昨日投稿したのは東勝寺橋にまつわる青砥藤綱のお話でした。そこまで行ったらすぐ近くに東勝寺跡があるじゃないか
ということで、少し坂をのぼって行ってみると祇園山ハイキングコース入口にあたる所にありました。今はただ夏草が生い茂っていますが、北条氏の氏寺だったと共に山城としても機能していたというわけですね。
「太平記 巻第十 関東氏族并びに家僕等打死の事」から一節。
塔の辻にて馬より下り、空しき跡を見廻せば、今朝までは奇麗なる大廈・高蔣の構へ、たちまちに灰塵となつて、須臾に転反の煙を残し、昨日まで遊戯せし親眤・朋友も多く戦場に死して盛者必衰の尸を余せり。
さらに奥に行った左手には、北条高時の墓とも北条一族自刃の場とも伝えられている腹切りやぐらがありました。
草の緑目に沁み込んで武家の古都
夏草の盛んな緑だけでなく汗も目に染み込んで痛かったんですけど、猛暑の中でしばし、もの悲しい気分に浸ったのでした。
ちなみに、というかおまけで、六地蔵にある文学案内板もご紹介しておきます。
ということで、少し坂をのぼって行ってみると祇園山ハイキングコース入口にあたる所にありました。今はただ夏草が生い茂っていますが、北条氏の氏寺だったと共に山城としても機能していたというわけですね。
「太平記 巻第十 関東氏族并びに家僕等打死の事」から一節。
塔の辻にて馬より下り、空しき跡を見廻せば、今朝までは奇麗なる大廈・高蔣の構へ、たちまちに灰塵となつて、須臾に転反の煙を残し、昨日まで遊戯せし親眤・朋友も多く戦場に死して盛者必衰の尸を余せり。
さらに奥に行った左手には、北条高時の墓とも北条一族自刃の場とも伝えられている腹切りやぐらがありました。
草の緑目に沁み込んで武家の古都
夏草の盛んな緑だけでなく汗も目に染み込んで痛かったんですけど、猛暑の中でしばし、もの悲しい気分に浸ったのでした。
ちなみに、というかおまけで、六地蔵にある文学案内板もご紹介しておきます。