永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(解説)その2

2017年09月02日 | Weblog
『蜻蛉日記』上村悦子著  巻末の解説から その2 2017.9.2

一、 作者および近親者たち
(3) 母
 倫寧には二人の妻があり、『尊卑分脈』によると、理能(まさとう)の母は主殿頭春道女(とのものかみ春道のむすめ)であり、長能(ながとう)は源認女(みなもとのみとむのむすめ)の腹である。作者には記載がないが、宮内庁書陵部蔵の『道綱母集』の奥に「母刑部大輔認女」とあり長能と同腹となる。
(中略)
 しかし作者の母が逝去した際の理能の悲嘆や兼家急病の際の分別ある言動より考えて、兄理能と思われる。この母のことは律儀な昔気質の人として日記にも描かれ、康保元年逝去前後の模様は詳細に記されている。


(4) 兄弟姉妹
 兄理能(まさとう)は従五位上肥前守となり、長徳元年八月二十五日に逝去したが、妻は清原元輔女で清少納言の姉に当たり、為善、為季、為祐をもうけている。
の弟為信の娘は紫式部の母である。
 弟長能(ながとう)は中古歌仙三十六人(『後六々撰』)にも選ばれ、勅撰集には
五十二首(勅撰作者部類による)入り、『長能集』一巻を残している著名な歌人である。花山院を中心とする作歌グループの主要メンバーであり、能因の師と仰がれた。
ただし日記では下巻に「せうとだつ人」とか「せうとと覚しき人」と記されているのが長能(断定できない)のようで、あまり顔を出さないが、『長能集』では道綱と親しくしていたことが伺われる。
 作者の妹は菅原孝標(たかすえ)の妻となり、『更級日記』著者を生んでいる。

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