575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

若狭の海幸山幸物語⑩ ~山幸彦が乗った竹籠~竹中敬一

2018年04月27日 | Weblog

若狭彦姫神社に伝わる「秘密縁起」に出てくる海幸山幸神話にもどります。
今回とりあげるのは、兄、海幸彦から借りた釣り針を失って、山幸彦が海辺で
途方に暮れているところへ一人の翁(おきな) が現れるシーンです。

若狭彦姫神社に伝わる「秘密縁起」の記述では「薄い黄色の直垂(ひたたれ-
上衣とハカマからなる衣服)を着た一人の浦人が簀(あじか)というザルのような
竹籠を杖に掛け、肩に担いで現れた。」とあります。(写真)
「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)絵巻」では、この翁が山幸彦に
"私がよい工夫をしてあげましょう" と言って、簀(あじか)に乗るようにと
促しています。(写真)

この乗り物をめぐって、神話学者の間では長年、色々と議論されています。

「古事記」では、「すなはち无間勝間(むなしかつま)の小舟(をぶね)を造り、
その舟に載せて…」とあります。岩波文庫「古事記」の注釈によると、
无間勝間とは、目が堅くつまった竹籠の小舟のことで、今でもヴェトナムでは
細い竹で編んだお椀型の小舟が用いられているそうです。

江戸中期の国学者、本居宣長はその著「古事記伝」の中で、勝間(かつま)は、
堅津間(かたつま)の約(つづ)まったもので、編んだ竹と竹の間が堅く蜜(つま)って、
目の無いことを云うと述べています。
また、本居宣長は小舟(をぶね) について、必ずしも船の形に造られたものだけを
云うのではなく、形はどうであれ、乗って水に浮かぶものを船であるとしています。
これらの記述から、山幸彦を乗せた小船は、水平に進んだとする説があります。

「日本書紀」に出てくる山幸彦の乗り物について見てみます。まず、本文では、
無目堅間(まなしかたま) とあり、「古事記」の記述と同様、目が堅くつまった
竹籠ということになります。ところが、一書(あるふみ)の第一の中で、無目堅間と
並んで大目麁籠(おほまあらこ)という乗り物が出てきます。大目麁籠とは目の荒い
籠のことで、「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)絵巻」に描かれている簀
(あじか)と同じようなものです。
目があらい竹籠なら当然、垂直に海底へと沈んでいきます。ところが、大目麁籠は
竹製の筏(いかだ)であり、山幸彦の乗り物は水平に進んだとする神話学者もいます。

山幸彦は、小船に乗って、水平に進んだのか、それとも、ザルに似た竹籠で海底に
沈んだのか。龍宮城は海の向こうにあるのか?あるいは海底にあるのか?私たちが
読んだ絵本では、海の底にあることになっています。

昭和の中頃まで、学者の間で神話の根幹に関わる問題だとして、議論されており、
次回その顚末をお伝えします。


写真は若狭彦姫神社に伝わる「 彦火火出見尊 (ヒコホホデミノミコト ) 絵巻
を筆者がエンピツで模写。
翁の勧めで山幸彦は竹カゴに入り、眼を閉じているところ。この後、竜宮へ。



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