昨晩の大河ドラマ「光る君へ」主人公の紫式部は越前から都に戻りました。
番組終了後、今回は「越前和紙」を紹介していました。
NHK の広報宣伝というよりも、福井県の観光戦略の物足りなさに少々がっかりです。
広域観光地域として、お隣りの金沢の石川県、高山の岐阜県の観光戦略を学んだ方がよいかもしれません。
越前和紙は、遠く飛鳥時代を起源として、東大寺所蔵、平安期には勿論、江戸時代には日本一と称され、日本初の福井藩札、明治維新後には日本初のスカシ入りの官札紙幣、ヴェルサイユ条約の契約書、ピカソ、横山大観、東山魁夷が採用等々、とりわけ越前北の庄をルーツとする平山郁夫画伯(尾道瀬戸田出身)は越前和紙を深く愛好されていたとの事。
・・これぐらいは言わないとね❗
因みに、道長、紫式部と同時代に生きた陰陽師安倍晴明、その陰陽道を継承したのが天社土御門神道、本部は福井県おおい町名田庄にあります。
晴明紋はユダヤの星形に似て、お寺の卍はナチスの鍵十字に似て不思議不可解。
更に言えば、紫式部の父親である藤原為時の師は、菅原道真の孫でした。
学問の神様、天神様と祀られる菅原道真公。
若き官職の頃、海外からの渡航人を管轄していた松原客館のあった敦賀に出向き、敦賀が近ければ、ここに家を買い、暮らしたいと思うほどであったと書き残しているとの事。
敦賀をこよなく愛した菅原道真は、天神様になりました。
余談ですが、天社と呼んでいる船会社があります。
百島の対岸にある常石造船、べラビスタ尾道、即ち神原汽船グループです。
天と神が付いた呼称を選んだのでしょう。
天神信仰、学問の神様菅原道真公を祀った神社、天満宮は、日本全国に1万2000社ほどあるとか、凄い❗
菅原道真公、太宰府に流される際、尾道にも因島にも、百島にも立ち寄ったと言い伝えがあります。
明日は天神様のお誕生日。
丑年の六月二十五日生まれの菅原道真公、百島の天満宮を新たに福田桟橋近くに創建したのは、シルバーオックス創業家丑年生まれの西崎保三氏。
若き日、越前国敦賀に移住しておれば、菅原道真公の人生も越前国も日本の歴史も大きく変わっていたかもしれません。
源氏物語は存在していなかったかも知れません。
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