「鶴川宿」からは坂道を曲りながら上って行きます。
「馬頭観音」。
途中には古びた「蔵」やしゃれた「ログハウス」があります。
(9:47)森の中を進むと、やがて前方が明るく開けてきます。
「中央道」側道との合流地点。
しばらく側道を歩き、左手、「中央道」に架かる橋を渡ります。
振り返って望む。
(9:55)橋を渡って、そのまま切り通しの坂を上って行くと、左手に小さな駐車スペースがあって、そこに「大椚の一里塚」跡碑と解説板があります。
大椚の一里塚跡
一里塚は、江戸時代、江戸日本橋を基点にして五街道の一里ごとに目印のため作られた塚であり、塚の上にはエノキ・松・ケヤキなどが植えられました。当時は、街道を行き来する旅人が距離を知る目安にしましたが、長旅のひと休みや雨宿りの場としても使われ、旅人には欠かすことができない大切な場所でした。
上野原地域には甲州街道に沿って4ヶ所のの一里塚が作られ、大椚の一里塚は、江戸から19番19里にあたります。現在、その跡は残されていませんが、鶴川宿から大椚集落に入る手前の道の両側にあったことが江戸時代の絵図などからわかります。
平成18年3月 上野原市教育委員会
もともとはもっと「鶴川宿」寄りにあったようです。
そこのベンチに座って、先ほど「上野原」で買った酒まんじゅうを食べて小休止。
さて、緩やかに上って行くと、「大椚」の集落に入ります。沿道にはよく手入れされた草花や石碑が目につきます。
そこで、懐かしい看板を見つけました。「東海道」で三重県に入ってから至るところで見かけた「飛び出し坊や」によく似た「飛び出しお嬢ちゃん」。
この先もけっこう登場するのか、そして「飛び出し坊や」も登場するのかなと、期待します。
集落のようす。
イワナ・ヤマメの漁期、鮎釣の解禁のお知らせ。
かつて、渓流釣りにはまって山登りのたびに竿をかかえ、イワナやヤマメ釣に時を過ごしたのを思い出しました。
のどかな自然が続きます。
(10:14)常夜燈と祠。「大椚宿発祥の地」とあります。おそらくは間の宿だったでしょう。
ここにもありました!
その先にも。
しかし、その後は見当たりませんでした、残念! JA共済さん、頑張って甲州街道に設置して下さい。
集落の外れに吾妻神社の大杉。神社の木陰がちょうどよい休憩場所。トイレもあります。境内には大椚観音堂があります。
この付近から野田尻、荻野付近にかけては、馬の背のような長い尾根を歩くことになり、眺望が開けるところが多くなります。しかし、その尾根筋を中央道も通過していきます。
峠を越えると、目の前が開け、前方に「中央道」が迫ってきます。
「談合坂SA」まで1㎞。
(10:29)右側にはすぐ中央道が迫ってきて(フェンス一枚)、たくさんの車が猛スピードで走り抜けていきます。けっこうなド迫力。(この道はもちろん、旧道ではありません。)