おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

八王子(横山)~駒木野~小仏~小仏峠~小原。その6。(「甲州街道」をゆく。第3日目。)

2017-04-26 20:22:19 | 甲州街道
 (13:35)しばらく下ると、高圧電線の鉄塔のところに出てきます。


 脇をすり抜けるようにして、斜面をジグザグに下っていきます。健脚ならトントン飛ぶように下りていけますが、けっこう膝にきました。それでも足下は枯れ草があって少しは、楽。
 そのまま下って行くと、舗装道路に出ます。
    

  (13:55)指導標と案内板。←小仏峠1.8㎞
    

「底沢」とありますが、バス停はもっと下の方に。

案内板の通り、広い車道を下って行きます。周囲が開けてきます。


(14:05)頭上には中央道。左下にはJR線。
    

 (14:11)分岐点。右は「美女谷温泉」への道。「小原宿」へは左に下りて行きます。
    

照手姫ものがたり
 浄瑠璃や歌舞伎で知られている「小栗判官と照手姫」の物語。
 照手姫は、小仏峠の麓、美女谷の生まれと伝えられ、その美貌が地名の由来になったとも言われています。
 北面の武士だったという父とやさしい母から生まれた照手姫は美しい娘に成長し、美女谷川上流の七ツ淵で豊かな黒髪を梳くその姿は、まばゆいばかりの美しさを放ち、里の若者を魅了したと言います。
 しかし不幸にも両親が相次いでこの世を去り、いつしか照手姫の姿は美女谷から消えてしまいました。
 その後、数奇な運命をたどった照手姫は相州藤沢宿で小栗判官満重と劇的な出会いをしますが、満重は毒殺されてしまいます。姫の必死の思いが通じたのか、満重は遊行上人という瞑想のお陰で蘇生し、常陸国の小栗城に帰り、照手姫を迎え、末永く幸せに暮らしたといいます。
    

 このお話にはいろいろなバリエーションがあるようです。以下「Wikipedia」より。

 小栗判官(おぐりはんがん)は、伝説上の人物であり、またこれを主人公として日本の中世以降に伝承されてきた物語。妻・照手姫の一門に殺された小栗が閻魔大王の計らいで蘇り、姫と再会し、一門に復讐するという話で、説経節の代表作であり、浄瑠璃や歌舞伎などになった。
 常陸国小栗御厨(現在の茨城県筑西市)にあった小栗城の城主である常陸小栗氏の小栗満重や、その子・小栗助重がモデルとされる。
 「小栗の判官」「おぐり判官」「をくりの判官」「をくり」「おくり」などの名でも伝えられる。伝承は多く残っており、後に創作されたものもあり、それぞれにかなりの相違が見られる。説経節や浄瑠璃、歌舞伎など多くに脚色されている。また縁のある土地にもそれぞれの伝承が残っており、小栗の通った熊野街道は小栗街道とも呼ばれる。
 人物としての小栗判官は、藤原正清、名は助重、常陸の小栗城主。京の貴族藤原兼家と常陸国の源氏の母の間に生まれ、83歳で死んだとされるが、15、16世紀頃の人物として扱われることもある。乗馬と和歌を得意とした。子宝に恵まれない兼家夫妻が鞍馬の毘沙門天に祈願し生まれたことから、毘沙門天の申し子とされる。

①長生院(藤沢市)に残る小栗判官・照手姫の伝説
 応永22年(1415年)、上杉禅秀が関東において乱を起こした際、満重(他の資料では小栗判官(小栗助重)の父の名であるが、この伝承においては判官自身を指す)は鎌倉公方足利持氏に攻め落とされ、落ち延びる。その途上、相模の国に10人の家来とともに潜伏中に、相模横山家(横山大膳・横浜市戸塚区俣野に伝説が残る)の娘・照手姫を見初め、結婚の約束を交わす。横山は、旅人を殺し金品を奪う盗賊であった。照手姫は本来上皇や法皇の御所をまもる武士である北面武士の子であったが、早くに父母に死に別れ、理由あって横山大膳に仕えていた。
 小栗の行為に怒った横山庄司親子は、小栗を人食い馬と言われる荒馬「鬼鹿毛(おにかげ)」に乗せ噛み殺さようと企てるなど、さまざまな計略を練るものの失敗。しかしついには権現堂にて酒に毒を盛り、家来もろとも殺してしまう。横山は小栗の財宝を奪い、手下に命じて小栗と家来11人の屍を上野原に捨てさせる。この事実を知った照手姫は密かに横山の屋敷を抜け出すが、不義の罪により相模川に沈められかける。危ういところを金沢六浦の漁師によって助けられるも、漁師の女房に美しさを妬まれてさまざまな虐待を受け、最後には六浦浜で人買いの手に売り飛ばされてしまう。姫は売られては移り、移っては売られて各地を転々とするが、最後まで小栗への貞節を守り通す。
 一方、小栗は地獄に堕ち、閻魔大王の前に引きずり出されるが、裁定により地上界に戻されることができた。しかし異形の餓鬼阿弥の姿で、癩病にかかっており、歩くこともままならない。幸いに藤沢の遊行寺(清浄光寺)の大空上人の助けを蒙り、地車に乗せられて東海道を西進する。小栗が殺された夜、遊行寺では大空上人の夢枕に閻魔大王が立ち、「上野原に11人の屍が捨てられており、小栗のみ蘇生させられるので、熊野の湯に入れてもとの体に戻すために力を貸せ」と告げていた。上人はそのお告げに従って上野原に行き、死んだ家来達を葬るとともにまだ息のあった小栗を寺に連れ帰ったのであった。
 小栗を乗せた車は大垣青墓の宿で偶然照手姫に行き会うが、2人はお互いの素性に気づかない。小栗は照手姫の手によって大津まで引かれて行く。病はさらに重くなるが、遊行上人の導きと照手姫や多くの善意の人々の情を受けて熊野に詣で、熊野詣の湯垢離場である湯の峰温泉の「つぼ湯」の薬効によりついに全快する。
 小栗は新たに常陸の領地を与えられ、判官の地位を授けられる。常陸に帰った小栗は兵をひきいて横山大膳を討ち、家来の菩提を弔う。さらに小栗は美濃の青墓で下女として働いていた照手姫を見つけ出す。こうして2人はようやく夫婦になることができた。小栗の亡くなった後、弟の助重が領地を継ぎ、遊行寺に小栗と家来の墓を建てた。照手姫は仏門にはいり、永享元年(1429年)に遊行寺内に草庵を結んだという。

②説経節にみる小栗判官伝説]
 正本として、延宝3年(1675年)「おぐり判官」(作者未詳)、年未詳「をくりの判官」(佐渡七太夫豊孝)その他がある。
 鞍馬の毘沙門天の申し子として生を受けた二条大納言兼家の嫡子小栗判官が、ある日鞍馬から家に戻る帰路、菩薩池の美女に化けた大蛇の美しさに抗し切れず交わり、妻としてしまう。大蛇は懐妊するが、子の生まれることを恐れて隠れようとした神泉苑に棲む龍女と格闘になる。このために7日間も暴風雨が続き、小栗は罪を着せられ常陸の国に流された。この場所にて小栗は武蔵・相模の郡代横山のもとにいる美貌の娘である照手姫のことを行商人から聞かされ、彼に頼んで照手に文を渡す。照手姫から返事を受け取るや、小栗は10人の家来とともに、照手姫のもとに強引に婿入りする。これに怒った横山によって、小栗と家来達は毒殺され、小栗は上野原で土葬に、家来は火葬にされる。照手姫は相模川に流され、村君太夫に救われるが、姥の虐待を受け、千手観音の加護により難を逃れたものの人買いに売り飛ばされ、もらわれた美濃国青墓宿の万屋でこき使われる。
 一方、死んだ小栗と家来は閻魔大王の裁きにより「熊野の湯に入れば元の姿に戻ることができる」との藤沢の遊行上人宛の手紙とともに現世に送り返される。餓鬼阿弥が小栗の墓から現われたのを見た上人は手紙を読み、餓鬼阿弥と化した小栗を車に乗せると胸の木札に「この車を引くものは供養になるべし」と書きしたためた。多くの人に引かれた車は美濃の青墓に到着する。常陸小萩の名で働いていた照手姫は餓鬼阿弥が小栗であると知らずに5日間に渡って大津まで車を引き、ついに熊野に到着する。熊野・湯の峰温泉の薬効にて49日の湯治の末、小栗の業病は完治し元の体に戻ることができる。その後、小栗は京に戻り天皇により死からの帰還は珍事であると称えられ、常陸・駿河・美濃の国を賜ることになる。また、車を引いてくれた小萩を訪ね彼女が照手姫であることを知り、姫とともに都に上った。やがて小栗は横山を滅ぼし、死後は一度死んで蘇生する英雄として美濃墨俣の正八幡(八幡神社)に祀られ、照手姫も結びの神として祀られた。

 どちらも「熊野信仰」との関わりが濃厚のような気がしますが・・・。この地の「照手姫」伝説は、「美女谷」という地名伝承にかこつけたもののようです。

家並みも見え始めます。

中央道の高架橋をくぐった右手に道標と「馬頭観音」。「板橋」とあります。
    

 小仏峠からのジグザグ道を下って、車道に出た後の旧道は消滅しているようです。↓の鉄塔からここまで下ってきました(14:18)。


JR線路に沿って進みます。旧道ではなさそうです。

(14:24)ガードをくぐります。

「甲州道中 長久保」。

先ほどの分岐点にあったものと同じ案内板。

ようやく「底沢」バス停に着きます。「底沢橋」。

 (14:34)「国道20号線」と合流です。「20号線(甲州街道)」は西浅川からけっこう曲りくねりながら「大垂水峠」を越えてここまで来ます。
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