永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(208)

2017年08月22日 | Weblog
蜻蛉日記 下巻 (208) 2017.8.22

「ふる年に節分するを、『こなたに』など言はせて、
〈いとせめて思ふ心を年のうちに春くることも知らせてしがな〉
返りごとなし。

◆◆年内に節分をするので、助が「方違えはこちらへ」などと言わせて、
(道綱の歌)「年内に春がきたように、思いつめているこの胸の中をすっかり打ち明けて晴々したとお知らせしたいものです。どうかこちらへおいでいただき、私の思いを聞き届けてください」
返事はきませんでした。◆◆



また『ほどなきことを、すぐせ』などやありけむ、
〈かひなくて年暮れはつるものならば春にもあはぬ身ともこそなれ〉
こたみもなし。いかなるにかあらんと思ふほどに、『とかう言ふ人あまたあなり』と聞く。さてなるべし。 

◆◆また、助が「方違え(一晩)ほんのわずかな間ですから、こちらでお過ごしください」などと言ってやったのかしら。
(道綱の歌)「待つ甲斐もなくあなたに会えず、年が暮れてしまうのでしたら、私は春を待たずに死んでしまうでしょう」
今度も返事はありません。どうしたものかと思っているうちに、「あの女(ひと)には、いろいろ言い寄る男性がたくさんいるそうです」と言うことを耳にします。
そういうことがあったからでしょうか。◆◆



「〈われならぬ人待つならば松といはでいたくな越しそ沖つ白波〉
返りごと、
〈越しもせず越さずもあらず波寄せの浜はかけつつ年をこそふれ〉

◆◆(道綱の歌)「私以外の人を松のなら、待つ(松)などと紛らわしいことを言って私を裏切らないでくれ」
返事には
(八橋の歌)「あなたを裏切るでもなく、待つでもなく、波が寄せる浜のように、私はどなたにも心を寄せながら長い間過ごしてまいりました」◆◆


「年せめて、
〈さもこそは波のこころはつらからめ年さへ越ゆる松もありけり〉
返りごと、
〈千歳ふる松もこそあれほどもなく超えてはかへるほどや遠かる〉
とぞある。」

◆◆年がおしせまって、
(道綱の歌)「薄情な波(あなた)だけではなく年にまで越されても色を変えぬ松のように、一年間心を変えないで待っている人(わたし)もここにはいますよ」
返事に、
(八橋の歌)「千年を経た松もあるように、千年待つ人もいます。一年越すくらいなんでもありません。あとわずかで年が改まります。あなたの待つ苦しみももう長くはないではありませんか」
と書いてあります。◆◆



「あやし、なでふことぞと思ふ。風吹き荒るるほどにやる。
〈吹くかぜにつけても物をおもふかな大海のなみのしづ心なく〉
とてやりたるに、『きこゆべき人は、けふのことをしりてなん』と異手して、一葉ついたる枝につけたり。たちかへり『いとほしう』など言ひて、
〈わがおもふ人は誰そとはみなせどもなげきの枝にやすまらぬかな〉
などぞ言ふめる。」

◆◆変なことを言う、どういうことかしら。風の吹き荒れている最中に助おが手紙を送ります。
(道綱の歌)「風が吹くにつけても物思いは絶えません。大海の波が立ち騒ぐように心が落ち着かず心が騒いで」
と言ってやると、「お返事を申し上げるはずの人(八橋)は、今日のことで手がいっぱいでありまして」と別人の筆跡で、葉が一枚ついた枝につけて手紙を寄こしました。
折り返し助は、「ああ我ながらみじめな気持で」などと書いて、
(道綱の歌)「私の思う人はあなた以外の誰でもないと信じていますが、まるで木の葉が枝で今にも散りそうにゆらいでいるように、私も嘆きに心が安まらぬことです」
などと言ってやったようでした。◆◆


■ふる年に節分する=年内に立春があったこと。この「節分」は立春の前夜。その夜、方違えをする風習があった。

■けふのことをしりて=八橋の女が、他の男と結婚する、ととる説に従う。他に説もある。

■一葉ついたる枝=「葉」は言葉の意で、最後の手紙を暗示するのか。

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