永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1277)

2013年07月25日 | Weblog
2013. 7/25    1277

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その11

「まがふべくもあらず、書きあきらめ給へれど、こと人は心も得ず。『この君は、誰にかおはすらむ。なほいと心憂し。今さへかくあながちに隔てさせ給ふ』と責められて、すこし外ざまに向きて見給へば、この子は、今はと世を思ひなりし夕ぐれにも、いとこひしと思ひし人なりけり」
――間違いのない事実をはっきりと書いてありますが、他人には何のことか分かりません。「この君はどのようなお方でしょう。まあ何と情けない事。今になってもまだこう頑なにお隠しになるのですか」と妹尼に責められて、尼姫君が、ちらと御簾の外の方に顔を向けられますと、そこに居るのは、いよいよ死を覚悟した夕べにも、大そうなつかしく思い出された弟(父の違う)なのでした――

「同じ所にて見し程は、いとさがなく、あやにくにおごりてにくかりしかど、母のいとかなしくして、宇治にも時々率ておはせしかば、すこしおよずけしままに、かたみに思へりし童心を、思ひ出づるにも夢のやうなり」
――同じ家に暮らした時分は、たいそう意地悪く、いやに偉そうにして憎らしかったけれど、母親が他の兄弟よりもたいそう可愛がって、宇治にもときどき連れて来られましたので、少しずつ成長するに従って、お互いに姉弟らしく慈しみ合うようにもなっていたのでした。その子供心の無邪気さを思い出すにつけても、夢のような気がします――

「先づ母のありさま、いと問はまほしく、こと人々の上は、おのづからやうやう聞けど、親のおはすらむやうは、ほのかにもえ聞かずかし、と、なかなかこれを見るに、いと悲しくて、ほろほろと泣かれぬ」
――浮舟は何よりもまず、母の様子を尋ねたい、他の人たちのことはおのずと耳にも入ってきますが、親子がどうしていらっしゃるかは、ほんのすこしも耳に入って来ないものよ、しかしなまじ小君と顔を合わせたりしたら…と思うと、たまらなく悲しくなって、ついほろほろと涙がこぼれるのでした――

「いとをかしげにて、すこしうちおぼえ給へる心地もすれば、『御兄弟にこそおはすめれ。聞えまほしく思すこともあらむ。うちに入れたてまつらむ』を言ふを、何か、今は世にあるものとも思はざらむに、あやしきさまに面変はりして、ふと見えむもはづかし、と思へば…」
――小君がたいそう愛らしげで、少し浮舟に似ておられる気もしますので、尼君が、「この方は、あなたのご兄弟でなのでしょうね。お話したいこともおありでしょう。内へお入れしましょう」と言うのを、姫君は、いや、小君にしても、よもや私がこうして生きているとは思ってもいまいに、このような面変わりした尼姿で、ふと逢うのも恥かしいと思って…――

◆写真:春の三室寺

では7/27に。

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