永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(92)の4

2016年01月14日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (92)の4 2016.1.14

「夜の明くるままに見やりたれば、東に風はいとのどかにて霧たちわたり、川のあなたは絵にかきたるやうに見えたり。川づらに放ち馬どものあさりありくもはるかに見えたり。いとあはれなり。二なく思ふ人をも人目によりてとどめおきてしかば、出で離れたるついでに死ぬるたばかりをもせばやと思ふには、まづこの絆しおぼえて恋ひしうかなし。涙のかぎりをぞ尽くし果つる。」
◆◆夜の明けるに従って辺りを見やると、寺の東側では、風がのどかに吹いて霧が一面に立ちこめ、川の向こうはまるで絵にかいたような趣きに見えます。川べりには放し飼いの馬どもがえさを探し回っている状景がはるかに見えます。とても心に沁みるものでした。かけがえのない大事なあの子を、徒歩ゆえ人目を気にして京に残してきて、家を離れて出てきたこの機会に、死ぬ思案をしたいと思うにつけても、何よりも先にこの道綱のことが胸に浮かんで、恋しく切なく思えてならない。私は涙が涸れてしまうまで泣きつくしてしまったのでした。◆◆



「男どものなかには、『これよりいと近かなり、いざ佐久那谷見にはいてもくちひきすごすと聞くぞからかなるや』など言ふを聞くに、さて心にもあらず引かれいなばやと思ふに、かくのみ心つくせば物なども食われず。『しりへの方なる池に、しぶきといふ物生ひたる』と言へば、『取りて持て来』と言へば、もて来たり。笥にあへしらひて、柚押し切りてうちかざしたるぞ、いとをかしうおぼえたる。」
◆◆供人の男どもの中には、「ここからはすぐ近くだそうだ。さあ佐久那谷を見てこよう。何でも谷の口からずるずると引っ張りこまれてしまうと聞くが、危なそうだね」などと言っているのを聞くと、そのようにして、自分の意思からではなく引きずり込まれて行ってしまいたいものだと思う。このようにくよくよと心を痛めてばかりいるので、食事ものどをとおらない。「寺の裏手の池にしぶきという物が生えていますよ」というので、「取って持っていらっしゃい」というと持って来ました。器に盛り合わせて柚子を刻んでふりかけたのは、とても風味があって美味しいものでした。◆◆



「さては夜になりぬ。御堂にてよろづ申し泣きあかして、あか月がたにまどろみたるに見ゆるやう、この寺の別当とおぼしき法師、銚子に水をいれてもて来て、右の方の膝にいかくと見る。ふとおどろかされて、仏の見せ給ふこそはあらめと思ふに、まして物ぞあはれにかなしくおぼゆる。」
◆◆そうしているうちに夜になりました。また御堂であれこれお祈りしては一晩中泣きあかして、
明け方にうとうとしたときに、夢の中に見えたのは、この寺の別当と思われる法師が、銚子に水を入れて持ってきて、私の右の膝に注ぎかけると思ったそのとき、はっと目を覚まされて、ああこの夢は、仏様がお見せくださったのであろうと思うと、いよいよしみじみと心に深く沁みて悲しく感じられたのでした。◆◆


■放ち馬ども=放牧の馬。石山の対岸は田上牧(たがみのまき)に連なる地。

■いかく=沃かくの字で、注ぐ

■佐久那谷(さくなだに)=瀬田川を石山寺から数キロメートル下った下流にあり、現在、滋賀県栗太郡大石村の所。後世なまってさくら谷ととも言われた。景勝の地である。佐久奈度神社があり、祓え所七瀬の一つ。

■しぶき=どくだみの異名という。あるいはしぶくさ(ぎしぎし)か。

■別当(べっとう)=大寺において一山の寺務を統括する僧。

■銚子(ちょうし)=酒などを注ぐための道具。注ぎ口があり、長い柄がついている。

■絵:道綱母石山寺参籠図 石山寺縁起絵巻模本下図 
  向って左:道綱母  左は侍女、下男が軒下で参籠


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