダーですね。

連絡は文書で来ました。

もちろん一手間ですが,

「光栄なことです。。。」

と,承諾し,論文を書くことにしました。

依頼文といっしょに,論文を書く際の詳しい形式などまで示してあったので,それに沿って書き,指定していたとおりにメールで送付しました。

その後すぐに附属小の担当の先生に電話連絡。

メールが届いたことの確認や,今後進めるであろう添削作業についても話をしておく必要があるだろうと。

しかし,その先生は不在で,その場では連絡がつきませんでした。

代わりの先生に

「またご連絡ください。」

と伝え,その場は終了。

そして,なんの連絡がないまま,時間が過ぎました。

附属小の先生だから,よほど忙しいんだろうと思っていました。

しかし,あまりにも連絡がないので,不安になってきました。

メールが届いてないんじゃないか?

あのときの代わりの先生がちゃんと伝えてくれてないんじゃないか?

それとも,送った論文があまりに出来が悪いために却下されたんじゃないか?

附属小の先生だから…

なんて思いうように。

そして,またさらに日が過ぎ,最近になり,私自身もこのことを忘れかけていたころに,一冊の冊子が届きました。

「○○研究会研究誌」

え,もしかして,これは…

あった!

私の論文が!

メールで送ったものが,そのまま載っているじゃないですか!

(はぁ… これでよかったんだぁ…)

冊子と一緒に,お礼の文書と,謝礼まで入っていました。

(謝礼がもらえるんだ。ラッキー)

と正直思いました。

が,すぐに首をかしげました。

(本当にこれでいいのか??なんか変じゃないか??)

だって,私はこの研究会には一切属しておらず,その存在すらよく知りません。

だから当然,研究会の人たちも私のことなんて一切知りません。

さらには

論文の寄稿を依頼してきた責任者の人とすら,私は一切の面識もなく,論文掲載にいたるまで一言も言葉を交わさなかったわけです。

肝心な論文に関しては,掲載に向けた中身の検討は一回もなかったんです。

なのに,私の論文が,その研究会の研究誌にでかでかと掲載され,その研究会のお金を謝礼としてもらっちゃったんです。

・・・・おかしいですよね?

お言葉ですが,これで本当にこの研究会は,研究が深まるんかい!

って思ってしまうのですが。

うーん,だからきっと,実情はこういうことでしょうね。

この研究会自体が活動が充実していないのは,言うまでもなさそうです。

論文を寄せる,寄せてくれる人を探すので苦労しているくらいで,なんとか顔も名も知らない私のような者を見つけて依頼することになった。

重要なのは今年も無事に冊子ができあがることのみで,その内容は二の次。

そういうことでしょう。

なんか,さびしいですねぇ

この研究会,そのネーミングから結構大きな規模の研究会です。

そんなところに論文が掲載され,さらに謝礼までもらって,私にはうれしい話題のはずなんですが,背景にあるものが見えるような気がして,またいろいろと考えさせられます。

でも,実際少なくないんでしょう。

この研究会のような団体は。

その存続のみが第一,という形になってしまっている教育に関する団体です。

一端発足してしまい,盛り上がった時期もあったでしょうが,その後はそれを運営する人手も不足し,なんとか一部の人で運営している。

会の存続のために,恒例の集会や冊子づくりだけは,形だけでもなんとかやっている。

そんな団体です。

どの先生も,学校の現場が忙しいんですよね。

どんどん,どんどん忙しくなっているんです。

仕事と離れて,別の場所で研鑽を積む余裕がなくなっちゃうんでしょう。

この現状をどうすればいいかは私にも分かりませんが,少なくともこのままでいいはずがありませんね。

思いがけず手にした謝礼に,困惑するとともに,苦笑いを浮かべてしまいました。


なんで!?今年の「あくび」「手遊び」の多さ!

2013-05-09 22:36:16 | 授業中の攻略法

新6年生学級がスタートして1ヶ月。

子どもたちは緊張感をもってスタートした4月から、徐々にそれもほぐれ、いわゆる「本当の姿」が見えるようになってきました。

だらしがないと言われ続けた学年でした。

昨年、5年生としての姿を見ていても、やはりそうでした。

全校朝会には、最終回まで遅刻してくる子のいる学年でした。

学力が低いことに校長先生は頭を悩ませていて、諸学力検査でもそれは顕著でした。

全体的に「幼い」

それが6年生になったとたん、急に「最上級生!」になれるわけもなく、やはり未熟なところはまだまだ未熟なままです。

私も、評判は分かっていたので覚悟して臨んでいますが、それでもため息が出たり、苦笑いしてしまったり、唖然としてしまったりすることが多々あります。

昨年持った6年生といちいち比べるのはよそうと思っているのですが、どうしてもどこかで比較してしまっては、その違いに頭を悩ませる毎日です。

しかし、それはそれで、今年の子たちのおもしろさがあります。

こんな子たちと付き合っていき、成長させていくそのおもしろさ、やりがいこそが

「This is 学校の先生の仕事」

ですから。

時間も体力も使いそうですが、1年間をかけて、私にできることを全てぶつけていくつもりです。

さて

この子たちが未熟な部分は学校生活のいたる所で見られるのですが、まずはやはり授業。

とにかく45分の集中力がもたない。

出だしはよくても、授業の中盤から後半にかけて、あくび、手遊びの多いこと…(笑)

昨年の6年生と同様な授業をしても、本当に子どもたちの様子って違うんですねぇ

昨年の子たちがせっせとやっていた課題に、今年の子たちはがんばれないです。

ならば、打つ手は明らか。

授業者である先生がもっと工夫しなきゃ。

はい、昨年の繰り返しなんて通用しないなら、がんばります。

まず最初に必要だと感じたことは

学習全般に対して意欲の低いこんな子たちに対して

本当に考える価値のある学習課題を設定する!

ことからだろうと。

あくびや手遊びが出てしまうのは、やはり課題に向かう途中で飽きてしまっているからなんですよね。

ゴールにたどり着くまで、夢中になれればそんなの出ないはず。

だとすれば、絶対にたどり着きたいゴールがあることが前提です。

教科書どおりの課題では、この子たちにはダメなことが多いようですから、もっと、この子たちのところに降りてみて、どんな課題なら意欲的に取り組めるかを考えなくては… 

昨年の子たちは学力も高く、授業態度もよかったので、ついつい私はそんな工夫を省いてしまうことが多かったです。

が、今年はこの基本的なことを、もう一度しっかりやっていく必要がありそうです。