ノープロブレム・ダイアリー

何があっても気にしない。
ノープロブレムでお気楽にいきましょう。

みんなでわけあえばできること

2011年03月22日 | Weblog

あの地震から10日。

余震に怯えた夜が数日続き、緊急地震速報メールに起こされる夜も、ようやく収まりつつある。

(マナーモードにしていても鳴り響くので、心臓に悪いです

低層階や一軒家なら気にならない程度の揺れは、相変わらず毎日あるのですが、

たぶんほとんどの人は感じていないんだろうなぁ。。。。

東京の街は、停電や節電、鉄道の運行状況などで、以前の街とは違っているものの、

一応、普通に生活できるし、買い物だって、贅沢をいわなければ普通にできる。

 

 

テレビ番組も、ようやくニュース以外のものが戻ってきて、限りなく日常に近くなってきた。

あの衝撃的な映像を繰り返し見せられて、ちょっと挫けていたのだが、

いつまでもふさぎ込んではいられないよね。

私は私で、できること、やれることをしなくっちゃ。

 

 

こんなの見つけました。

         

     

協力しましょう。

 

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電力がらみで・・・・

2011年03月21日 | Weblog

福島原子力発電所が、あんなことになってしまったんだから、

電力が不足しているというのは理解できる。

節電してほしいという訴えもわかるし、計画停電するというなら、それも仕方ないと思う。

 

ただ、少しわからないところがあるので、もしご存じの方がおられたら教えてほしい。

 

 

1年で一番電力需要が多いのは、夏だ。

記憶する限りでは、8月のお盆の時期の午後2時頃だったと記憶している。(違う?)

電力会社は、その最大電力需要にあわせて、電力を供給している。

最大需要をきちんと賄えるだけの発電量を持っているのだ。

(真夏に停電なんてなかったでしょ!)

 

発電所は、1年に1回、定期点検を行っている。

安全・確実に発電するためには、それは必要なことだ。

多くの発電所では、夏に稼働させるため、電力需要の少ない冬などを定期点検の時期にあてている。

 

今、現在、定期点検中の発電所があったことは当然のこと。

福島原電の不足分をすぐに補うことができなかったのは、仕方がないと思う。

 

だが、地震から10日たった。

未だに電力が不足して計画停電というのは、少々疑問だ。

火力発電所をフル稼働すれば、この時期は乗り越えられるのではないのかしら?

 

 

節電は大切なこと。

都心の駅や構内は、見事なまでに節電しているが、だからといって不快感はない。

むしろ、これだけできるなら、ずっとこのままでもいいのに・・・とすら思う。

 

だが計画停電というのは、いつまで続けるつもりだろう。

都心だけ停電がないというのも、なんだか不思議な気がする。

 

どなたか、わかるように説明してくれる人いませんかねぇ。。。

 

 

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原子力のこと

2011年03月19日 | Weblog

結婚するまで、某大手企業が出す冊子の編集を担当していました。

 

 

 

地元の電力会社です。

 

一般の方に対し、会社が行っている事業や発電所、原子力発電のしくみのこと等を

 

わかりやすく説明する冊子を作っていました。

 

 

 

各地の発電所にも取材に行きました。

 

もちろん原子力発電所にも。。。。。

 

稼働している発電所もあれば、定期点検中のもの、建設中のものもありました。

 

技術面を頭で理解していましたが、本物のあまりも巨大な設備に圧倒されたことも度々です。

 

 

 

当時は、原子力反対派の方達の運動が盛んになっており、

 

時には、集団で本社前に集合して「原子力反対!」のシュプレヒコールもありました。

 

反対派の質問(詰問?)にも、真摯に答えていた社員の姿を何度も見ました。

 

 

 

電力会社の方たちは、一人一人、本当に素敵な方たちでした。

 

お役所的な会社ですから、事なかれ主義の公務員のような方もおられましたが、(比喩が悪い!?)

 

現場におられたほとんどの方が、自分の仕事に誇りを持って、使命感に燃えていらっしゃった気がします。

 

特に発電所の取材に行くと、目を輝かせて話してくださる方達が大勢おられました。

 

 

 

会社は違いますが、きっと東京電力の方も同じだと思います。

 

 

 

特に今、福島の発電所におられる方達。

 

考えもしなかった事態に、不眠不休で働いておられるのではないでしょうか。

規定以上の放射線を浴びながら、それでも仕事を投げ出すことなく勤務されているのでしょう。

 

 

 

超大型の地震や津波など、おそらく想定外。

 

あの堅固な原子力建屋が壊れるなんて、誰が想像したでしょう。

 

 

 

東京電力の原子炉は、沸騰水型原子炉というものです。

 

私が知っているのは西日本で採用されている加圧水型原子炉だったので、

 

少し形が違うのですが、安全性への考えは同じだと思います。

 

止める → 冷やす → 閉じ込める

 

 

 

あの地震と津波でも、きちんと止めることができました。

 

当然だという方もいるでしょうけれど、きちんと止められるというのも一つの技術です。

 

 

 

冷やすこと、閉じ込めることが完璧にできなかったのが現状なんだと思います。

 

 

 

閉じ込めるための「五重の壁」という言い方があります。

 

原子炉の中で発生した核分裂生成物が外部に出ないための対策です。

1 ペレット 2 燃料被覆管  3 原子炉圧力容器  4 原子炉格納容器  5 原子炉建屋

5つの壁で閉じ込める工夫がなされていました。

 

 

5番目の壁である原子炉建屋は、厚さ約1メートルのコンクリートでできていたはずです。

 

その建屋の屋根が吹き飛ばされました。

 

どれほどの威力だったのかが、うかがい知れます。

 

 

 

 

 

放射線の問題もあります。

 

確かに目に見えないものだけに怖いです。

 

 

でも今は、健康に被害が出る量かどうか、専門家に任せて、

 いたずらに不安を煽るような報道だけはやめてほしいと思います。

 

 

海外の報道を見ていると、日本の電力会社は、本当によくやっている・・・と言われています。

 思いもしなかった事態にも、きちんとその都度、適切な対処をしているということです。

 記者会見の席で疲れ果てている担当者の姿を見ると、お気の毒になってしまいます。

 

今はただ、電力会社、自衛隊、機動隊、現地で懸命に任務にあたっている方達の

命をかけた仕事を、見守り、無事を祈りたいと思います。

 

 

誰一人、今回のことで傷ついたり、命を失ってほしくありません。

 

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いろんな爪痕

2011年03月17日 | Weblog

高層ビルで体験した“震度5強”は、いろいろなところに爪痕を残しました。

 

 身体的には、いわゆる“地震酔い”という状況。

大きな地震を体験し、余震も頻繁に感じているうちに、揺れてなくても体が揺れている気がする…という感じです。

普通に地面を歩いていても、「あれ?揺れてる?」と感じてしまって、不安定で仕方ないです。

ネット上でも、いろいろ対処法がでています。ご参考までに。

地震対処法まとめ

 

 

物品的には、壊れた食器類、床や家具の傷。

独身時代から食器類は大好きで、結婚してからもオットと二人で集めて楽しんできたものが、

すべて陶器のかけらとなりました。

バカラ、マイセン、ロイヤルコペンハーゲン、ジノリ、ウエッジウッド etc....

金額的にも悲しいものがありますが、旅行や駐在中の愉しい思い出も一緒だったので。。。。。

 まぁ、2度と手に入らないというものではないので、諦めるしかありません。

 

 

精神的には・・・・なんだか一人で行動するのが怖くなってます。

一人で家にいるのが怖いって感じかな。

チョビを一人家に残すというのも嫌だし。。。。。

地震以来、出かける時は、必ずチョビを連れまわしている・・・という感じ。

チョビも私を一人にするのを危ないと思っているのか、自分が一人残るのが嫌なのかはわかりませんが、

とりあえず付いてきてくれるので、荷物持ちさせたりしながら一緒に行動しています。

来週、一人で帰省するつもりでいたのですが、思わずチョビのチケットもとりました。

オットが一人・・・というのが気になりますが、まぁ、彼は大人なので。

 

地震の夜、歩いて帰ってきてくれたオットは、週末も大活躍で、

家中の片付けをほとんど一人でやってくれました。(役立たずの私。。。

出張で2日家をあけたものの、翌日は会社を休んで、家具の固定をしてくれました。

オットの有難さを再確認した日々でした。

彼が一緒にいるだけで、チョビも私も落ち着いて暮らせるんだ・・・・と改めて思いました。

 

 

 

ニュースの映像から目がそらせなくて、でも見る度に悲しく、苦しくなって、

どうにもやりきれない毎日でした。

ある方のブログで、やはり同じように思い、とうとう眩暈までおこされて病院に行ったと書かれていました。

お医者様に、「ニュースは1日3回で十分。普通に生活するのが一番なんだよ」と言われたとあって、

思わず、そうか・・・・・

確かに、悲惨な状況は変わらないし、悲しい現実、不安な日々は、まだまだ現在進行形だけど、

皆が皆、悲しんでばかりもいられません。

私たちは、生きていかなければならないのですから。。。。

自分たちにできることを少しずつやっていくしかないんですよね。

(今のところ、無駄な買占めをしない、節電する、募金をするぐらいしか思いつかないですが。。。)

 

 

被災地から発信されているブログもあります。

確かに現実は厳しいけれど、皆さん希望を持って生きています。

日本中から、世界中から、支援の手が続々と差し伸べられています。

私にできること、ちゃんと考えていきたいです。

 

                                 

チョビの卒業式は、延期になりました。

こういう卒業も、記憶にとどめておきましょう。 

 

                                  

 

 

追記ですが。。。。

実はパソコンも壊れました。

液晶部分に傷がつき、画面が見えなくなったのです。

幸い中身は無事だったので、新しく外付けのモニターを購入して、パソコンとしての機能を継続しています。

1か月ほど前に購入したパソコン、液晶を修理するのに8万円。。。。。

それはありえないでしょ~~

外付けモニターは2万円。

痛い出費です。。。。。

 

 

 

 

 

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地震の日・・・

2011年03月15日 | Weblog

なんだか怒涛の数日を過ごしています。

書きたいこともたくさんあったはずなのに、どうまとめていいのかわからず、途方に暮れています。

テレビの映像を見ると、悲しすぎて、心のバランスも取れなくなりそうです。

 

                                

 

地震の時、チョビは在宅しており、私も夕食の準備に出かけようかな~~と着替えを終えたところでした。

突然の揺れに驚いて、それでも最初は、そのうち収まるだろう・・・と思っていたのですが、

ぐわんぐわんの大揺れになって、ソファにつかまって立っているのがやっとでした。

目の前で本棚の本が崩れてきたものの、無造作に突っ込んだものだったので、

「これだけ揺れれば、そりゃ落ちるよ。。。」と判断する冷静さもまだ残っていました。

 

揺れがますます大きくなり、大声でチョビを呼ぶと、チョビは玄関のドアを開けてくれていました。

とりあえず出口は確保・・・ということで、私も大慌てで玄関へ。

大きな物音がしていたものの、何がどうなっているのかわからず、ただ玄関で踏ん張っていました。

 

ようやく揺れが収まったものの、家中を見回して、茫然。。。。

 

キッチンにあった食器棚が倒れ、中の食器が全部滑り落ちて、斜めになって止まっていました。

本棚の本もすべり落ち、リビングの食器棚から食器が落ちて、

お気に入り食器が全滅。

オットが大切にしていたCDもすべて床に滑り落ちています。

 リビングの床は足の踏み場がない状態。

 

我が家は13階ということもあって、大きく揺れたんでしょう。

大きな家具は、倒れないように工夫してあったので、その程度ですんだのかもしれませんが、

私としては、かなりショック。

 

余震も半端なく揺れるので、怖くなって、チョビと2人、13階から階段を降りていきました。

しばらく道路近くにいたものの、余震がまだあり、家に帰る気になれません。

幸い近所に都の大きな建物があるので、ひとまずそこへ避難。

帰宅困難者もつめかけ、毛布を貸してもらい、食事もすることができました。

 

 

オットは千葉の高層ビルで地震にあい、立っていられないほどの揺れを感じたそうです。

会社にいても、揺れが気持ち悪いし、心配だから歩いて帰る・・・と連絡をくれました。

会社から我が家まで、直線で歩くわけにはいきませんから、

結局30キロ近くを7時間かけて歩いたことになります。

オットの姿を見た時は、本当に安心したというか、ホッとしました。

 

夜中の2時過ぎに自宅に帰り、片付けもそこそこにベッドにもぐりこみました。

(ベッド周辺は無事だったので)

 

長い長い1日でした。

都内ですが、古い建物は壁が崩れ落ちたり、地面の部分が浮いていたりして、

危険・立入禁止となったところもあります。

 

地震直後から、心配してメールをくれた両実家や義姉、弟夫婦、友人、知人達。

本当に嬉しかったです。

阪神・淡路を体験した友人達は、他人事とは思えなかったようです。

 

 

チョビが家にいてくれたこと、オットが歩いても帰ってきてくれたことで

家族が比較的早い時間に一緒になることができました。

地震直後に連絡がついていたことで、無事もわかっていましたから、

とりあえず落ち着いて待つことができました。(余震は怖かったけど)

それぞれが別の場所で被災した方は、どれほど不安な夜を過ごしたことでしょう。

 

 

 

そして、本当に被害を受けたのは、東北の方々。

翌日からのテレビの映像は、あまりに悲しくて、直視するのが辛くなってきます。

 

                          

 

頑張ってください、そんな言葉さえ空虚です。

それでも、どんなに辛い状況になっても、私たちは生きていかなければなりません。

困難に立ち向かう勇気を持ち続けて、生きてほしい。

遠くから、今はまだ祈ることしかできませんが、応援し続けています。

  

 

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