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永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(教養と学問・官吏)

2008年10月16日 | Weblog
教養と学問・官吏養成機関
 
 官吏になるには五位以上の家柄の者、または、勅旨によって推薦を受けるもの以外は、漢籍に関する試験にパスしなければならなかった。そのため、官吏養成の組織があった。それは、各国々に設けられた国学と、唯一の国立の中央大学ともいうべき大学である。
 
 その他に、医学薬学者養成を典薬寮が、天文暦学者養成を陰陽寮が、楽人養成を雅楽寮がおこなった。
 
 国学は、令によれば、13歳以上16歳以下の郡司の子弟の聡明な者を入学させ
たが、適当な教官が得にくく、あまり振るわなかったようである。

◆参考:源氏物語手鏡

源氏物語を読んできて(191)

2008年10月15日 | Weblog
10/15  191回 

【乙女】の巻】  その(1)

源氏     33歳4月~35歳10月
紫の上    25歳~27歳
秋好中宮(梅壺女御から中宮へ)24歳~26歳
明石の御方  24歳~26歳
明石の姫君  5歳~7歳
雲井雁(くもいのかり)14歳~16歳
夕霧(源氏の御子息) 12歳~14歳

「年かはりて、宮の御はても過ぎぬれば、世の中色あらたまりて、(……)前斎院は、つれづれとながめ給ふ。」
――年が改まって3月になり、藤壺の宮の一周忌の喪もあけましたので、世間でも、人々はすべて鈍色の喪服を通常の衣装に着替えて、4月1日の更衣の衣替えは、目新しい感じがします。(まして賀茂の祭りの頃は、一層、空の色も冴え冴えとして)、前斎院の朝顔の君は、亡き御父を思い出されてぼんやりとお過ごしになっております。――

 源氏からは、相変わらずの御文と、朝顔の君の喪の明けにと、仰山なほどの御装束を、宣旨をとおして贈られます。朝顔の君は迷惑に思われておいでですが、女五の宮は、源氏のお心づかいを大層おほめになって、

「(……)思ひ立ちしことをあながちにもて離れ給ひしこと、など宣ひ出でつつ、口惜しげにこそ思したりし折々ありしか。(……)さらがへりて、かくねんごろに聞こえ給ふも、さるべきにもあらむとなむ思ひ侍る」
――(あなたの御父君も、源氏の君が他家にご縁を結ばれてしまって、残念に御思いでした。)せっかくの思い立ちを、あなたが無理にお断りになったことを、よく愚痴にお言いでしたよ。(けれども、故左大臣の姫君の葵の上でしたので、私の御姉上の姫ですし、とやかく口出し申す事もできませんでした。その、正妻であられる御方が亡くなられた今は、どうしてあなたが、その地位に変わられたとしても、いけないわけがありましょう。)
源氏の君が、昔にかえって、こうねんごろに望まれるのは、やはりそうなるべき御宿縁かと思いますよ。――

 と、まじめにお勧めになりますのが大層厭わしく、朝顔の君は、

「故宮にも、しか心ごはきものに思はれ奉りて過ぎ侍りにしを、今さらにまた、世になびき侍らむも、いとつきなき事になむ。」
――亡き父宮にも、私は強情な者と思われてまいりましたのに、いまさら世間並の理屈に従いますなど、似合わしくないでしょう――

 と、おっしゃって、取りつく島もないお返事ですので、これ以上無理はできないと女五の宮はお思いになります。ただ、このお屋敷の誰もかれもが、みな源氏をお褒めになりますので、朝顔の君は、二人の仲がいつどうなるのかと、ご心配でなりません。しかし源氏自身は、無理に突き進もうとはお思いにならず、自然とお心が解けるのをお待ちになるようでした。

◆写真:賀茂祭は、4月中の酉の日に行われる。現在は5月。

ではまた。

源氏物語を読んできて(教養と学問・男の教養科目)

2008年10月15日 | Weblog
教養と学問・男の教養科目

 男にとっても、習字、音楽、和歌は一般教養科目で会った。さらに、習字には漢字も平仮名も、音楽には得意とする楽器以外に、弦楽器や横笛のうち、いくつかに心得が必要であった。

 また、平安朝中期から、絵画の教養も男は身につけるようになってくる。源氏は小さい時からいろいろ習った中で、絵を満足に描いてみたいと考えていたと「絵合わせ」にある。
 
 漢詩文の教養は、男に必須であった。我が国固有の学問というものは無く、唐文化模倣の律令体制にあっては、学問の第一は、中国に発達したものを学ぶことであった。
 
 仏教の教えが、人々の思考法に大きな影響を与えたことは見逃せないが、一般の人に要求される学問ではなかった。僧侶を除き、教養ある者はすべて官吏となった。

◆参考:源氏物語手鏡

源氏物語を読んできて(190)

2008年10月14日 | Weblog
 10/14  190回 

【朝顔】の巻】  その(12)

 月はいよいよ澄み渡り、静かな夜です。紫の上が少し頭を傾けていらっしゃるお姿が、愛らしく、御髪のかかりぐあいや、面ざしが、忘れられぬ恋しい藤壺の宮の面影に似てお美しく、朝顔の君に惹かれていた御心も少し薄らいでいくようです。

 源氏は御帳台(寝台)にお入りになって、藤壺の宮のことをひとり偲んでお寝すみになっていますと、夢ともうつつともなく、藤壺のお姿が現れて、お怨みのご様子で、

「漏らさじと宣ひしかど、浮き名の隠れなかりければ、はづかしう、苦しき目を見るにつけても、つらくなむ。」
――秘密は漏らすまいと仰いましたのに、二人の間の浮き名が世間に漏れてしまいましたので、死後の今も恥ずかしく、苦しい目にあうにつけても、あなたが恨めしい。――

 源氏は、お応えをしようとしながらも胸が苦しく、ものに襲われるようで喘いでいらっしゃるので、紫の上がお声をかけられて、やっと正気に戻られたのでした。

「いみじく口惜しく、胸のおきどころなく騒げば、おさへて、涙も流れ出でにけり。今もいみぢく濡らし添へたまふ。女君、いかなる事にかと思すに、うちもみぢろがで臥し給へり。(源氏の歌)とけて寝ねぬねざめ淋しき冬の夜に結ぼほれつる夢のみじかさ」
――目が覚めたのが残念で、置きどころもないように、胸騒ぎがなさるので、両手で胸を押さえて、涙さえ流れておいででした。目が覚めた今も、いよいよ泣きぬれていらっしゃいます。紫の上は、これはいったいどういうことなのかとご心配になっていらっしゃいますが、じっと身動きもしないで横になっておられました。
(歌)もの思いに安眠もできず、寝覚めがちな淋しい冬の夜に、結んだ夢が気がかりで、しかも何と短かった事よ――

 なまじ、短い夢ゆえ、たまらなく悲しく、そのまま御起きになって、藤壺の宮の為とは言わず、諸所でご供養のお経をあおげさせになります。「苦しい目にお遭わせになる」と、お恨みを言われた藤壺の宮のご様子に、あの秘密のためにご成仏できないでいらっしゃると、言いようもなく辛く悲しくお思いです。
 しかし、藤壺の宮の御為のご供養とは、まさかにも知られてはならず、ご用心なさって、ただただ阿弥陀仏を熱心に御念じになります。
 「同じ蓮にとこそは、
(歌)なき人をしたふ心にまかせてもかげ見ぬ水の瀬にやまどはむ」
――来世は同じ蓮の上に、とお思いになって、
(歌)亡き人を慕ってあの世まで行っても、三途の川で行方に迷うことでしょう――

と、思わねばならないのも、お辛いことです。

◆写真:阿弥陀如来

【朝顔の巻】おわり。 ではまた。

源氏物語を読んできて(189)

2008年10月13日 | Weblog
 10/13  189回 

【朝顔】の巻】  その(11)

 お話が続きます。
 
 「藤壺の中宮は、私をひどく疎遠になされておいででしたので、細やかには御様子を拝したことはありませんでしたが、御所においでの時は、それでも私を頼りになる者と思し召してくださいました。私も宮をお頼り申し上げておりましたが、目立ってご聡明さをお見せにならないながら、いつも満足のゆくように、何事もやりおおせて下さったのでした。」

お話はさらに、
「君こそは、さいへど紫のゆゑこよなからずものし給ふめれど、すこしわづらはしき気添ひて、かどかどしさのすすみ給へるや苦しからむ。前斎院の御心ばへは、またさま異なるにぞ見ゆる。さうざうしきに、何とはなくとも聞こえ合わせ、われも心づかひせらるべき御あたり、ただこの一所や、世に残り給へらむ。」
――あなたはね、さすがに中宮の姪だけあって、ご立派なようですが、少し嫉妬心があって、気が強くていらっしゃる、その点が難といえば言えるでしょうね。朝顔の君のご性分はまた少し違っておいでのようです。心さびしい時に、格別のことはなくても便りを交わしあい、相談しあい、こちらも何かをして差し上げねばと思わずにはいられないような、優れたお方は、この先、もうこの方一人だけになったようです。――

紫の上は、
「尚侍こそは、らうらうじくゆゑゆゑしき方は人にまさり給へれ。浅はかなる筋など、もて離れ給へりける人の御心を、あやしくもありける事どもかな」
――朧月夜の君こそは、才気もおありになり、奥ゆかしい点は誰よりも勝っておられます。浮気めいた点など受け付けない御気性でしょうのに、妙な噂がたったことですね。――

源氏は、その言葉に、「そうですね。あでやかに美しい女の例としては、やはり引き合いに出したい方ですね。われながらあの方には、お気の毒で残念なことがたくさんありました。」と、尚侍(ないしのかみ)を思い出されて涙を落されるのでした。

「この、数にもあらず、貶め給ふ山里の人こそは、(……)人はすぐれたるは難き世なりや。」
――あなたが、ものの数でもない人と軽蔑しておられる明石の御方は、(身分の割には、ものの道理をわきまえているようですが、何分にも気位が高く、まあ、そのことは見て見ないようにしています。わたしは、お話にもならないような女とは関係をもったことはありませんよ。)女というものは、優れたものはめったに居ない世の中ですね。――

こんな風に昔、今のお話に夜が更けていくのでした。

◆写真:思い出の中の藤壺 風俗博物館

ではまた。

源氏物語を読んできて(188)

2008年10月12日 | Weblog
 10/12  188回 10/11  187回

【朝顔】の巻】  その(10)

「いといたく若び給へるは、誰が慣はし聞えたるぞ。」
――こんなに聞き分けなくおいでになるのは、一体だれが躾けたのでしょう。――

「『斎院に、はかなしごと聞ゆるや、もし思しひがむる方ある。それはいともて離れたることぞよ。自ら見給ひてむ。(……)うしろまたうはあらじとを、思ひ直し給へ。』など日一日慰め聞こえ給ふ。」
――朝顔の君に私がちょっとしたことを申し上げますのを、もしや誤解しておいでではないですか。それは全くの見当違いのことなんですよ。今に自然と分かることでしょう。(朝顔の君は以前から全く浮いたところのない御気性ですが、何か寂しい折など、色めかしい風にお手紙を差し上げますと、あちらも時折お返事下さいますが、真剣な恋という風でもないものを、いちいちあなたにご相談する必要などあるでしょうか。)後ろめたいことなどないと、そう思って気を取り直してください。」こんな風に源氏は一日かかって言いつくろって、慰めておいででした。――

 雪がたくさん降り積もって、松や竹の姿の面白くみえます夕暮れ、源氏のお姿は一段と鮮やかにお見えになります。
「四季折々の中で、人がことに心を惹かれる花や紅葉の盛りよりも、冬の夜の冴えた月に雪の映えて見える空は、この世の外の世界まで思いやられて、趣深いものです」とおっしゃって、御簾を上げさせてご覧になります。
 女童(めわらわ)を庭におろして、雪ころがしをおさせになります。

「をかしげなる姿、頭つきども、月に映えて、(……)」
――可愛らしい姿、髪の形などが月の光に照り映えて、(年上の女童が色とりどりの袙を着流して、小さい子はうれしくて走り回り、扇などを落しても夢中で遊んでいる顔がいかにも可愛い。雪の玉を大きく丸めて動かせなくなって困ったり。他の人々も東の縁先に出てご覧になっています。――

 源氏は、しみじみと紫の上にお話しになります。

「一年、中宮の御前に雪の山つくられたりし、世に旧りたることなれど、なほめづらしくもはかなき事をしなし給へりしかな。何の折々につけても、口惜しう飽かずもあるかな。」
――ある年のことでした。藤壺中宮のお庭に、雪の山が作られましたが、よく繰り返えされる遊びですが、珍しい工夫がなされていました。何の折々につけても思い出され、お亡くなりになったことが残念で、口惜しくてなりません。――

◆写真:二條院 雪山で遊ぶ女童と源氏たち

ではまた


源氏物語を読んできて(187)

2008年10月11日 | Weblog
 10/11  187回

【朝顔】の巻】  その(9)

 朝顔の宮のお心は、
源氏のお人柄といい、優雅さといい、申し分のないお方ですが、世間一般の女達が騒ぎ立てるのと同じに扱われて、こちらの心底もみすかされるのも、ひどく具合のわるいこと。これからも人づてのお返事などは、失礼のないようにして過ごすことにしておきましょう。

 世間(男女のこと)の口やかましさを、すっかり思い知らされましたので、侍女たちにもお心を許されず、勤行に没頭されます。

源氏は、
「つれなき御気色のうれたきに、負けて止みなむも口惜しく、(……)空しからむはいよいよ人わらへなるべし、いかにせむ」
――朝顔の宮のつれないお仕打ちが癪にさわるので、それに負けてこのまま引き下がるのも悔しく、(かといって、ご自分の立場の重々しいこの頃ではあり、今さらの浮気沙汰は世間の非難もまぬがれないであろうし、それでも)空しく引き下がるのでは、いよいよもって世のもの笑いになるであろうと、迷いは尽きないのでした。――

「二条の院に夜がれ重ね給ふを、女君は、戯れにくくのみ思す。忍び給へど、如何うちこぼるる折もなからむ。」
――ついつい二条院にお帰りにならぬ夜が続きますのを、紫の上は本気で怨んでおいでになります。じっと耐えていらっしゃるものの、涙のこぼれる時がなくもないのでした。――

ある夜、源氏は、紫の上のご機嫌をとろうと、女君の御髪をかきやりながら、
「妙にお顔の色が優れないようですが、どうかなさったのですか」と、愛おしそうにご覧になるご様子は、絵にも描きたいほどの美しいご夫婦仲にみえます。

 「宮亡せ給ひて後、上のいとさうざうしげにのみ、世を思したるも、心苦しう見奉り、太政大臣もものし給はで、見ゆづる人なきこと繁さになむ。(……)」
――実はね、藤壺の宮がお崩れになられてからというもの、冷泉帝がたいそうお寂しそうになさっておいでになりますのが、気になりまして、太政大臣もおいでにならず、政務を任せる人もなくて、とにかく暇がないのですよ。(それでこちらに居られる日がなくて、あなたがそれを苦になさるのはもっともですが、安心していてください。あなたももう大人になったのですから、私の心がお分かりでしょう。拗ねていらっしゃるのも、可愛いものですが――

 源氏は、涙で濡れた髪をほぐしておあげになりますが、紫の上はますます横を向いて、何も仰らない。

◆ 写真:紫の上 風俗博物館

ではまた。



源氏物語を読んできて(斎院・朝顔の姫君の場合)

2008年10月11日 | Weblog

斎院として(朝顔姫君の場合)

 「朝顔」という名は、源氏からアサガオの花を添えた和歌を贈られたという「帚木」や「朝顔」の逸話からきており、そこから「朝顔の姫君」「朝顔の斎院」または、「槿姫君」「槿斎院」などの呼び名がある。
 
 源氏が若い頃から熱をあげていた女君の一人で、高貴の出自のため正妻候補に幾度か名前が挙がり、正妻格の紫の上の立場を脅かした。

 朝顔も源氏に好意を抱いていたが、源氏と深い仲になれば、六条御息所と同じく不幸になろうと恐れて源氏の求愛を拒み続ける。源氏とは終始プラトニックな関係だった。

 朱雀帝時代から斎院を長く続けたため婚期を逃し、そのまま独身を貫き通して、出家、物語の表舞台から消える。

◆写真 朝顔に心を寄せる源氏

源氏物語を読んできて(186)

2008年10月10日 | Weblog
 10/10  186回

【朝顔】の巻】  その(8)

 うっすらと積もった雪を、さし出でた月が照らしてきらきらとたいそう趣深い夜です。女五の宮の所でしばし語らってのち、西の対の朝顔の宮のお邸にお出でになって、源氏は、今夜は大変真面目に、身を入れて責め立てておっしゃいます。

「一言、憎しなども、人づてならで宣はせむを、思ひ絶ゆる節にもせむ。」
――せめて、一言嫌いだとでも直接おっしゃってくだされば、それを諦めのきっかけにいたしましょうものを。――

朝顔の宮は、お心のうちに思います。
「昔われも人も若やかに罪ゆるされたりし世にだに、故宮などの心よせ思したりしを、なほあるまじく、はづかしと思ひ聞えてやみにしを、(……)」
――昔、自分も源氏も歳若く大目に見られていた頃でさえ、亡き父宮などが、源氏に縁づけようと心組まれましたことを、もってのほかの恥ずかしいことと考えて、そのままになってしまったものを、(老いらくの今日、恋など似合わない今、一言の声を出してのお返事をしますのは、まったく気の重いこと、――

 それでも、無下にもお出来になれず、人を通してのお返事は、それなりになさいますので、源氏はいらいらとなさっていらっしゃるうちに、すっかり夜も更けて風も激しくなってきたようです。お心細さも加わって、ちょっとしぐさに格好つけて、涙をお拭きになるなどなさって、(歌)は、
「つれなさをむかしにこりぬ心こそ人のつらきに添へてつらけれ」
――あなたの無情を懲りもしない自分の心が、あなたへの恨めしさに加えて怨めしい――

 侍女達は、源氏をお気の毒に思い、いっそうご返事をお勧めしますと、

朝顔の宮の(歌)
「あらためて何かは見えむ人のうへにかかりと聞きし心がはりを」
――いまさら何でお目にかかりましょう、ほかの女の身の上に聞きましたあなたの心変わりを、今度は自分で知ろうとは思いません――

 源氏はいよいよ仕方なく、宣旨に「まことに世間の物笑いになりそうなことですから、
ゆめゆめ人に洩らさないでくださいまし」とひそひそお話になっています。女房達はああ、もったいない、つれないお仕打ちですこと、などと言い合っています。

◆お邸も荒れ、後見役の居ない姫君に、源氏のような今を時めく後ろ盾があれば、生活が成り立つ。侍女達の生活にもかかっている。

◆見る=関係を承諾する。

◆写真 光源氏  風俗博物館

ではまた。



源氏物語を読んできて(185)

2008年10月09日 | Weblog
 10/9  185回

【朝顔】の巻】  その(7)

 源氏は、紫の上に「女五の宮がご病気がちでいらっしゃるので、お見舞いに伺います」と、それでもお出かけのご挨拶は、なさるのでした。紫の上は、振り向きもなさらず、明石の姫君をあやして紛らわしていらっしゃる横顔が、ただならぬご様子なので、源氏は、

「あやしく御気色のかはれる月頃かな。罪もなしや。(……)とだえ置くを、またいかが」
――妙にこの頃はご機嫌を悪くしておいでですね。思い当たることも無いのですが。(あなたとあまり慣れすぎては、お目触りでしょうと、)わざとお側を離れていますのを、また、どんなふうにお疑いになるのでしょうか――

紫の上は、
「『慣れ行くこそげに憂きこと多かりけれ』とばかりにて、うち背きて臥し給へるは、見すてて出で給ふ道、もの憂けれど、宮に御消息聞え給ひてければ、出で給ひぬ。」
――「慣れてゆくのは本当に辛いことの多いものでございます。」とおっしゃっただけで、あちらを向いて打ち臥しておしまいになりましたので、源氏はそのまま見すててお出かけになるには、道道気に掛かることだと思いつつも、すでに、女五の宮にはもうお便りを差し上げてあることなので、お立ち出でになりました。――

源氏は、御前駆など内々の者だけを選んで、
「内裏より外のありきは、もの憂きほどになりにけりや。桃園の宮の心細きさまにて、ものし給ふも、式部卿宮に年頃はゆづり聞えつるを、今は頼むなど思し宣ふも、道理にいとほしければ」
――宮中へのご参内の他は、出歩くことも億劫になってきたものだが、女五の宮が頼りなげにお暮らしになっておられるのを、式部卿宮にこれまでお世話をお任せしておりましたが、宮が薨去された今は、私を頼りにとおっしゃいますので、それももっともなことで、お気の毒ですのでね。――
 このように、お付きの者にも弁解がましくおっしゃいます。人々はこそこそと、

「いでや、御すき心の旧りがたきぞ、あたら御疵なめる。軽々しきことも出で来なむ。」
――いやまったく、好き心がいつになってもお衰えにならぬのが、玉に疵と申すもの。
軽々しいと噂されるようなことも、出て来ようものを――

ではまた。