永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(81)の3

2015年11月19日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (81)の3 2015.11.19

「その日になりて、まだしきに物して、舞の装束のことなど、人いとおほくあつまりて、しさわぎ、出だし立てて、また弓のことを念ずるに、かねてより言ふやう、『後へはさしても負け物ぞ、射手いとあやしう取りたり』など言ふに、舞をかひなくやなしてなん、いかならんいかならんと思ふに、夜に入りぬ。」
◆◆当日になって、まだ夜が明けないうちにあの人が来て、舞の装束やなにやかやと、大勢の人が集まって支度をし終え、送り出してから、私はまた弓の運を祈りながら、前評判では、「後手組はまったく勝ち目はないぞ、射手の選び方がまずかったからな」などということなので、せっかく練習した舞も無駄になってしまうのかしら。どうかしら。大丈夫かしら。と案じているうちに夜になったのでした。◆◆



「月いと明ければ、格子なども下ろさで、念じ思ふほどに、これかれはしり来つつ、まづこの物語りをす。『いくつなむ射つる』『敵には右近源中将なむある。おほなおほな射伏せられぬ』とて、ささとの心に、うれしうかなしきこと、ものに似ず。『負け物とさだめし方の、この矢どもにかかりてなん、持になりぬる』と、また告げおこする人もあり。」
◆◆この夜は月が明るく照らしているので、格子戸なども降ろさないで、案じ案じしていると、家の召使が走ってきては、真っ先に、この競射の話をします。「何番まで進みました」「若君(道綱)のお相手になるのは右近源中将でいらっしゃいます。」「懸命になって若君が打ち負かしておしまいになりました」ということで、私はあれほど案じていたことなのでほっとして、うれしいこと、よくやったと思うことは何にたとえようもないことでした。「負けがほぼ決まったようだった後手組が、若君(道綱)の矢のおかげで、引き分けになりました」とまた言って来た者がいました。◆◆


■持になりぬる(じになりぬる)=引き分けになる。

■写真は、陵王の舞い 

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