永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(209)と解説

2017年08月27日 | Weblog
蜻蛉日記 下巻 (209) 2017.8.27

「今年いたう荒るるとなくて、はだら雪ふたたびばかりぞ降りつる。助のついたちのものども、また白馬にものすべきなどものしつるほどに、暮れはつる日にはなりにけり。明日の物、折り巻かせつつ、人にまかせなどしておもへば、かうながらへ、今日になりにけるもあさましう、御魂など見るにも、例のつきせぬことにおぼれてぞはてにける。京のはてなれば、夜いたうふけてぞたたき来なる。とぞ本に。」

◆◆この年は、天候がひどく荒れるというわけでもなく、まだら雪が二度ばかり降っただけでした。助の元日の装束など、また、白馬の節会に来ていく物などを用意しているうちに、この年の最後の日になってしまいました。明日被け物ととしての反物を折ったり、同じく被け物の絹を丸く巻いたり、侍女に任せなどして、考えてみるとこのように生きながらえて、今日まで過ごしてきたのも、あきれるばかりで、御魂祭などを見るにつけ、いつものように尽きることのない物思いにふけって、今年も終わってしまったのでした。ここは京のはずれなので、夜がすっかり更けてから、門を叩きながら回ってくる音が聞こえてくる。(とぞ本に)

■白馬(あおうま)=正月七日の白馬の節会

■明日の物=明日は元日。元日に禄、被け物として与える反物の類。

■御魂(みたま)=死者の霊を祭る仏事の魂祭(たままつり)で、当時は十二月晦日におこなわれた。

■たたき来(たたきく)=追儺をする人たちが門を叩きながら町を回る。夜が更けてから作者の家にもそれが回ってくる。

■とぞ本に=書写者がもとの本にこうなっているとの注記。


蜻蛉日記 下巻  上村悦子著から
【解説】

 巻末の三十日の記事は次の世代を担う若い貴公子道綱の新年を迎える準備に、母、作者は忙殺されたが静かな夜を迎えると、作者の脳裏には過ぎ去った二十一カ年のことが、ところどころ鮮明に思い浮かべられ、走馬灯のように流れ去っていった。

 ――摂関家の若い貴公子兼家の求婚、結婚、道綱出産、夫の漁食癖に悩んだ青春の日々、ライバル時姫の子女五人の出産、宿願の本邸入りの夢が破れたあとの不安の中年の日々、結婚十七年目元日の邸前素通り、鳴滝の山寺長期参籠、広幡中川への移居等々――
 
兼家との関係ももう書きつけるほどのこともなくなり、次の世代の人々にバトンを渡す今、道綱や養女のように新しい年に対する夢で胸のふくらむ思いもなくなったことをしみじみ感慨深く思われたのであろう。外では追儺の戸を叩く音が耳にひびき、静かな京のはずれの住居の大晦日の夜は次第に更けて行く。

以上で下巻が終わるとともに道綱母の二十一年間の日記文学『蜻蛉日記』上・中・下三巻も記事が終わり擱筆された。



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