永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(195)

2008年10月19日 | Weblog
10/19  195回 

【乙女(おとめ)】の巻】  その(5)
 
 「つとこもり居給ひて、いぶせきままに、殿を、つらくもおはしますかな、かく苦しかれでも、高き位にのぼり、世に用ゐらるる人はなくやはある、と思ひ聞こえ給へど、」
――夕霧は、始終閉じこもられては、憂鬱なままに、父の源氏を随分ひどいことをなさるものだ、こんな苦しい思いをしないまでも、高い位に昇り、世間からも重く用いられる人が、無いわけでもないでしょうに、とお思いになりますが、――

 「大方の人柄まめやかに、あだめきたる所なくおはすれば、いとよく念じて、いかでさるべき書ども疾く読みはてて、まじらひもし、世にも出でたらむ、と思ひて、ただ四、五月の中に、史記などいふ書は、読みはて給ひてけり。」
――夕霧は、大体に性格が実直で、浮ついたところのない方なので、よく耐え忍んで、何とかしてしかるべき漢籍の書類を、一日も早く完読して、朝廷のお役にも着き、出世もしていこうと志されて、わずか4.5か月のうちに、『史記』などという書物は、全部読み通してしまわれました。――

「今は寮試受けさせむとて、先ずわが御前にてこころみさせ給ふ。(……)」
――そろそろ、寮試を受けさせようと、源氏は先ずご自分の前で、若君の学力を、試させることにします。(右大将「葵の上の兄で、夕霧の叔父」や、佐大弁などを立ち会わせて、家庭教師の大内記を召して、寮試に出そうな重要な部分を、一わたり試問しますと、夕霧はどこからどこまでも読解でき、驚く程良い成績ですので、誰もかれも、涙を流して感激しております。)――

 源氏もたいそう気強く思われ、涙をおぬぐいになって、大内記に杯を差し上げます。

 御師である大内記の酔いづぶれているその顔は、ひどく痩せて細く貧相です。この学者は天下の変わり者で、その学識の割には世に用いられず、無愛想で世渡りがまずく、貧乏であったのを、源氏は見所があると見込んで、このようにお召出しになったのでした。

「大学に参り給ふ日は、寮門に、上達部の御車ども、数しらずつどひたり。(……)」
――大学に寮試を受けにお出でになる日は、正門に上達部の車が数え切れないほど何台も集まって、(ここに集まって来ない人は、ほとんどあるまいと思われますが、立派に装われて入って来られた若君の夕霧は、なるほどこういう儒者仲間には似合わぬほど、気品高く、愛らしい。)――

ではまた。
 

源氏物語を読んできて(教養と学問・擬文章生)

2008年10月19日 | Weblog
教養と学問・擬文章生

 紀伝道の学生は、はじめ明経道の学生として学び、大学寮の行う寮試というのを受けて合格すれば、擬文章生(ぎもんじょうのしょう)となる。
夕霧が『史記』の勉強をしたのは、『史記』を寮試の受験科目に選んだためである。

『史記』は、紀元前2世紀、司馬遷によって書かれた中国の歴史書である。年代順ではなく、天子の事績を書いた本紀、個人の伝記をかいた列伝などからなる。文章もすぐれ、文学としてもすぐれた書物である。全部で130巻、52万余字もある。それを、夕霧は4~5月で読了したとは、大変なことである。

◆参考:源氏物語手鏡

源氏物語を読んできて(教養と学問・文章生)

2008年10月19日 | Weblog
文章生

 擬文章生(ぎもんじょうのしょう)になってから、作詩の練習に励み、春秋の半ばに行われる「省試」という式部省の試験を受け、それに合格して文章生(もんじょうのしょう)となる。ここで官途につく。又はさらに「文章得業生」に選ばれ、何年も学んで「方略試」という論文試問に合格すれば、もっと良い官職につきやすく、文章博士への道が開ける。

 「文章博士」というのは学位ではなく、紀伝道の教官のことである。
菅原道真は、18歳で文章生、23歳で文章得業生、26歳で方略試に合格、33歳で文章博士となった。

◆参考:源氏物語手鏡