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【朝顔】の巻】 その(12)
月はいよいよ澄み渡り、静かな夜です。紫の上が少し頭を傾けていらっしゃるお姿が、愛らしく、御髪のかかりぐあいや、面ざしが、忘れられぬ恋しい藤壺の宮の面影に似てお美しく、朝顔の君に惹かれていた御心も少し薄らいでいくようです。
源氏は御帳台(寝台)にお入りになって、藤壺の宮のことをひとり偲んでお寝すみになっていますと、夢ともうつつともなく、藤壺のお姿が現れて、お怨みのご様子で、
「漏らさじと宣ひしかど、浮き名の隠れなかりければ、はづかしう、苦しき目を見るにつけても、つらくなむ。」
――秘密は漏らすまいと仰いましたのに、二人の間の浮き名が世間に漏れてしまいましたので、死後の今も恥ずかしく、苦しい目にあうにつけても、あなたが恨めしい。――
源氏は、お応えをしようとしながらも胸が苦しく、ものに襲われるようで喘いでいらっしゃるので、紫の上がお声をかけられて、やっと正気に戻られたのでした。
「いみじく口惜しく、胸のおきどころなく騒げば、おさへて、涙も流れ出でにけり。今もいみぢく濡らし添へたまふ。女君、いかなる事にかと思すに、うちもみぢろがで臥し給へり。(源氏の歌)とけて寝ねぬねざめ淋しき冬の夜に結ぼほれつる夢のみじかさ」
――目が覚めたのが残念で、置きどころもないように、胸騒ぎがなさるので、両手で胸を押さえて、涙さえ流れておいででした。目が覚めた今も、いよいよ泣きぬれていらっしゃいます。紫の上は、これはいったいどういうことなのかとご心配になっていらっしゃいますが、じっと身動きもしないで横になっておられました。
(歌)もの思いに安眠もできず、寝覚めがちな淋しい冬の夜に、結んだ夢が気がかりで、しかも何と短かった事よ――
なまじ、短い夢ゆえ、たまらなく悲しく、そのまま御起きになって、藤壺の宮の為とは言わず、諸所でご供養のお経をあおげさせになります。「苦しい目にお遭わせになる」と、お恨みを言われた藤壺の宮のご様子に、あの秘密のためにご成仏できないでいらっしゃると、言いようもなく辛く悲しくお思いです。
しかし、藤壺の宮の御為のご供養とは、まさかにも知られてはならず、ご用心なさって、ただただ阿弥陀仏を熱心に御念じになります。
「同じ蓮にとこそは、
(歌)なき人をしたふ心にまかせてもかげ見ぬ水の瀬にやまどはむ」
――来世は同じ蓮の上に、とお思いになって、
(歌)亡き人を慕ってあの世まで行っても、三途の川で行方に迷うことでしょう――
と、思わねばならないのも、お辛いことです。
◆写真:阿弥陀如来
【朝顔の巻】おわり。 ではまた。
【朝顔】の巻】 その(12)
月はいよいよ澄み渡り、静かな夜です。紫の上が少し頭を傾けていらっしゃるお姿が、愛らしく、御髪のかかりぐあいや、面ざしが、忘れられぬ恋しい藤壺の宮の面影に似てお美しく、朝顔の君に惹かれていた御心も少し薄らいでいくようです。
源氏は御帳台(寝台)にお入りになって、藤壺の宮のことをひとり偲んでお寝すみになっていますと、夢ともうつつともなく、藤壺のお姿が現れて、お怨みのご様子で、
「漏らさじと宣ひしかど、浮き名の隠れなかりければ、はづかしう、苦しき目を見るにつけても、つらくなむ。」
――秘密は漏らすまいと仰いましたのに、二人の間の浮き名が世間に漏れてしまいましたので、死後の今も恥ずかしく、苦しい目にあうにつけても、あなたが恨めしい。――
源氏は、お応えをしようとしながらも胸が苦しく、ものに襲われるようで喘いでいらっしゃるので、紫の上がお声をかけられて、やっと正気に戻られたのでした。
「いみじく口惜しく、胸のおきどころなく騒げば、おさへて、涙も流れ出でにけり。今もいみぢく濡らし添へたまふ。女君、いかなる事にかと思すに、うちもみぢろがで臥し給へり。(源氏の歌)とけて寝ねぬねざめ淋しき冬の夜に結ぼほれつる夢のみじかさ」
――目が覚めたのが残念で、置きどころもないように、胸騒ぎがなさるので、両手で胸を押さえて、涙さえ流れておいででした。目が覚めた今も、いよいよ泣きぬれていらっしゃいます。紫の上は、これはいったいどういうことなのかとご心配になっていらっしゃいますが、じっと身動きもしないで横になっておられました。
(歌)もの思いに安眠もできず、寝覚めがちな淋しい冬の夜に、結んだ夢が気がかりで、しかも何と短かった事よ――
なまじ、短い夢ゆえ、たまらなく悲しく、そのまま御起きになって、藤壺の宮の為とは言わず、諸所でご供養のお経をあおげさせになります。「苦しい目にお遭わせになる」と、お恨みを言われた藤壺の宮のご様子に、あの秘密のためにご成仏できないでいらっしゃると、言いようもなく辛く悲しくお思いです。
しかし、藤壺の宮の御為のご供養とは、まさかにも知られてはならず、ご用心なさって、ただただ阿弥陀仏を熱心に御念じになります。
「同じ蓮にとこそは、
(歌)なき人をしたふ心にまかせてもかげ見ぬ水の瀬にやまどはむ」
――来世は同じ蓮の上に、とお思いになって、
(歌)亡き人を慕ってあの世まで行っても、三途の川で行方に迷うことでしょう――
と、思わねばならないのも、お辛いことです。
◆写真:阿弥陀如来
【朝顔の巻】おわり。 ではまた。