永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(人々の暮らし)

2008年06月07日 | Weblog
人々の暮らし   

庶民の住居(奈良・平安時代)

 人々の住居はそまつな堀立柱の竪穴(たてあな)でした。
住居の形態は方形を基調とし、北側の壁に粘土等を用いた竈(かまど)を設けたものが一般的でした。その規模は、奈良時代当初は古墳時代のものと比べ遜色ないのですが、平安時代以降、次第に小型化がすすんでいます。
 
 日常生活品としての土器は、土師器と須恵器が基本です。
 
 弥生時代には、日本列島の人口が59万人位に増えましたが、奈良時代になり、その人口は451万人に激増し、平安末期には683万人にまで増大しました。

 天皇を中心とした中央集権国家が確立し、土地や人は国家のものとされ(公地公民)、地方の行政区画を定め、戸籍を作成して統一的な税制を実施していきました。また、仏教によって国を護るという方針のもと、地方に国分寺が建立されました。

 このような行政単位に編成された人々は、戸籍に登録され、班田収授(はんでんしゅうじゅ)の法によって六歳以上の人に口分田(くぶんでん)が与えられ、租(そ)・庸(よう)・調(ちょう)などの租税が課せられました。ほかに雑徭(ぞうよう)・仕丁(しちょう)・兵役(へいえき)なども課せられ、重税により生活は大変苦しいものでした。

 


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