永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(151)

2016年11月23日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (151)  2016.11.23

「十六日、雨の脚いと心ぼそし。
明くれば、この寝るほどにこまやかなる文みゆ。『今日は方ふたがりたりければなん。いかがせん。』などあべし。返りごとものして、とばかりあれば、みづからなり。日も暮れがたなるを、あやしと思ひけんかし。夜にいりて『いかに、御幣をやたてまつらまし』など、やすらひのけしきあれど、『いと用ないことなり』など、そそのかし出だす。あゆみいづるほどに、あいなう『夜数にはしもせじとす』としのびやかに言ふを聞き、『さらばいとかひなからん。異夜はありと、かならず今宵は』とあり。それもしるく、その後おぼつかなくて、八九日ばかりになりぬ。」

◆◆(二月)十六日、雨脚がとても心細い。夜が明けると、私がまだ寝ているころに、あの人から心細やかな手紙がきました。「今日はそちらへの方角が塞がったので、どうしたらよいだろう」などとあったっけ。返事を出してしばらくすると、ご本人がやってきました。日も暮れ方なのに、どうも私はおかしいと思ったことでした。夜になって、「どうしよう。幣帛(へいはく)を天一の神様に奉って泊まるお許しを得ようか」などと、帰りを渋っている様子であるけれど、「そんなことをしても何にもなりませんよ」といって、送り出しました。部屋を出て行くときに私がつい、「今夜は訪れの数には入れないでおきましょう」と
そっと言うのを聞きつけて、「それでは、禁忌を犯して来た甲斐がないというものだ、他の夜はとにかく、今夜は是非とも」などと言いました。それもそのとおり案の定その後は音沙汰なくて、八、九日ばかり経ってしまったのでした。◆◆


「かく思ひ置きて、『数には』とありしなりけりと思ひあまりて、たまさかにこれよりものしけること、
<片時にかへし夜数をかぞふれば鴫のもろ羽もたゆしとぞ鳴く>
返りごと、
<いかなれや鴫の羽がきかずしらず思ふかひなき声に鳴くらん>
とはありけれど、おどろかしくてもくやしげなるほどをなん、いかなるにかと思ひける。
このごろ、庭もはらに花ふりしきて、海ともなりなんと見えたり。
今日は廿七日、雨昨日のゆふべよりくだり、風残りの花を払ふ。」

◆◆当分来ないつもりで「夜数に入れよ」と言ったのかと思うと黙っていられなくて、めずらしくこちらから送った歌は、
(道綱母の歌)「短い時間の訪れと引き換えに、あなたが来なくなった夜の数は、鴫(しぎ)が両羽を搔いて数えても悲鳴をあげるほど多い。私は数多い夜離れに泣くばかりです。」
返事には、
(兼家の歌)「どうしてだろう、鴫の羽搔きのようにいつもいつも思っている。その甲斐も泣くあなたが泣いているというのは」
と言って寄こしたけれど、このように自分から送った歌に却って後悔するような羽目になるなんて、どうしてこんなことになるのかと思うのでした。
今日は二十七日、雨が昨日の夕べから降り続いていて、風が枝に残っていた花を拭き払ってしまうのでした。◆◆



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