永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(40の1)(40の2)

2015年06月08日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (40)の1  2015.6.8

「さいふいふも、女親といふ人ある限りはありけるを、久しうわずらひて、秋のはじめの頃ほひむなしくなりぬ。さらにせん方なくわびしき事の、世のつねの人にはまさりたり。」
◆◆そうは言いながらも、母親が生きている間はなんとか過ごしていましたが、その母が長らく患って、この秋ごろ亡くなってしまったのでした。どうしようもなく寂しく悲しいという思いは世間普通の人以上でした。◆◆


「あまたある中に、これはおくれじ、おくれじとまどはるるもしるく、いかなるにかあらん、足手などただすくみにすくみて、絶え入るやうにす。さいふいふ、物を語らひ置きなどすべき人は京にありければ、山寺にてかかる目は見れば、をさなき子を引き寄せてわづかに言ふやうは、『我はかなくて死ぬるなめり。かしこにきこえんやうは、【おのが上をば、いかにもいかにもな知りたまひそ。この御のちのことを、人々のものせられん上にも、とぶらひものし給へ】ときこえよ』とて、『いかにせん』とばかり言ひて、物も言はれずなりぬ。」
◆◆大勢の姉妹兄弟の中で、わたしは母に死に遅れまい、一緒にあの世に行きたいと気も動転するばかりでしたが、ところがまったくそのとおりになって、どうしたことか、足も手もこわばって息も絶えそうになってしまったのでした。事後のことなど言い置いておかねばならぬあの人は、京に居て、私は山寺でこのようになってしまったので、幼き子(道綱)を傍に引き寄せて、苦しい息の下でやっと言いましたのは、「わたしはこのままはかなく死んでしまうでしょう。あなたのお父様に申し上げてほしいことは、『わたしのことは、決してけっしておかまいなさいませんように。亡きおばあ様の追善供養を、他の人がなさる以上の充分なお弔いをなさってください』と申し上げてね」と言って、「ああ、どうしよう」と言ったきり、口も利けなくなってしまったのでした。◆◆


■女親(めおや)といふ人=作者の母は夫と別居していた。夫は他所に別の妻と暮していた。
             「女親といふ人」が道綱母の実の母親で、この母親と暮していた。            

■一夫多妻だった当事は、子どもは生みの母と暮すことが普通であった。


蜻蛉日記  上巻 (40)の2 2015.6.8

「日ごろ月ごろわづらひてかくなりぬる人をば、今はいふかひなきものになして、これにぞみな人はかかりて、まして『いかにせん。などかくは』と、泣くがうへに又泣きまどふ人おほかり。物は言はねどまだこころはあり目は見ゆるほどに、いたはしと思ふべき人より来て、『親は一人やはある。などかくはあるぞ』とて、湯をせめているれば、飲みなどして、身などなほりもてゆく。」
◆◆長い月日患って亡くなった人(道綱母の母親)のことは、今はもうどうしようもないとあきらめて、私のことに人々はかかりっきりで、以前より一層「まあ、どうしましょう。どうしてこんなことに」と泣く人が居る上に、さらに泣く人が多かったのでした。わたしは口は利けないけれど、まだ意識がはっきりしていましたし、目も見えていました。わたしを心配してくれる父親が側に来て「親は母親だけではないぞ。どうしてこうなってしまったのか」と言って、無理やりにも薬湯を飲ませなどするうちに、体もだんだんと回復していったのでした。◆◆


「さて、なほ思ふにも生きたるまじき心地するは、この過ぎぬる人、わづらひつる日ごろ、物なども言はず、ただ言ふ事とては、かくものはかなくてありふるを夜昼なげきにしかば、『あはれ、いかにし給はんずらん』と、しばしば息の下にもものせられしを思ひ出づるに、かうまでもあるなりけり。」
◆◆さて、どう考えても生きていられるような気がしないのは、先日亡くなった母親が、病床に患っていた日頃、他の事は何も言わず、ただただ口にすることと言えば、私がいつも頼りなげに日々を送っては嘆いていたので、「ああ、あなたはこの先どうなさるのかしら」と、度々苦しい息の下から言われたのを思い出すと、こんな状態にまでなったのでした。◆◆


「人聞きつけてものしたり。われは物もおぼえねば、知りも知られず、人ぞあひて『しかじかなんものし給ひづる』と語れば、うち泣きて、穢らひも忌むまじきさまにありければ、『いと便なかるべし』などものして、立ちながらなん。そのほどの有様はしも、いとあはれに心ざしあるやうに見えけり。」
◆◆あの人が聞きつけて訪ねてきました。わたしは意識がはっきりしないので、何も分らない状態なので、侍女が取り次いで、「これこれのご様子でございました」と申し上げますと、あの人は涙を流して、穢れもいとわず近づこうとされるので、『(兼家が死の穢れに触れては)とんでも無いことです』と引き止め申しますと、立ったままで見舞ったとのことです。あの頃のあの人の様子は、まことに愛情がこもっているように見えたのでした。◆◆


■穢れに触れるのは着座した場合で、立ったままの訪問はけがれないとされた。



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