小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

そんなほめ言葉のセンス、私には皆無でした

2017-10-31 21:12:21 | 保護者への攻略法
クラス子で、特別な事情から定期的にある種の個別な支援を受けている子がいます。
その子の支援に当たってくださる別の先生は、その保護者と情報のやりとりをするためのカードを作っていて、毎回、先生が記入して保護者に渡す、次は保護者が書いて先生に渡す、というのを繰り返しています。
私も担任としてそのカードには毎回目を通すとともに、担任としての初見を一言記入するようになっています。

先生から書く言葉としては、おおむね
・わり算の筆算が少しずつできるようになってきました
・長い文章の読み取りにつまずいていたので、繰り返し練習しました
・係活動をよくがんばっています
・友だちの太郎くんと意見が合わないことがありもめていたので、話をじっくり聞きました
のような、学習や学級生活に関することで、私もそういったことを書いていました。

しかし、前回、その別の先生が書いたカードを見てみると、
「けんたさんの髪型が今日はバッチリきまっていて、かっこよかったです。これもお母さんのおかげですね。」
と書いてありました。
(髪型!?)
と思いましたが、その子の方に目を向けてみると、確かに今日は何だかいつもよりきれいな感じに仕上がっていました。

私は、子どもの髪型を見る目をもってないし、その日の変化に気付くこともほぼありません。
たまたま気付いたとしても、そこに保護者の関わりを想像することはないし、ましてや、そのこと保護者に伝えて「お母さんのおかげですね」
なんて言葉を届けるセンスは全くありません。

だから、このカードの言葉に驚きましたし、自分にないセンスをもっているこの先生に一種の尊敬の念を抱きました。
だって、この言葉を受け取ったお母さんは、絶対にうれしいだろうと思うんです。
男の子のお母さんが、我が子を「かっこいい」と言ってもらえることの喜び。
私は女の子の親だから、「かわいい」って言ってもらえたら、そりゃあうれしいですもの。
そこら辺の親心はよく分かります。
しかもそれが、近所の親友達からじゃなくて、学校の先生からだとしたら、そんなところに気付いて伝えてくれる先生に、強く好意的になりそうです。

この子の場合、学習や生活面での苦労も多く、普段はその手の話がほとんどで、親としても気苦労していることは間違いないでしょう。
そこにふと
「髪型がかっこいいですね」
という言葉。
緊張しっぱなしの空気が、フワッと和らぎそうです。

本当に優しくて、本当に絶妙な言葉に思えます。
私もそんなセンスを磨いていきたいと思います。

4年生「ごんぎつね」子どもたちが自分で立てた問い集

2017-10-28 22:03:27 | 授業中の攻略法
4年生「ごんぎつね」の授業が続いていますが、思わぬところで子どもたちに変化が見えました。
宿題のノートに「ごんぎつね」に関する自由課題学習をしてくる子が増えてきました。
それがどんな内容かと言うと
「自分で問いを立てて、自分で考えてみる」
という形の学習です。

例えば
問い「なぜごんは最初からひとりぼっちなのか」
というもの立てている子がいました。
疑問に感じたのか、それとも考えてみたいと思ったのか。
もちろん文章中に明確な答えはないので、自分なりに考えるしかない問いです。
それで、この子が考えたのが
「たぶん、ごんは小さい頃に人間から両親や仲間を殺されたのだろう。やっと逃げ切ったごんはひとりぼっちになってしまた。
それでごんはいじわるな性格になってしまい、人間に対して悪さをするようになったのではないか」
というものでした。
面白いですね。
この妥当性について、実際の描写を読みながら深く検討してみても面白そうです。
なかなかな想像力です。

他に、
問い「なぜ兵十は最後に銃で撃つ必要があったのか」
という子もいました。
「なぜ撃ったのか」ではなく「撃つ必要があったのか」としているところに、この子なりのこだわりみたいなものを感じます。
答えとして
「兵十は、母を亡くしてひとりぼっちになり、激しく心が乱れていた。普段ならきつねのいたずらぐらいで銃を取り出すことはないが、怒りのあまり撃ってしまった。ごんには不運なこと」
みたいなことを書いていました。
言われてみれば「そうかもな」って思わされます。

問い「どうすればこんなことにならなかったか」
これも面白いです。
これはクラス全体の話題にしてみたら、いろんな意見が出て盛り上がりそうです。
「ごんは、くりや松茸をもっていくときに~」
と、この子なりに考えていました。

自ら問いを立てるという、その意欲と発想がうれしくて、ノートを見ながらニヤニヤとしてしまいました。
いつもより宿題をみる時間がうんと長くなってしまいましたが、これこそがこの仕事の面白さであり、ちっとも構いませんでした。
(いつもはどれだけ速く宿題を見れるかが重要なのに)

期待していた通りに、「ごんぎつね」が活躍してくれていますが、同時に責任も重たくなってきます。

こういったことを受けて、よりいい授業をしなくてはなりません。
国語のスキルなんてほとんどもってない私ですので、そろそろ限界が見えてきていますが、がんばります。笑

この時期の子どもたちの「解放感」が危険

2017-10-25 20:46:36 | 学級生活の攻略法
学校は運動会などの秋のイベントも終わり、慌ただし雰囲気も消え去り、落ち着いた時期に入っています。
この時期は、いわば各学級の時間です。
学級で取り組みたいことにじっくり時間を使える、そして学級経営の充実を図ることができます。

クラスによっては遅れていた授業の進呈を取り戻すためにせっせとがんばるところもあり。
クラスによっては長縄の新記録を目指して団結しようとするところもあり。
クラスによってはボランティア活動を新たにスタートして、学校に貢献する姿勢をつくろうとするところもあり。
またあるクラスでは、特に新たな取り組みをするわけではないけど、先生がゆっくり子どもたちと遊んだり、一人一人と話をする機会をつくったり。
そんなところもあります。

それぞれの担任のスタンスや目標に沿って、この時期を有効に使おうとします。

ではこの時期、子どもたちの意識はどうかというと…
一種の「解放感」があるはずです。
大きなイベントが済み、それに充てていたたくさんの時間や、自分の役割がなくなり、身軽になっています。
そうなった子たちの中には、その解放感から望ましくない行動に移ってしまう子もいるものです。
遊びに夢中になって時間を守らなくなったり、注意力が散漫になって物を散らかし出したり。
時には気の緩みから思わぬ怪我人が出たり、あるいは生徒指導的な問題が発生してしまったり。
そんなことが起こりやすいのもまたこの時期の特徴です。

では、担任として心掛けたいことは何か。
その一つとして、こんな時期こそ
「一事徹底」
かなと思います。
あれやこれや問題が起き出してからそれに対処しなくてはならなくなるその以前に、一事徹底を、徹底することです。
その「一事」は、小さなことでいいと思います。
・くつのかかとをそろえる
・引き出しの中をきれいにする
・一人一役を必ずする
・朝のあいさつをしっかりやる
・宿題の漢字を丁寧に書く
何か一つ、とにかく徹底すると決めて、先生はそれをしつこいくらい子どもたちに促し、チェックします。
これは、その一事をやらなきゃいけないからするというよりは、子どもたちにある余計な「解放感」を取り除くためにやるものです。
何か一つ、やらなきゃいけないことに常に目を向けさせることで
「先生はやっぱり厳しい目で僕たちを見てる」
「○年生として、しっかりしなきゃ」
そんな意識を持たせることになります。

この意識こそが、子どもたちを解放感から学校生活の路線を踏み外すこと防ぐ何より大事なことです。

4年生「ごんぎつね」この問いが主人公の人格を際立たせる

2017-10-22 07:15:09 | 授業中の攻略法
4年生「ごんぎつね」
子どもたちの初発の感想から鍵となりそうな言葉を拾い
「おっかあがうなぎを食べたいと言いながら死んじゃった、というごんの想像は事実だろうか」
という問いを、この物語を検討していく第一弾として立てました。
この思いを動機として、ごんはその後の行動に移っているので、ここを深く考えてみることには確かに大きな価値があると考えました。
最初の感想でここに疑問を感じてくれた子に感謝です。

子どもたちには、二択「事実である」「事実ではない」を選び、そこに根拠や理由を示すようにしました。
結果
「事実である」 7割
「事実ではない」 3割
でした。
そしてその根拠や理由が、なかなか面白かったです。

「事実である」
・「貧しい暮らし」をしていた親子だから、うなぎを食べたいと思うのは当然のこと
・雨上がりの危険な川にわざわざうなぎを取りに行っているのだから、それなりの理由があるのだろう
・お母さんが死んだ後、兵十はもううなぎを取りに行かなくなっている(ようだ)

なるほど。
4年生なりに考えてるなと思いました。

逆に
「事実ではない」
・うなぎを食べたからと言って重い病気が治ったり元気になったりすることはない
・最後に兵十が撃ち殺したごんに「ごん、おまえだったのか…」というセリフから、殺したことを後悔してそうだし、だとしたらうなぎはそんなに重要なものではないはずだ
・ごんはひとりぼっちだから、色々と考える時間はたくさんあって、余計な想像も膨らんでしまうんだろう

こちらもなるほど。

これらの意見には、ちゃんと文章中の描写を根拠としているものもあれば、自分なりの想像を加味しているものもあります。
根拠を示している方が説得力がある感じがしますが、しかし4年生です。
想像の話もまた立派です。

さてこの問いは明確な解答はありませんが、いずれにせよ、こんなことを考えるごんという人物の人格は、いたずら好きなのとは真逆に、思慮深いものがあり、思いやりがあり、そして頭がいいように感じられます。
今回、子どもたちが色んな視点からごんの想像を検討する中で、そういうごんの人格が際立ってきたように思えました。

新しいドッジボールのルールを教えてあげた、その翌日に

2017-10-18 20:35:43 | 学級生活の攻略法
クラスの子たちもドッジボールが好きで、昼休みなんかにはよくやっています。
私も一緒にすることが多いのですが、そのときは一切手を抜くことなく、全力で子どもたちを当てまくります。笑

よくあることですが、ずっとやってるとマンネリ化してきたり、一部の上手な子たちだけが活躍する形になっちゃったりして、飽きが感じられるようになります。
クラスのドッジボールもそんな雰囲気が出てきたように私には見えたので、ちょっとしゃしゃり出ました。
「ちょっとストップ!」
通常のルールに一工夫加えることを教えたのです。
「ルールを変えるぞ。あのね~」
そんな感じで、いくつかのバリエーションを教えて、実際に何度かやってみました。

ボール二個のダブルドッジボール
王様ドッジボール
コートの広さに差を付ける男子対女子ドッジボール
アメリカンドッジボール

意外に子どもたちは「初めて」という子がほとんどで、新しいルールが新鮮なようでした。
私も、こんなルールのドッジボールの方が、より多くの子がボールに関われるチャンスが増えるし、好きでした。

しかし…
それを教えた次の日のドッジボール。
私が少し遅れて行ってみると…
やっぱり、相変わらず昔ながらの(通常の)ドッジボールをしていました。
ある子に
「昨日やったダブルドッジボールやんないの?」
と聞いてみると、
「あぁ、なんか、みんなこっちがいいって」
「そうなんだ…」
せっかく教えた私としてはちょっぴり寂しい感じもしました(でも、昨日は結構盛り上がってたのにな…)
って、ちょっと不思議な感じもしました。

しかしこれは、恐らく
「習慣には勝てない」
というものの象徴かなと。
この子たちは、ずーっとこのドッジボールをしてきたわけです。
この4年生になるまでずっと。
その中で、面白いも面白くないも、勝ったも負けたも、繰り返し経験してきて、それがびっちりと身についています。
そして
「ドッジボールとはこういうものだ」
と、確立されています。
それがこの子たちの習慣であり、文化なのです。

とそこに急に現れた新人(私)が、新たな文化を持ち込もうとしたわけです。
いくらそれに魅力があったとしても、これまでの文化がいとも簡単にそれに取っって変わることは、滅多にないことでしょう。
そう考えれば、この子どもたちの行動に納得がいきます。
子どもたちは純粋だから、なおさらそうなのでしょう。

もし、本当に私がドッジボールに変化を起こしたければ、さらに長い時間この子たちとノーマルなドッジボールをすることが必要でしょう。
そして子どもたちの外からでなく、内から変化を起こそうとすることでしょうね。
間違っても、先生という地位を利用して、強制的に変えていくことはなってはなりません。
これでは単なる侵略者です。