永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(70)(71)

2008年06月07日 | Weblog
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【花散里(はなちるさと)】の巻 (2)

この麗景殿は、故桐壺院の特には、はなばなしいご寵愛こそなかったものの、睦まじくおいでであったことなどを思い出されてのお話に、源氏もついもらい泣きをされます。

 次に御妹の花散里の西面のお住いに、源氏はさりげない、人目に立たないようにお顔をだされます。花散里は源氏の立派さに、たまのご訪問をも打ち消されるような心持ちでございました。お互いに心を交しあって過ごされたのでした。源氏が親しく思われただけあって、間遠なお扱いにもかかわらず、この姫君はおっとりとお待ちになっておいででした。

「それをあいなしと思ふ人は、とにかくにかはるも、道理の世のさがと思ひなし給ふ。……」
――それをつまらないと思う人は何かと心変わりをするが、これも世の習いとあきらめていらっしゃる。(先ほどの中川の女なども、心変わりしてしまった所なのであった)――

花散里の巻  おわり。



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【須磨(すま)】の巻  その(1)

 源氏 26歳3月~27歳3月
 紫の上 18歳
 夕霧 5歳

 源氏は、ますますご自分に具合の悪いことばかりが重なるので、
「せめて知らず顔にあり経ても、これよりまさる事もやと思しなりぬ。」
――強いて平気を装ってはいても、もっと悪いことがおこりはしないかとお思いになります――
須磨というところは、以前は貴人の別荘が立ち並んでいたらしいが、今は人里離れて寂しい所のようだ。京からも離れすぎている……と人聞きの悪いほど悩まれます。

「憂きものと思ひ棄てつる世も、今はと住み離れなむ事を思すには、いと棄て難きこと多かる中にも、姫君の明け暮れにそへては思ひ嘆き給へるさまの、心苦しうあはれなるを、……」
――つらい思って棄ててしまった世間でも、さて今こそここを離れようと思うには、あまりにも棄てがたい事が多いものです。とりわけ紫の上とは、一、二日離れていても、心細く思っていらっしゃるご様子には心を痛めておいでです。――

 源氏の悩み

 無情な世では、少しの別れと思っても、そのまま死別ということもあるので、こっそりと紫の上をお連れしようか。しかし須磨のような波風の他は訪れる人もなさそうな所へは、不似合いの上、自分自身にも何かと物思いの種となりそうだ。

 紫の上は「いみじからむ道にも、後れ聞えずだにあらば、……」
 ――たとえ死出の旅路でも、お伴さえできますれば、と、心の内を示されて、恨めしげに思われました――

◆ 寝殿造二条院の想定図

 公卿と呼ばれる上級貴族の典型的な寝殿造。敷地は一町(約120m四方、面積
 14,400平方m)、寝殿と東西の対および中門を備える。光源氏は東対、紫上は西対 に住んだ。そのほか念誦堂(ねんずどう)、御倉(みくら)、下屋(しものや) と呼ぶ雑舎(ぞうしゃ)があった。
 写真は風俗博物館より

ではまた


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