永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(124)

2008年08月02日 | Weblog
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【澪標(みおつくし】の巻  その(17)


 月日がはかなく過ぎて、故御息所のお住いも心細いことばかりが増していくようです。お仕えしていました人々も散っていき、斎宮はひねもす泣き暮らしておいでです。伊勢への下向に例のないことながら、ご一緒に連れ添って、いつも離れたことのない母と娘なのでしたから。

 斎宮へは、言い寄る殿方があっても、決して文など取り扱わないようにとの、ひとかどの親顔をなさる源氏の厳命を、侍女達は守っております。

 御譲位になった朱雀院も、
「かの下り給ひし日、大極殿のいつかしかりし儀式に、ゆゆしきまで見え給ひし御容貌を、忘れ難う思し置きければ……」
――かの斎宮となって伊勢に下向される日、大極殿で厳かな儀式の折りの、恐ろしい程に美しくお見えになったご器量を忘れがたくお心に留めておられ、(斎宮を解かれた今も、「こちらへ侍ひ給へ」と、故御息所に仰っておられたのでした。)――

 その折、御息所は、しかとした後見人のいない斎宮をお出しになる不安と、朱雀院のお身体が弱くていらっしゃることへの不安で、ご遠慮しておりましたが、再三再四お心を込めてのお申し入れがありました。

源氏はそのことをお聞きになって、
「院より御気色あらむを、ひき違へ横取り給はむを、かたじけなき事と思すに、人の御有様のいとらうたげに、見放たむはまた口惜しうて、入道の宮にぞ聞え給ひける」
――朱雀院からご所望がおありというのに、それに背いて横取りなさったりするのは畏れ多いこととお思いになりますが、斎宮のお人柄が大層愛らしく、手放すのはまた残念で、藤壺ご相談なさるのでした。

◆写真:五年前伊勢に斎宮として下る日の、「別れの櫛の儀」。
    朱雀帝が黄楊の櫛を、斎宮の御髪に挿されるところ。風俗博物館

ではまた。


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