なんだか怒涛の数日を過ごしています。
書きたいこともたくさんあったはずなのに、どうまとめていいのかわからず、途方に暮れています。
テレビの映像を見ると、悲しすぎて、心のバランスも取れなくなりそうです。
地震の時、チョビは在宅しており、私も夕食の準備に出かけようかな~~と着替えを終えたところでした。
突然の揺れに驚いて、それでも最初は、そのうち収まるだろう・・・と思っていたのですが、
ぐわんぐわんの大揺れになって、ソファにつかまって立っているのがやっとでした。
目の前で本棚の本が崩れてきたものの、無造作に突っ込んだものだったので、
「これだけ揺れれば、そりゃ落ちるよ。。。」と判断する冷静さもまだ残っていました。
揺れがますます大きくなり、大声でチョビを呼ぶと、チョビは玄関のドアを開けてくれていました。
とりあえず出口は確保・・・ということで、私も大慌てで玄関へ。
大きな物音がしていたものの、何がどうなっているのかわからず、ただ玄関で踏ん張っていました。
ようやく揺れが収まったものの、家中を見回して、茫然。。。。
キッチンにあった食器棚が倒れ、中の食器が全部滑り落ちて、斜めになって止まっていました。
本棚の本もすべり落ち、リビングの食器棚から食器が落ちて、
お気に入り食器が全滅。
オットが大切にしていたCDもすべて床に滑り落ちています。
リビングの床は足の踏み場がない状態。
我が家は13階ということもあって、大きく揺れたんでしょう。
大きな家具は、倒れないように工夫してあったので、その程度ですんだのかもしれませんが、
私としては、かなりショック。
余震も半端なく揺れるので、怖くなって、チョビと2人、13階から階段を降りていきました。
しばらく道路近くにいたものの、余震がまだあり、家に帰る気になれません。
幸い近所に都の大きな建物があるので、ひとまずそこへ避難。
帰宅困難者もつめかけ、毛布を貸してもらい、食事もすることができました。
オットは千葉の高層ビルで地震にあい、立っていられないほどの揺れを感じたそうです。
会社にいても、揺れが気持ち悪いし、心配だから歩いて帰る・・・と連絡をくれました。
会社から我が家まで、直線で歩くわけにはいきませんから、
結局30キロ近くを7時間かけて歩いたことになります。
オットの姿を見た時は、本当に安心したというか、ホッとしました。
夜中の2時過ぎに自宅に帰り、片付けもそこそこにベッドにもぐりこみました。
(ベッド周辺は無事だったので)
長い長い1日でした。
都内ですが、古い建物は壁が崩れ落ちたり、地面の部分が浮いていたりして、
危険・立入禁止となったところもあります。
地震直後から、心配してメールをくれた両実家や義姉、弟夫婦、友人、知人達。
本当に嬉しかったです。
阪神・淡路を体験した友人達は、他人事とは思えなかったようです。
チョビが家にいてくれたこと、オットが歩いても帰ってきてくれたことで
家族が比較的早い時間に一緒になることができました。
地震直後に連絡がついていたことで、無事もわかっていましたから、
とりあえず落ち着いて待つことができました。(余震は怖かったけど)
それぞれが別の場所で被災した方は、どれほど不安な夜を過ごしたことでしょう。
そして、本当に被害を受けたのは、東北の方々。
翌日からのテレビの映像は、あまりに悲しくて、直視するのが辛くなってきます。
頑張ってください、そんな言葉さえ空虚です。
それでも、どんなに辛い状況になっても、私たちは生きていかなければなりません。
困難に立ち向かう勇気を持ち続けて、生きてほしい。
遠くから、今はまだ祈ることしかできませんが、応援し続けています。