おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

絶対評価の陥穽

2006-02-14 23:01:15 | 教育
 学校では、昔から生徒の成績を「5」~「1」に割り当ててきました。それも、「相対」評価で成績が出されてきたのです。「5」を貰えば鼻高々、反対に「2」や「1」は惨めそのものでした。なにしろ、友だち同士の中での露骨な高低・優劣でしたから。
 その学校も近年、「絶対」評価になり、到達度に基づく評価ということになって、「5」~「1」がつけられるようになりました。「相対」評価ではないのですから、極端にいえば、オール「5」でもオール「1」でもあり得ることになります。その結果どうなったというと、学校によっては「5」が30%にもなったり、「1」が0人になったりした。また、「5」がわずか3%であとは「3」と「4」ばかりなど、学校間というより教師間での差が、かなり目立ってきてしまったのです。なにしろ小学校は一人担任、中学でも一人教科(一人で教える教科)が多いのですから。
 教師個人の意向・考え方が、誰に咎められることもなく、「評定」という変えようのない数値として、一人歩きをするようになったのです。これが上級学校への進学・入試に影響するのですから、子供はたまったものではありません。また、高校などもそうした「恣意的」な評価をもとに推薦合格を決定するのですから、その影響をもろに受けます。
 その数値の信憑性(本当にその子に学力が備わっているのか)が、疑わしくなるケースも増えてきています。さらに、5段階評定のもとに、「観点別評価」というこれまた絶対評価によるA~Cがつくのですから、ますます評価の中身が問われることになったのです。この評価は、この子の本当の学力なの?
 ある学校からは、何人も同じような高い評価(内申)をつけてくる、その結果、全員合格。ある学校は、内申が厳しすぎて不合格。ついには、これが、地元の学校選びの基準にもなってしまう!
 東京では、学校選択制が広まっていますから、「5」を多くつける学校などが、生活指導がきちんとしている学校などの評判と同様に、親の学校選びの基準になってしまっているらしいのです。
 生徒自身の学力とは無関係な、数字の「操作」で合否が決まる!こうした弊害を少しでも緩和するため、推薦試験でも「小論文(作文)」を課す公立高校、露骨に業者テストの成績提出を求める私立学校など、やむをえず「自衛策」に乗り出しつつあるのが、今の受験状況です。
 かつての相対評価は、学校ごとでの「評価」ですから、学校間格差も多くあり、弊害の一つとされました。正しい子供の学力を反映していない! その改善策が絶対評価でもあったのです。
 しかしそれも、今や適正に行使されないまま、「受かる」「受からせる」ための手段となってしまっているようなのですね。
 たしかに受験は、今も昔もまさに当落のある「競争」そのものです。受かる子もいれば、落ちる子も当然いる。
 せめて、どうしても入れなければ、という教師や親の「願い」「手段」のために振り回されることがないよう、子供の将来や成長をもっと見据えた、成績評価のあり方・受験での用い方を、考えなくてはいけないと思います。でも、これは所詮、空理空論にすぎないでしょうか。
コメント
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