永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1080)

2012年03月11日 | Weblog
2012. 3/11     1080

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(51)

「かの大将殿は、例の、秋深くなりゆく頃、ならひにしことなれば、ねざめねざめに物わすれせず、あはれにのみ覚え給ひければ、宇治の御堂つくり果てつ、と聞き給ふに、みづからおはしましたり。久しう見給はざりつるに、山の紅葉もめづらしう覚ゆ」
――かの薫大将は長年のしきたりで、秋の深まる頃は宇治にお出かけになるのでしたが、今でも寝ざめごとに亡き大君のことが忘れられず、悲しいことばかりお思い出しになりますので、御堂が出来上がったとお聞きになりますと、ご自分からお出かけになりました。久しく御覧にならなかったこととて、山の紅葉もなつかしく御覧になります――

「こぼちし寝殿、こたみはいとはればれしうつくりなしたり。昔いとことそぎて聖だち給へりし住ひを思ひ出づるに、故宮も恋しう覚え給ひて、様かへてけるも、くちをしきまで、常よりもながめ給ふ」
――取り壊した元の寝殿の後に、今度は新しい寝殿が晴れがましく建っています。昔、八の宮がひどく簡素にして聖僧らしくしておられたお住いを思い出すにつけても、亡き八の宮の御事が恋しく思い出されるのでした。寝殿を寺に造り替えたこともやはり残念な思いもあって、しみじみと御覧になるのでした――

「もとありし御しつらひは、いと尊げにて、今片つ方を、女しくこまやかになど、ひとかたならざりしを、網代屏風、何かのあらあらしきなどは、かの御堂の僧坊の具に、ことさらにせさせ給ひて、いたうもことそがず、いときよげにゆゑゆゑしくしつらはれたり」
――寝殿であった当時の御設備は八の宮の持仏堂らしく荘厳にして、他の一部を女の住いらしく細々と整えるなど、二通りに分けて設えてありましたのを、網代屏風や何やかやと素朴な調度類は、今度の御堂の僧房のものにと寄進なさって、こちらの寝殿の方は、山里にふさわしい調度類を特別に作らせて、それほど質素ではなく、たいそう清らかに奥ゆかしく整えられました――

「遣水のほとりなる岩に居給ひて、とみにも立たれず、『絶えはて清水になどかなき人のおもかげをだにとどめざりけむ』涙をのごいて、弁の尼君の方に立ち寄り給へれば、いとかなし、と見たてまつるに、ただひそみにひそむ。長押にかりそめに居給ひて、簾のつま引き上げて、物語し給ふ。記帳に隠ろへて居たり」
――(薫は)遣水のほとりにある岩に腰掛けておいでになりましたが、急には立ち上がりかねて、(歌)「昔ながらの清水なのに、なぜ亡き人の面影だけでも留めていないのだろう」と涙をぬぐって、やがて弁の尼君の方へお立ち寄りになりますと、尼はただもう悲しくなって、泣き顔になっています。薫は長押(なげし)にちょっと腰を下ろして、御簾の端を少し引き上げてお話になります。尼君は几帳の陰に隠れています――

ことのついでに、薫が、

「かの人はさいつ頃宮にと聞きしを、さすがにうひうひしく覚えてこそ、おとづれ寄らね。なほこれより伝へ果て給へ」
――あの浮舟は、先頃、中の君の所に居ると聞きましたが、やはりどうも気恥かしい思いがして、尋ねていないのですよ。やはりあなたからはっきりと、私の心を伝えてほしいんだが――

 とおっしゃいます。

◆女しくこまやかに=女の住いらしく細々と

◆いたうもことそがず=いたうも・事削がず=それほど質素でもなく

では3/13に。


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