575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

ブラレイコ 岩崎城編  麗 

2018年04月05日 | Weblog
ふと思い立って、郁子さんの車で日進市にある岩崎城に行きました。ブラタモリならぬブラ麗子&郁子。

今から400年以上前の1584年、犬山市楽田にいた秀吉方と、小牧城にいた家康方は膠着状態にありました。

このにらみ合いを破るべく「三河中入り」という作戦を池田恒興は秀吉に提案します。
家康に見つからないように岡崎城に攻め込み、家康を小牧から岡崎に帰らせて、秀吉軍を有利にさせる作戦です。

恒興隊は岡崎への進軍の途中、徳川方の岩崎城の近くを通りかかります。岩崎城には城主の留守を預かる
弟の16歳の丹羽氏重がいました。
進軍を食い止めようとした氏重。懸命に戦いますが、
7000名の恒興隊に対し、岩崎城の兵はわずか300名。全員討ち死に4月9日、落城となりました。

この「岩崎城の戦い」で氏重は亡くなりましたが、家康はその後の長久手の戦いに勝利し、城主であった兄の丹羽氏次は家康のもとで活躍し、関ヶ原の戦い以降は豊田市で一万石の大名になりました。

岩崎歴史記念館には優しい学芸の方がいらしゃいました。
小牧・長久手の戦いというが、実は愛知・岐阜・三重三県にまたがる大きな戦いであったことを教えてくださいました。

そして、私は今、小牧に住んでいるのでこの長久手まで車で1時間足らずで来たことがなんだか申し訳なく、6世紀の古墳も出土する岩崎城が戦国の歴史の舞台であったことを初めて認識しました。

ちなみに池田恒興はその後、長久手古戦場で殺されています。

さて、ブラレイコ。次回はどこになるのか?歴史の旅に時々出かけたいものです。

              戦国の亡者も集う桜かな  麗
コメント (1)
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