永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1081)

2012年03月13日 | Weblog
2012. 3/13     1081

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(52)

弁の尼君は、

「一日、かの母君の文侍りき。忌たがふとて、ここかしこになむあくがれ給ふめる、このごろもあやしき小家に隠ろへものし給ふめるも、心ぐるしく、すこし近き程ならましかば、そこにもわたして心安かるべきを、荒ましき山道に、たはやすくもえ思ひ立たでなむ、と侍りし」
――この間、あちらの母君からお文がありました。物忌で方違え(かたたがえ)をするとかで、浮舟はあちらこちらを転々と住処を移しておいでのようです。この頃も粗末な小家に隠れておいでなのがお気の毒で、この宇治がもう少し近いところでしたら、そちらにでもお預けして安心するところですが、険しい山道とて、容易に思い立つこともできませんで、とありました――

 と申し上げます。薫は、

「人々のかく恐ろしくすめる道に、まろこそ旧り難く分け来れ。何ばかりの契りにか、と思ふは、あはれになむ」
――みなさんがこのように恐ろしがる山道ですのに、私はまあ昔に変わらず踏み分けて来るとは。いったいどれほどの因縁によるのかと感慨無量ですよ――

 と、おっしゃって涙ぐんでいらっしゃいます。そして、

「さらば、この心安からむ所に、消息し給へ。みづからやはかしこに出で給はぬ」
――それならば、その隠れ家は気兼ねのないところだろうから、消息をやってください。あなた自身で出かけられないでしょうか――

 弁の君は、

「仰せ言を伝へ侍らむことは易し。今更に京を見侍らむことはもの憂くて、宮にだにえ参らぬを」
――お言葉をお伝え申し上げますことは何でもございません。ただ、今更、京へ参りますのは気が重くて、中の君の御殿にも参れずにおりますものを――

 と申し上げます。薫が、

「などてか。ともかくも人の聞き伝へばこそあらめ、愛宕の聖だに、時に従ひては出でずやはありける。深き誓を破りて、人の願ひを満て給はむこそ尊からめ」
――何でそんなことが気になるのでしょう。あれこれ人が聞き伝えるならばともかく、忍んで出掛けなさい。愛宕山の奥深く籠る聖僧でさえ、時によっては人中に出なかったでしょうか。俗世には立ち交じらわないという深い誓いを破ってでも、衆生の願いを叶えてくださるのが、ほんとうに尊いことでしょうに――

 と、おっしゃいます。尼君はなおも当惑しているようでしたが、薫がいつになく強く、

「明後日ばかり車奉らむ。その旅の所尋ねおき給へ。ゆめをかがましうひがわざすまじきを」
――あさってに、迎えの車を上げましょう。その隠れ家を調べておいてください。決して愚かしい過ちなどは犯しませんから――

 と、微笑んでいらっしゃる。

では3/15に。


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