永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(197)

2008年10月21日 | Weblog
10/21  197回 

【乙女(おとめ)】の巻】  その(7)

内大臣(故左大臣の長子、頭中将、葵の上の同腹の兄君、)
夕霧(母の葵上亡きあと、左大臣家で養育される。)12歳
大宮(故左大臣の正妻、夕霧の祖母、女五の宮の姉君、皇族につながる血筋)
雲井の雁(内大臣の姫君、側妻の御娘、大宮の孫、夕霧といとこ同志)14歳位。
弘徽殿女御(内大臣の正妻の姫君、冷泉帝に一番目に入内、冷泉帝と同じ歳)


 内大臣の御子のもう一人の姫君は、弘徽殿女御と同じ王族の女君の御腹に生まれた方で、弘徽殿女御に劣るわけではありませんが、母親がその後、按察使(あぜち)大納言の北の方になって、あちらにも御子が多く生まれましたので、内大臣はそこで一緒に育てられるのは面白くないと思われて、大宮に養育をお願いしたのでした。
 この姫君を、内大臣は弘徽殿女御と比べて、軽く扱っていらっしゃるけれども、性格もご容貌もとても美しく愛らしくいらっしゃいます。
*【この姫君を「雲井雁(くもいのかり)」と書いていきます。】

 このような訳で、大宮の邸で夕霧は雲居雁と一緒にお育だちになりましたが、それぞれが十歳を過ぎて後は、お部屋を別々になさって、内大臣は、女子は男の子とは打解けるものではないとおっしゃって、離れ離れに暮らすようになさったのでした。

「御後見どもも、何かは、若き御心どちなれば、年ごろ見ならひ給へる御あはひを、にはかにも、いかがはもて離れはしたなめ聞こえむ、と見るに、女君こそ何心なく幼くおはすれど、男は、さこそものげなき程と見聞こゆれ、おほけなくいかなる御中らひにかありけむ、よそよそになりては、これをぞ静心なく思ふべき。」
――乳母たちは、何の、子供同士のことですもの、今まで雛遊び、花紅葉と睦んでいられた間柄を、急に引き離してやかましくご意見を申す事もないと思っておりました。姫君も無邪気でいらっしゃるし、男君はもっと幼くみえていましたのに、まあ、いつどのような仲になっておられたのでしょうか。別れ別れになってからは、夕霧は雲居の雁に逢えぬ事をもどかしくお思いになっておられるようです。――

 幼い手蹟で遣り取りなさったお文が、取り落として人手に渡ったりなさることもあって、姫君付きの女房達は、うすうす察している者もおりますが、どうしてこの様なことを、いちいち申し上げられようかと、見過ごして知らぬ顔でいるようです。

ではまた。
 

源氏物語を読んできて(教養と学問・有職家)

2008年10月21日 | Weblog
教養と学問・有職家(ゆうそくか)
 
 政治家となる公卿には、もうひとつ大切な教養が要求された。それは、日々の政治を行っていく上での、「しきたり」についての知識である。これがなくては、政治家の資格がない。これは、先祖が残してくれた家に伝わる文書によったり、肉親の政治家から伝授されねばならない。
 
 何事においても、前例を重んじ、前例を考慮して判断を下し、行動するのが政治家の基本であった。その前例に通じた人が、「有職家(ゆうそくか)」として尊ばれた。

 貴族は、前例にのっとって無難な政治をしていれば良いのではない。折にふれ口ずさむ当意即妙の古歌や、詩句の一節、男からも女からも好ましく思われる豊かな教養と、風流が自然に出てくることが望ましい。それは大学で教えられることではなく、個人的に遊芸(笛や、琴など)に優れた師について学ぶこと。やはり最終的には本人の才能とそれを育てる生活環境であった。

◆参考:源氏物語手鏡


源氏物語を読んできて(教養と学問・紫式部の夢?)

2008年10月21日 | Weblog
教養と学問・紫式部の夢?
 
 物語の中で、源氏は夕霧を大学に学ばせたのはなぜか。何のためだったのか。公卿となって、誰にも軽蔑されない見識と、政治的判断を確かなものとなるからか。長幼序ありという儒教的な生活様式の中で、学生の刻苦勉励する世界に触れさせようとしたのだろうか。

漢学者の父を持つ紫式部は、聖賢の道を学ぶ大学が栄え、そこに学んだ夕霧のような人が、良き政治をするということに、夢を託したのかもしれない。父も兄も、学者としての見識は高かったが、身分と地位は必ずしも高くなく、除目には、自ら任官を願い出ている。
(就職にも楽ではなかった)

◆参考:源氏物語手鏡