永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(82)

2015年11月25日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (82) 2015.11.25


「かくて四月になりぬ。十日よりしも、また五月十日ばかりまで、『いとあやしくなやましき心地になんある』とて、例のやうにもあらで、七八日のほどにて、『念じてなん、おぼつかなさに』などいひて、『夜のほどにてもあれば。かくくるしうてなん、内裏へもまゐらねば、かくありきけりと見えんも、便なかるべし』とて帰りなどせし人、おこたりてと聞くに、待つほど過ぐる心地す。あやしと、人知れずこよひをこころみんと思ふほどに、はては消息だになくて久しくなりぬ。」
◆◆こうして四月になりました。その十日ごろから、またまた五月十日ごろまで、あの人は「どうも妙に気分がすぐれない」といって、例のような間隔での訪れがなく、七・八日ばかりして、
「苦しいのを我慢して来たのだよ。気がかりなので」と言って、「夜の間だから来てみたんだよ。こう苦しくてはたまらない。宮中にも参内していないのに、出歩いていているのを人に見られては具合が悪いし」といって帰って行ったのですが、その後病が治ったと聞きましたが、来るはずの日に来ないのでどうしたのかと思って、ひそかに今夜こそはと様子を見ようと思っているうちに、何の消息も手紙すらなくて、そのまま日が過ぎていきました。◆◆


「めづらかにあやしと思へど、つれなしをつくりわたるに、夜は世界の車の声に胸うちつぶれつつ、ときどきは寝入りて、明けにけるはと思ふにぞ、ましてあさましき。
◆◆これは変だ、どうも腑に落ちないことだと思いながらも、私は平静を装ってはいるものの、夜になって、世間では車の音がして、もしかしたらわが家にと、心をどきどきさせ、時にはうとうとと寝込んでしまったりして、そのまま夜が明けてしまったと思うにつけ、いまいましい気分になるのでした。◆◆


「をさなき人かよひつつ聞けど、さるはなでふこともなかりけり。いかにぞとだに問ひふれざりき。ましてこれよりは、なにせんにかはあやしともものせんと思ひつつ暮らし明かして、格子など上ぐるに、見出したれば、夜、雨の降りけるけしきにて、木ども露かかりたり。みるままにおぼゆるやう。
<夜のうちは松にも露はかかりけり明くれば消ゆるものをこそ思へ>
◆◆わが子道綱が本邸に通う度にあの人の様子などを聞いて見ますが、特に変わったこともないようでした。その上私の様子を聞いてみるということもないようでした。まして、こちらから、
「何か様子がおかしいですね」などと訊ねられましょう。こんなふうに日々を過ごしているときに、格子戸を上げてみると、夜のうちに雨が降ったと見えて、木々に露がかかっていました。見たまま思い浮かんだのは、
(道綱母の歌)「夜の間は夫を待つことで露ほどの私の命をつないできましたが、訪れのないまま夜が明ければ、その命も消えそうに私は辛い」◆◆


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。