永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(191)

2008年10月15日 | Weblog
10/15  191回 

【乙女】の巻】  その(1)

源氏     33歳4月~35歳10月
紫の上    25歳~27歳
秋好中宮(梅壺女御から中宮へ)24歳~26歳
明石の御方  24歳~26歳
明石の姫君  5歳~7歳
雲井雁(くもいのかり)14歳~16歳
夕霧(源氏の御子息) 12歳~14歳

「年かはりて、宮の御はても過ぎぬれば、世の中色あらたまりて、(……)前斎院は、つれづれとながめ給ふ。」
――年が改まって3月になり、藤壺の宮の一周忌の喪もあけましたので、世間でも、人々はすべて鈍色の喪服を通常の衣装に着替えて、4月1日の更衣の衣替えは、目新しい感じがします。(まして賀茂の祭りの頃は、一層、空の色も冴え冴えとして)、前斎院の朝顔の君は、亡き御父を思い出されてぼんやりとお過ごしになっております。――

 源氏からは、相変わらずの御文と、朝顔の君の喪の明けにと、仰山なほどの御装束を、宣旨をとおして贈られます。朝顔の君は迷惑に思われておいでですが、女五の宮は、源氏のお心づかいを大層おほめになって、

「(……)思ひ立ちしことをあながちにもて離れ給ひしこと、など宣ひ出でつつ、口惜しげにこそ思したりし折々ありしか。(……)さらがへりて、かくねんごろに聞こえ給ふも、さるべきにもあらむとなむ思ひ侍る」
――(あなたの御父君も、源氏の君が他家にご縁を結ばれてしまって、残念に御思いでした。)せっかくの思い立ちを、あなたが無理にお断りになったことを、よく愚痴にお言いでしたよ。(けれども、故左大臣の姫君の葵の上でしたので、私の御姉上の姫ですし、とやかく口出し申す事もできませんでした。その、正妻であられる御方が亡くなられた今は、どうしてあなたが、その地位に変わられたとしても、いけないわけがありましょう。)
源氏の君が、昔にかえって、こうねんごろに望まれるのは、やはりそうなるべき御宿縁かと思いますよ。――

 と、まじめにお勧めになりますのが大層厭わしく、朝顔の君は、

「故宮にも、しか心ごはきものに思はれ奉りて過ぎ侍りにしを、今さらにまた、世になびき侍らむも、いとつきなき事になむ。」
――亡き父宮にも、私は強情な者と思われてまいりましたのに、いまさら世間並の理屈に従いますなど、似合わしくないでしょう――

 と、おっしゃって、取りつく島もないお返事ですので、これ以上無理はできないと女五の宮はお思いになります。ただ、このお屋敷の誰もかれもが、みな源氏をお褒めになりますので、朝顔の君は、二人の仲がいつどうなるのかと、ご心配でなりません。しかし源氏自身は、無理に突き進もうとはお思いにならず、自然とお心が解けるのをお待ちになるようでした。

◆写真:賀茂祭は、4月中の酉の日に行われる。現在は5月。

ではまた。

源氏物語を読んできて(教養と学問・男の教養科目)

2008年10月15日 | Weblog
教養と学問・男の教養科目

 男にとっても、習字、音楽、和歌は一般教養科目で会った。さらに、習字には漢字も平仮名も、音楽には得意とする楽器以外に、弦楽器や横笛のうち、いくつかに心得が必要であった。

 また、平安朝中期から、絵画の教養も男は身につけるようになってくる。源氏は小さい時からいろいろ習った中で、絵を満足に描いてみたいと考えていたと「絵合わせ」にある。
 
 漢詩文の教養は、男に必須であった。我が国固有の学問というものは無く、唐文化模倣の律令体制にあっては、学問の第一は、中国に発達したものを学ぶことであった。
 
 仏教の教えが、人々の思考法に大きな影響を与えたことは見逃せないが、一般の人に要求される学問ではなかった。僧侶を除き、教養ある者はすべて官吏となった。

◆参考:源氏物語手鏡