おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

京成線「江戸川」駅~新京成線「薬園台」駅。その5。「佐倉街道」をゆく。第1日目。)

2019-03-20 19:34:33 | 佐倉街道
                            表札「伊兵衛」さん、「善兵衛」さん・・・。沿道の旧家風のおうちに目立ちます。

 貸し駐車場のところにもありました。

さてしばらく進むと、旧道は国道から離れて左の道に進みます(12:14)。

総武線の陸橋を越えて、右手の道に入るとお堂があり、そこに「道標」が建っています。
 
元禄七年銘 道標
 元禄7年(1694)年10月26日の銘がある、市内最古の道標です。もとは70mほど北東寄り、現在は陸橋下となっている三叉路に建てられていました。
 道標正面の「右 いち川みち」は、この三叉路のある船橋市海神から、市川市八幡を経て同市市川へ至る道(佐倉道の一部)を示し、「左 行とくみち」は、船橋市山野町、市川市原木を経て同市本行徳へ至る道(行徳道)を示します。
 佐倉道は、江戸から佐倉城下に達する道でした。その先が成田へと続いており、江戸中期頃から、成田参詣の隆盛と共に、成田道とも呼ばれるようになりました。
 行徳は、日本橋と行徳を川で結ぶ「行徳船」の発着場でした。行徳と海神を結ぶ行徳道は、楽で早い船旅を好む成田参詣者で賑わいをみせた道でした。

○が現国道との分岐点。↓が旧道。道標がもともとあった位置。

船橋宿に向かいます。

                       

「船橋本町」交差点の手前で枡形の名残か、少しカーブしています。

                    ↓が街道。

(12:35)「西向き地蔵」の祠。
 旧船橋宿の入り口で、かつては罪人の仕置場(処刑場)と言われている。

繁華街に入っていきます。
左手に「いなりや(稲荷屋)」さん。創業慶応元年(1865)150年前から続く老舗の割烹料理店。

 船橋が、成田街道の宿場町であった頃より、地元三番瀬・江戸前の魚と、房総の海山の幸のお料理を皆様に愛されて、今日に至っております。
誇りを受け継ぐ10名の調理人達と、お客様を大事にする仲居達のお料理と御接待を、お楽しみ下さい。
 (「」HPより)

 おそば屋さんでお昼。  

(13:00)高層ビルが建ち並ぶ繁華街。

ここにも「三番瀬」という看板が。

 「三番瀬」とは、古くから漁業関係者が使用していた漁場の通称名で、現在の市川市・船橋市の沖合いの浅瀬の一部を示していたものと思われます。 現在では、市川市と船橋市の沖に広がる浅海域(浅瀬や干潟)を総称して「三番瀬(さんばんぜ)」と呼ぶのが一般的になってきています。
              
 この海域は、東京湾の最奥部の埋立地によって囲まれた位置にあり、水深5メートル以下の浅瀬が岸から沖合い3~4キロメートルの範囲に広がっていて、その先は急に水深が深くなっています。この浅瀬は、市川航路を境に大きく市川市側と船橋市側とに分かれ、その面積は、水深1メートル以浅の範囲で約1,200ヘクタール、水深5メートル以浅の範囲で約1,600ヘクタールあります。
 三番瀬というと、船橋市側の船橋海浜公園地先に広がる干潟の風景がテレビや新聞でよく取り上げられることから、一面に広がる干潟を連想されることがありますが、市川市側の三番瀬には、主な干潟として、塩浜1丁目地先の人工干潟と浦安市の日の出地区に近い自然の干潟が合計で約30ヘクタールほどあるだけで、そのほどんどは水深5メートル以下の浅瀬となっています。
 干潟や浅瀬は、水質の浄化機能のほか、魚貝や水鳥の生息場所、海苔養殖漁業やアサリ漁などの漁場、海浜レクリエーションの場となるなど様々な機能を備えており、近年、その価値が特に注目されています。
 しかし、これまでの埋め立てや都市化の影響などにより、昔と比べて海の様子は大きく変化しているほか、現在の海の環境も一様ではなく、周辺の埋め立てに伴う潮流の変化や青潮の発生などにより、環境が悪化しているところもあるのが現状です。
 都市に接している三番瀬の環境は、都市化の影響を受けるとともに、漁業活動など人の暮らしと深い関わりを持ちながら維持されてきたものであり、今後、自然環境の保全・再生と、漁業やレクリエーションなどの人の利用との調和を、どのように図っていくかが課題といえるでしょう。

(この項、「」HPより)

 以下の写真・絵図は「」HPより。

 

 

 なかなか魅力的なところのようです。

『三番瀬』ってどんなところ?
 正しくは「さんばんぜ」と読みます。
 三番瀬は東京湾の最奥部に位置し、船橋市をはじめ、習志野市、市川市、浦安市、各市の東京湾沿いに広がる約1,800haの干潟・浅海域です。深いところでも干潮時の水深が5mほどの浅瀬で、日々繰り返される干満により、土の中に酸素が供給され、多くの生きものを育てています。
江戸時代初期には、「御菜浦(おさいのうら)」として、新鮮な魚介を将軍家に納める重要な役割を果たしていました。
戦後の高度経済成長の中で埋め立てられたところもありますが、現在でも漁業は盛んにおこなわれ、栄養豊かな浅瀬ではスズキやカレイなどの稚魚が育ち、成長した魚たちは、巻き網漁や底引き網漁で数多く水揚げされています。その他貝漁やノリの養殖も船橋の漁業の特色のひとつになっています。
 干潟にはハゼ、アサリ、カニ、ゴカイなどの底生生物が多く生息し、それらをねらって、多くの水鳥たちも集まってきます。
 ふなばし三番瀬海浜公園の前面に広がる干潟は人工的に作られたものですが、様々な生きものが生息し、東京湾の豊かな恵みを見ることができる貴重な場所になっています。
(この項、「」HPより)

 潮干狩りやバーベキューなどなどが楽しめる、とのこと。
コメント
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