永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(65)の5

2015年09月06日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (65)の5 2015.9.6

「かくて、今しばしもあらばやと思へど、明くればののしりて出だし立つ。帰さは、しのぶれどここかしこ饗しつつとどむれば、ものさわがしうて過ぎゆく。三日といふに京に着きぬべけれど、いたう暮れぬとて、山城の国、久世の屯倉といふところに泊まりぬ。いみじうむつかしけれど、夜に入りぬれば、ただ明くるをまつ。」
◆◆こうして、はじめは三日間参籠のつもりでいたのですが、夜が明けると大騒ぎして出でたたせます。帰途は忍んでの道中ながら、あちらこちらでもてなしをしてくれて引き止めるので、にぎやかな旅となってしまいました。三日目に京に帰りつく予定でありましたが、途中ですっかり暮れてしまったというので、山城の国の久世の三宅という所に宿をとりました。とてもむさくるしいところだったけれど、夜に入ってしまったので、ただただ夜の明けるのを待ったのでした。◆◆


「まだ暗きより行けば、黒みたる者の調度負ひて走らせて来。やや遠くより下りて、ついひざまづきたり。見れば、隋身なりけり。『何ぞ』とこれかれ問へば、『きのふの酉の時ばかりに宇治の院におはしまし着きて、『帰らせ給ひぬやと、まゐれ』と、仰せごとはべりつればなん』と言ふ。さきなる男ども、『疾う促がせや』など行ふ。」
◆◆まだ暗いうちから出かけて行くと、黒っぽい人影が、弓矢を背負って馬を走らせてやってきます。やや離れたところで下馬して、ひざまずいています。見ると、あの人の隋人でした。「何事ですか」と、こちらの供回りの者が尋ねますと、「殿は昨夜の夕方、酉の時刻(午後六時前後)のころ、宇治の院にご到着なさいまして、『お戻りになったかとご様子を伺いに参れ』とのご命令がございましたので」と言う。先頭にいる男どもが、「車を早く進ませよ」などと、車の指図をします。◆◆


「宇治の川によるほど、霧は来しかた見えず立ちわたりて、いとおぼつかなし。車かき下ろして、こちたくとかくするほどに、人声おほくて『御車おろし立てよ』と、ののしる。霧の下より、例の網代も見えたり。いふかたなくをかし。みづからは、あなたにあるなるべし。まづ、かく書きて渡す。
<人ごころうじの網代にたまさかによるひをだにも尋ねけるかな>」
◆◆宇治川に近づくころ、霧が立ち込めて今来た道を覆い、心もとなく不安になりました。車から牛を外して轅をおろし、あれこれと渡河の準備をしているうちに、大勢の人声がして、「車を川岸にとどめよ」と大声で言う。霧の下より例の網代も見えています。言葉もないほど風情があります。あの人は対岸の方にいるのでしょう。私はまず、このように書いて渡しました。
(道綱母の歌)「あなたという人は、私が宇治に着いた日、たまたま網代の氷魚を見に来ただけなのでしょう。薄情ですこと。」◆◆


*写真:現在の宇治川に架かる宇治橋



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