戦争の話。
色々な感情や利権やらが絡んで、70年近く経った現在の私たちには正直何が当時の真実なのか分からない。
だからタイムマシーンがあれば、実際そこに行って事実を確かめられるのにね。
って言ってたんだけど、そこに居たとしても事実は多面的で結局どっちが善で悪とか言えないだろうな。
たとえば誰かと誰かが喧嘩したとして、片方の話だけだとあいつが悪いとか言っちゃいがちだけど
もう片方の話を聞くと、ん??ってなることって良くあるし。
話がそれた。
まあ結局のところ、戦争でその行為が事実として
戦争を理由に賠償だの謝罪だのいつまで言ってんだ、というか。
もう現在の政治的外交的優位が目的にしか見えないので歯がゆい。
まあ、もともと戦争は自国の領土拡大が大前提なので、そりゃ政治の話しになるだろうけどさ。
誰を埋葬しているから参拝するなとか、何で同じ国の人間に言ってんの?
死んだ人間に石を投げるのか。
それを外の人間が批判するな。
と、この時期はいっつも思うよね。
先日のTVで、戦争で足が無い人、腕が目が無い人たちの話を聞きながら思ってました。
そんな歴史の体験者も、いずれは居なくなる。
だから少しは関心持ってさ。
誰も語らなくなると悲しい歴史は繰り返す。
ということで、前にも載せた歌詞を。
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あと少し広かったなら 人はゆとりをありがたがったかな
あと少し狭かったなら 相手を理解しようとできたかな
こんなに広かったから 満たされる事ができないのかな
こんなに狭かったから
シャトルの窓から 見える通りそのまま
地球は狭くもなく 広くもない
何故なら 最初からそこにあるものだ
言うなれば全体で一つのものだ
人がそれを分けた途端 もったいなくも 狭くもなれば 広くもなる
隣の人よりもっととか ならば隣の国より多くとか
自らを列の最後に置く謙虚さや 寛容であろうとする努力は
実際生きていく上では 困難を伴う
皆失う事を恐れるものだ
THA BLUE HERB/TENDERLY
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