永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(206)

2008年10月30日 | Weblog
10/30  206回 

【乙女(おとめ)】の巻】  その(16)

 内大臣には、たくさんの君達がおられますが、夕霧に並ぶほどのご容姿ご器量のものはいないようです。大宮は、夕霧が勉学のために東の院へ移られてからは、ひたすら雲井の雁を可愛いものと身近に大事にされてきたものを、こうして離されることになって、淋しさは言葉に申せないのはもちろんです。
 
 内大臣はお心の内は、
「いふかひなきことを、なだらかに言ひなして、さてもやあらましと思せど、なほいと心やましければ、人の御程のすこしものものしくなりなむに、かたはならず見なして、その程志の深さ浅さのおもむきをも見定めて、ゆるすとも、ことさらなるやうに、もてなしてこそあらめ」
――二人のことは、いまさらどうにもならないことだから、穏便におさめて、許すことにしようかとも思われますが、それでもやはり、ひどく癪にさわって仕方がないのでした。夕霧がもう少し貫禄が出てきて、どっしりとしてきたならば、一人前に扱って、その時の雲井の雁への愛情の深さ浅さを見極めて、たとえ許すとしても、もったいをつけて許すのがよかろう。――

 こうして、大宮にも、正妻の四の宮にも、何とか言いつくろって、あちらへ姫君をお移しになりました。

 日がたって、大宮はお文を雲井の雁に、
「大臣こそうらみもし給はめ、君は、さりとも志の程も知り給ふらむ。渡りて見え給へ」
――内大臣は、なるほど私をお怨みでしょうが、あなたは私が愛おしく思っていることをご存じでしょう。こちらへ来てお顔をみせてくださいな――

 雲井の雁は、美しくお衣装を調えてお出でになりました。十四歳におなりの姫君は、まだ大人になりきれぬ初々しさで、しとやかで、可愛らしい様子をしておられます。

大宮は、
「長年、私の傍から離さずにおりましたので、もうとても淋しくてなりません。余命いくらもないのですから、あなたの行く末まで見届けることはできまいと、命というものを、つくづく考えました。」とお泣きになります。姫君もお顔を上げることもできずに、ご一緒にただ泣いておられます。

 そこへ、夕霧の乳母の宰相の君がお顔を出して、
「同じ君とこそ頼み聞こえさせつれ。口惜しくかく渡らせ給ふこと。殿はことざまに思しなる事おはしますとも、さやうに思しなびかせ給ふな」
――姫君を夕霧の君と同じようにご主人とお頼り申しておりました。口惜しくもこのようにお移りなさることになりまして。殿(父君の内大臣)が他の方へ御縁づけようとなさっても、決してご承知なさってはなりませんよ――

 などと小声で申し上げますので、姫君はますます恥ずかしそうにして、ものもおっしゃらない。

ではまた。


源氏物語を読んできて(年中行事・五節の起源)

2008年10月30日 | Weblog
五節の起源と名称

 五節舞は、天武天皇が吉野宮へ行幸し、日暮れに琴を弾くと雲の中から天女が現れ、降りてきて「乙女ども、乙女さびすも、から玉を袂にまきて、乙女さびすも」と詠じて袖を5度翻して舞ったとの故事を起源とされます。袖を振るのは呪術的であり、新嘗祭の前日に行われる鎮魂祭とも同じ意味があると考えられます。別名五節田楽ともいい、農耕の繁栄を祈る地方芸能が根底にあると考えられますが、朝廷の年中行事となったことが確認されるのは嵯峨天皇の弘仁五年(814)です。