575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

わが耳の闇に届かぬ蝉時雨   等

2016年09月03日 | Weblog
人は誰も心のなかに闇を持っています。
それを聴覚という感覚の闇と捉えて詠んだ点が秀逸です。
様々な文脈のなかで様々な読み方を許容する句でもあります。

能登さんの句。

  問われたる琉球処分蝉時雨

と対(つい)にして読むと今日的な意味も持ってきます。

耳の闇という言葉から思い出したのは、
「見れどもみえず聞けどもきこえず」というコトワザ。
父がよく言っていた言葉のひとつです。
調べてみたら、出典は四書五経のなかの『大学』でした。

「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味」

(心、ここにあらざれば、視れども見えず、
     聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず)

どんなに騒がしい蝉の鳴き声も、私の耳の闇には届きません、
という句は、『大学』よりも文学的で素敵です。

今は四書五経といっても理解されないかな?  遅足

コメント
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