小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

教育課程会議2回目「5時間授業後給食」という私の提案の行方は

2017-12-29 22:55:41 | 学級生活の攻略法
2回目の教育課程編成会議がありました。
1回目の前回がグダグダだったことはこないだ書きましたが…
今回のスタート時に、提案する教務の先生がこう切り出しました。
「前回はろくな準備もしないまま、唐突に色んな提案をしてしまって申し訳ありませんでした」
という謝罪でした。
(あ、分かってたんだ)
とにかく「準備不足」と私は感じたのですが、当の本人もそれは分かっていたようで、少しホッとしました。
「何が足りないか」も分かってないまま突っ走られることほど迷惑なことはありませんからね。

それで、今回は前回の遅れを取り戻すような資料がいくらかは準備されていました。
提案のメリットを裏打ちする「具体的なデータ」がありました。
この準備は簡単にはできないことは私も多く経験してきましたので、今回に向けた教務の先生の努力を垣間見るような気がしました。

そして、肝心な提案の中身ですが…

そこには正直、多くの物足りなさを感じてしまいました。
本来、教育課程編成とは来年の学校の姿を描くことです。
それは創造的な作業であり、好奇心を刺激するような作業でもあります。
「もっとこんなことしたら子どもたちは喜ぶんじゃないかな!?」
「もっとこうしたら私たちは働きやすくなるはず!」
みたいなチャレンジができるチャンスの時です。
だとすれば教育課程編成とは
「わくわくするような作業」
であるはずです。
私はいつもそう思ってこの時期は仕事をしていました。

しかし、ここでの作業には
「わくわく」しません。
はっきり言って、教務の先生が明らかに数字に追われています。
時数という数字と、編成日程(締切)という数字に。
これらに追われながらの提案であることが露骨に伝わってくるので、こちらも身動きが取りにくいです。

実は前回、私なりに「わくわくする」ような提案を1つしました。
「短縮校時を工夫して放課後の時間を長く確保できないか」
という話題だったので
「40分授業にして、さらに午前中に5時間目までやるっていうのはどうですか?」
と。
この途方もない私の提案にみんな盛り上がりました。
そして今回どう処理されるのかと思っていたら、あっさり却下されていました。笑
そんな勇気は教務にも管理職にもなかったようです。

とりあえず私にとって1年目の教育課程編成は低調な感じで進みそうです。
私もこれに関しては一歩引いたところから見ておくぐらいでいようと思っています。

しまった!クラスでこの話題はまずかった!

2017-12-26 22:33:29 | 学級生活の攻略法
クリスマスなので、ふとクラスで「サンタクロース」の話題になりました。
「先生、サンタクロースって本当にいるんですか?」
「もちろんだよ」
4年生です。
純粋な質問にはストレートに答えるようにしています。
「ぼく、去年は1輪車が届いた!」
なんてプレゼントの話題に。
「うちはいつも朝起きたら枕の上に置いてあるの!」
「うちも!」
みたいな。
口々にみんな自分ちのクリスマスエピソードをしゃべりだして、クラスはヒートアップしてきました。
うるさいですが、うれしい話題です。
少しの時間ぐらいいいかなと、私もにこやかに聞いていました。
すると、やかましい声の中からふと、

「うちサンタ来ない」

という声が。
(…サンタでなく、親に買ってもらってるパターンかな?)
と思ってその子の話を聞いていましたが、どうやらそれもないようで、この子にはクリスマスにプレゼントが届くということはないのでした。

(あら。そんな家もあるのか…)
と聞いていると
「うちも来ないよ!」
と向こう側から。
「うちも最近来ない」

(えっ)
これはまずいと思いました。
この子たちにとって今の時間は苦痛以外の何でもないはず。
早くヒートアップした話題をやめさせなくては。
「はい!そこまで!おしまい!」
明らかに慌てた声で不器用に子どもたちを黙らせました。
うれしい話題に浸っていた子たちは、ちょっとしょんぼり。
始めからこの話題をクラス全体でするべきではなかったのです。
私のミスです。

担任をしていると、時折こういう場面には出くわします。
子どもの数ほど、家庭の事情はそれぞれで、そこにはデリケートなものも含まれます。
・経済的なこと
・家族構成のこと
・思想的なこと
・経歴的なこと
・家庭ごとの子育てのスタンス的なこと… など
プライベートな話をしようとすると、結構すぐにこういった話にも触れてしまうことがあるので、担任はそこに敏感である必要があります。

特に「最近は」でしょうか。
そういった先生の無神経さによる子どもの人権侵害に厳しい目が一層向けられるようになりました。
(時に大きな事件として取り上げられることもあります)
また同時に、上に挙げたようないろんなことに関する家庭ごとの差が大きくなっているようにも思います。
日本の家庭も画一的ではなくなってきたということです。
特に経済面に関しては「格差」が広がっていると言われていて、日本においてもいわゆる「貧困層」が増えていると言われています。

今回のクリスマスの話題で私も実感したような気分です。

どうすれば確実に学習道具を持ち帰らせられか

2017-12-24 10:47:41 | 学級生活の攻略法
学期末ですので、子どもたちには教室に置いている色々な学習道具を持ち帰らせなくてはいけません。
絵の具や習字道具や図工の作品や。
まとめると結構な量になるので、こまめに計画的する必要があります。
「終業式にまとめて」パターンは避けたいですね。笑

じゃあどうすれば計画的に、抜かりなく持ち帰らせることができるか。

A「各自、計画的に持ち帰りなさい」
→これだけの指示では荷物がなかなか減らないことは明らかでしょう。

B「今日は絵の具を持って帰りなさい」
→先生の方で持って帰る物と日を指定します。
でもこれでもうっかり忘れる子はいるはずです。

C「今日は絵の具を持って帰りなさい」+板書
→帰りの会のときに指示に加えて黒板にそれを書きます。
Bよりも達成率は上がりそうです。

D「これを持ち帰ります」+物を前に並べる
→各自の棚にある物を、持ち帰らせる際には教室の前に持ってきて並べます。
こうすると取り忘れる子は一目で分かるので、全員持ち帰りがかなり期待できます。

こんな感じでしょうか。
だからDほど確実でいい方法であることは間違いないのでしょうが…

でも逆に言うとDじゃないときちんと持ち帰れない子どもっていうのは、やっぱりよくないということなわけで…
荷物を確実に持ち帰らせるために必ずDをする先生はいい先生でもあるのですが、その先生もいつまでもDを変わらず繰り返していてはいけないんだろうと、思うのですが。
さらに言えば、Aしかしない先生はちょっと配慮が足りないと言わざるをえないのですが、でももしAだけで荷物を持ち帰ることができる子たちになったら、それは立派なことだし、ならば先生も子どもも将来的にはそこを目指さないといけないんだろうと。
もっと言えばAすら言わなくても持ち帰る子になれば、すごいことです。

なんというか
「先生が丁寧にするほど、子どもは育ってない」
「先生が手を抜くほど、子どもが育つ」
のような、ある種の矛盾みたいなものでしょうか。
私が自分のクラスの荷物を考えているとき、ふとそんなひねくれたことを思いついてしまいました。

ドッジホール大会 決勝戦の相手がまさかの

2017-12-20 22:53:52 | 教師力UPの攻略法
地区のドッジボール大会がありました。
我がクラスから出場したチーム、なんと優勝してしまいました!
よく練習をがんばっていたし、私も力を入れて指導し、そこそこの力はついてきたた思ってはいましたが、まさか優勝できるとは。
ビックリです。
「中学年リーグ」で数十チームが出場するとても大きな大会です。
もちろん他にも強いチームはたくさんありましたが、その中で1番になった我がクラス、正直、見直しました。(笑)
物怖じしない明るさ、ピンチにも揺るがないガッツ、声を出し続ける集中力、そういったものがチーム全体に一貫してあったように思います。
優勝旗やトロフィーやボールやメダルや色々ともらって子どもたちは大喜びでした。
保護者には泣いてる人もいました。
私はこの日ばかりはと、子どもたちをめちゃくちゃにほめてあげました。

しかし…
嬉しい嬉しいこの優勝ですが、これにはある特殊なエピソードがついてしまいました。
それは、なんと決勝の相手がお隣のクラスだったのです。
毎日学校では一緒に練習してきたお隣のクラスだったのです。
仲良しでもあり、ライバルでもある関係でした。
担任は私がいつも見ている若い初任者先生です。
彼女にとっては初めてのドッジボールなので、ルールから私が一から教えてきました。
お互いに力を付けてきて、
「一緒に優勝を争えたらいいね」
なんて言ってはいましたが、まさか本当にそうなるとは。
お互いが準決勝を勝利し決勝で当たることが決まったときにはみんな大喜びでしたが、私はやはり内心複雑でした。
しかし当然そんな様子は子どもたちに見せることなく、いつものように全力で戦おうぜと送り出しました。

そして決戦。
内容はというと、我がチームが「圧勝」しました。
「圧勝」してしまいました…。
公式ドッジボールをご存知の方ならこの「圧勝」の意味が分かるかと思います。
終了ブザーとともに、歓喜の我がクラスと、号泣のお隣クラス。
スポーツの世界だから、勝負は勝負。
あっさりとこんなもので、終わればリセット!でいいんだと私の中で思おうとする反面、やはり…

私は学年を経営する立場でもあるという意識がこんな所に介入してきて、
「本当にこれでよかったのか!?」
と自問自答してしまいます。
決勝の舞台で試合を操作することはできないにしろ、ここに至るまでの練習で、もっと隣のクラスをサポートできたのではないか、するべきだったのではないかと。
もちろん我がクラスの勝利は心から嬉しいのはそうなのですが、あの「圧勝」の形があまりにも強烈で…
私の指導が2つのクラスの溝を深くするような結果につながってしまったような気さえしてきます。

いや、それはあまりにも自意識が過剰でしょうか。
結果はスポーツらしく自然なことであり、素直に受け入れたらそれでいいのでしょうか。
しかし、初任先生にも申し訳ない気もして…

悶々とした結末です。

割り算の問題をあえて「ジュース」の問題にした理由

2017-12-16 20:35:11 | 授業中の攻略法
4年生算数「小数のわり算」で、「割り進める」場面の授業をしました。
教科書の問題では
「リボンを等しい長さで分ける」
となっていましたが、私は
「ジュースをみんなで等しい量に分ける」
問題に変えました。

そして実際の授業。
2.3リットルのジュースを5人で分けます。一人分は何リットルでしょうか?
式「2.3÷5」を計算すると、子どもたちは
「あ、割り切れない」
「あまりがでる」
「あまり3だよね」
「え?0.3じゃないの?」
みたいな反応がすぐに出ました?
ここまでの割り算がなかなか定着していることの表れです。

さて、大事なのはここからです。
どうやって「割り進める」発想へとつないでいくか…
というところで、出ました。
出てくれました。
神の一言が。

「でもジュース余らせたらもったいな~い!」
やんちゃぼうずが声を張り上げました。
そうです。
このために私はリボンじゃなくてジュースの問題にしたのです。

「おぉ!そうだよね!じゃあ何とかジュースを余らせずに全部分けてしまう方法ってないかな!?」
と私がつなぎ、うれしいことに割り進める方法へと展開できました。
めでたしめでたし。

…しかし、一つおまけがついてきました。
最後にある子が言いました。
「先生、じゃあジュースの問題だったら割り進めるを使えばいいんですね?」
笑っちゃいましたけど、でもこの発想も大事ですよね。
どんな問題の時にどんな方々を適用させればいいかを、自分で判断基準をもつということ。
これは高度なスキルでもあります。
「ジュースだったら」というのはかわいいですが、あながち、変なものではありません。