艶めかしい墓場 萩原朔太郎
風は柳を吹いてゐます
どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。
なめくぢは垣根を這ひあがり
みはらしの方から生あつたかい潮みづがにほつてくる。
どうして貴女はここに来たの
やさしい 青ざめた 草のやうにふしぎな影よ
貴女は貝でもない 雉でもない 猫でもない
さうしてさびしげなる亡霊よ
貴女のさまよふからだの影から
まづしい漁村の裏通りで 魚のくさつた臭ひがする
その腸は碑にとけてどろどろと生臭く
かなしく せつなく ほんとにたへがたい哀傷のにほひである。
ああ この春夜のやうになまぬるく
べにいろのあでやかな着物をきてさまよふひとよ
妹のやうにやさしいひとよ
それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 真理でもない
さうしてただなんといふ悲しさだらう。
かうして私の生命や肉体はくさつてゆき
「虚無」のおぼろげな景色のかげで
艶めかしくも ねばねばとしなだれて居るのですよ。
この詩の舞台は、海浜の「薄暗い墓地」である。この情景には、かつてエレナが転地し、作者も訪れたことのある湘南地方のそれが投影しているであろう。また、ここでいう「春夜」は、晩春・初夏を思わせるもので、エレナの死んだ五月が意識されていたとも思われる。
柳が風になびく陰湿な海辺の墓地という、格好の舞台に、「貴女」の「亡霊」が登場する。亡霊は「あでやか」で、「なまぬるく」、「妹のやうにやさしい」。そのように妖しい存在でありながら、それはまた、いかにもおぼろげで、とらえにくい。そのことを、多用されている反復法の修辞が、リズミカルに興趣を高めつつ、効果的に強調する。 (鈴木亨「現代詩鑑賞 20人の詩人たち」より)
エレナの実名は、馬場ナカ(仲子)。前橋市の女子の名門校であるミッションスクール共愛学園で妹のワカ(若子)と同級生でした。朔太郎が前橋中学校4年時に落第したのは、文学への傾倒とナカとの恋愛のせいだといわれています。
しかしナカは朔太郎が岡山の第六高等学校(旧制)在学中の明治43年に、20歳で高崎市の医師に嫁いでしまいます。そして結核を病み転地療養。その先に朔太郎は何度か訪ねて行っています。彼女は大正6年5月、転地先の鎌倉市外腰越(七里が浜付近)で病没。享年28歳でした。その後この詩が書かれ、詩集「青猫」に収められました。
それはたしかに非倫理的な、不自然な、暗くアブノーマルな生活だつた。事実上に於て、私は死霊と暮して居たやうなものであつた (萩原朔太郎「青猫を書いた頃」より)