永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(135)

2016年07月16日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (135) 2016.7.16

「長月のつごもり、いとあはれなる空のけしきなり。まして昨日今日、風いと寒く、時雨うちしつついみじくものあはれにおぼえたり。遠山をながめやれば紺青を塗りたるとかやいふやうにて、霰ふるらしとも見えたり。『野のさまいかにをかしからん。見がてらものに詣でばや』など言へば、前なる人、『げにいかにめでたからん、初瀬に、このたびは忍びたるやうにておぼし立てかし』など言へば、『去年も心みんとていみじげにて詣でたりしに、石山の仏心をまづ見はてて、春つ方、さもものせん。そもそもさまでやはなほ憂くて命あらん』など、心ぼそうて言はる。
<袖ひつる時をだにこそなげきしか身さへ時雨のふりもゆくかな>
すべて世に経ることかひなくあぢきなき心ち、いとするころなり。」

◆◆九月の末ごろ、とてもしっとりとした空模様です。いつもより昨日今日は風が吹いて寒さも増し、時雨が時おりやってきて、しみじみとした思いでいます。遠く山々を眺めれば、紺青を塗ったという感じで、「深山には霰降るらし」という歌のように見えるのでした。「野の景色はどんなに美しいでしょう。見がてら、どこかにお参りしたいわね」などと言うと、侍女が「ほんとうに、どんなに素晴らしいでしょう。初瀬に今度はお忍びでお出でになられては」などと言うので、「去年も私の運を試そうと思って、ひどく身をやつして御参りしたのですが、石山のみ仏の霊験を先に見届けたうえで、春頃、お前の言うように出かけましょう。それにしてもそのころまで、こんな思いに任せぬさまで生きていられるかしら」などと心細くて、ついこんな歌が口づさまれたのでした。
(道綱母の歌)「昔は涙で袖が濡れただけでも嘆いたのに、今は時雨に身までぬれて老いていくことよ」
何もかも、この世に生きていること自体無意味で砂をかむような思いに、ひどくかられるこの頃です。◆◆

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