湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

作詩にあたっての十個条第九条

2016-03-07 09:57:53 | 
金子光晴「作詩にあたっての十個条」から第九条を引用します。  

作家は、書くことによって、旧套から脱し、新境地をひらくことができるので、けっして、手をこまねいて考えていたのでは成長できないこと。
 作品をかずおおくよむことも、勉強にはちがいありません。たくさんよんで、経験をつみ、他人の作品を比較し、優劣を批評できるようになることも無用ではありません。ことに、批評家をこころざす人たちは、よむことが第一の修業です。しかし、作品をつくる人は、よむだけでは、すこしも進歩しないどころか、批評眼ができるにしたがって、じぶんの書くものがばからしくなり、気むずかしさが先に立って、だんだん書くのがいやになります。
 作家が成長するには、書くよりほかに道がないのです。できれば、むやみに書きまくるだけでなく、注意ぶかく自省し、書いたあとで、一ヶ月でも、二ヶ月でもたったあとでよみかえしてみて、欠点をさがし、その短所のよってきたる原因を見とどけ、じぶんなりの克服の道を発見してゆくというのが、もっとも効果的だと思います。じぶんの書くものに、はじめからうんざりしながらでも、書きつづけることでわかってくることがいちばんの早道なのですから、それを怠ってはなりません。
 書くたびに、じぶんの作品が満足できず、書いたときは気負っていても、すぐ欠点が目につきだし、じぶんは才能がないのかもしれない。やめてしまおうかと思うようなことは、だれにでもあることです。そのとき、やめてしまえばそれは、それきりの話ですが、じぶんの作品にほれこめないということは、まだまだ進歩する前提ですから、じぶんの作品にうぬぼれて、他人の批判を聞こうとしない人よりも、脈があるのです。じぶんの作品に満足できないのは、じぶんからそう感じる場合と、他人から指摘されて、気のつく場合とがあります。ですから、他人の批判は、どんな批判でも、虚心にきくことがたいせつです。先輩の忠言ならば、なおさらです。しかし、他人の批評をまるのみにして、創意を失うのも、賢明ではありません。他人の批判のよってきたる理由をじぶんで解明し、従うべきものは従い、その必要のないものは捨てるだけの、自己の見識をもっていなければなりません。


最後の段落は、湘南文芸の合評会に作品を出し出席する時にとるべきスタンスそのものです。
そして会で受けた批評を糧に創造力を高めていくためには「うんざりしながらでも、書きつづけること」も必須ですね。

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