おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

長岡~水戸。その2。(「水戸街道」をゆく。第6日目)

2017-02-09 20:56:17 | 水戸街道
「国道6号線」に合流したあと、矢頭で「北関東自動車道」インターチェンジを越えます。


 かつての旧道らしく車の行き来の激しい大通りの道ばたには古い祠が。


いよいよ水戸市に入ります。

(10:42)「東野交差点」で左へ。    

 この通りに入ると、道の両側に棒杭や小さな卒塔婆、花立てが何ヶ所も立っていました。写真には撮りませんでしたが、交通事故の死者を弔うためのものか? それにしてはやけに点在しています。果たして何があったのでしょうか?

 (10:53)「自動車教習所」を左手に見て、その先「吉沢交差点」を右に入ります。


    

常夜燈? ライトが設置されています。

旧道らしく立派なおうちが沿道に。

ケヤキの古木。

 (11:11)「水戸街道」沿いには庭木の手入れが行き届いたおうちをけっこう見かけました。


市街地に入って行きます。

(11:28)「一里塚下西」バス停のすぐ先、住宅地の一画に「一里塚」があります。


江戸街道と一里塚
 江戸街道は、一般には、江戸からみて、水戸街道と呼ばれた。水戸から江戸まで29里19町(約116㎞)の里程で、水戸から長岡・小幡(以上水戸藩領)・片倉・竹原・府中・稲吉・中貫・土浦・中村・荒川・牛久・若芝(柴)と上り、下総に入って藤代・取手・我孫子・小金・松戸・新宿(葛西)・千住の各宿駅を経て江戸に入る。松戸には関所があった。
 1里塚は街道の道標として道の両側に一対で設けられ、木陰で旅人が休息できるよう榎が植えられた。常陸国内では木沢新田(吉田)・長岡・奥の谷・小幡・片倉・竹原・下土田・下稲吉・真鍋・土浦・中村・東猫穴・田宮・若芝(柴)などにあったが、現存するものは少なくなってきている。
 現在、当地にある一里塚はそのうちの一つで、道の片側のみであるが、榎も植えられ、当時の面影をしのぶことができる。

                                   水戸市教育委員会

    

エノキ。樹齢約100年。

「庚申塚」。

「六地蔵」。

 (11:38)「魚いちず」さん。定食が600円というのが驚き。「水戸」駅近くで昼食の予定なので、パス。でも、ここの方が良かった!
     

 「一里塚三叉路」バス停の先の細い、まっすぐな道を行きます。
    

その交差点には「馬頭・牛頭観音」の石仏があるはずですが、見当たりません。ふと足下を見ると、無残にも壊れたままの石仏が。車がぶつかって倒したのでしょうか、それとも、2011年の「東日本大震災」で倒壊したのでしょうか、根本からポッキリ。そのまま放ったままの状態。

    

(11:46)ここからカギ型が2ヶ所。右に曲がって左に曲がります。
    


  
  
1880年代のようす。              現在のようす。○が最初のカギ型。
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