永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(152)

2016年11月26日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (152)  2016.11.26

「三月になりぬ。木の芽、雀隠れになりて、祭りのころおぼえて、榊、笛恋ひしう、いとものあはれなるにそへても、音なきことをなほおどろかしけるもくやしう、例の絶えまよりも安からずおぼえけんは、なにの心にかありけん。」

◆◆三月になりました。木の芽が繁って、雀が隠れるほどになり、賀茂の祭りの頃の時候で、榊や笛の音がなつかしくしのばれて、感傷的な気持ちになるにそえて、あの人からは何も音沙汰がないのに、こちらから歌を送ったりしたこともいまいましく、いつもの絶え間よりも落着いていられないのは、どういう心持ちだったのでしょう。◆◆



「この月七日になりにけり。今日ぞ『これ縫ひて。慎むことありてなん』とある。めづらしげもなければ、『給はりぬ』など、つれなうものしけり。昼つ方より、雨のどかにはじめたり。」

◆◆そしてこの月も七日になってしまいました。今日、「これを縫ってほしい。慎むことがあって伺えないが」と言ってきました。こういうことは珍しくもないことなので、「いただきました」などと、つれなく返事をしました。昼ごろから雨がのどかに降り始めました。◆◆



「十日、朝廷は八幡の祭りのこととののしる。我は、人のまうづめるところあめるに、いとしのびて出でたるに、昼つ方帰りたれば、あるじの若き人々、『いかでもの見ん。まだ渡らざなり』とあれば、帰りたる車もやがて出だし立つ。」

◆◆十日、朝廷は石清水の臨時の祭りのことで大騒ぎです。私は、知人が物詣をするようなので、いっしょにごくこっそりと出かけたのですが、昼ごろ帰ってくると、留守居の主人役をしていた若い人(道綱と養女)が、「行列を是非見たい。まだ通らないそうです」と言うので、帰ってきた車もそのまま出させました。◆◆



「又の日、かへさ見んと人々のさわぐにも、心ちいと悪しうて臥し暮らさるれば、見ん心ちなきに、こらかれそそのかせば、ただ檳榔ひとつに四人ばかり乗りて出でたり。冷泉院の御門の北のかたにたてり。こと人おほくも見ざりければ、人ごこちして立てれば、とばかりありて渡る人、わが思ふべき人も陪従ひとり、舞人にひとりまじりたり。
このごろ、ことなることなし。」

◆◆翌日は、還り立ちの行列を見ようと、人々が騒いでいるけれども、私は気分がすぐれず横になっていて、見物に出かけるつもりもなかったのに、周りのだれかれが勧めるので、ただ檳榔毛の車一台に四人ほど乗って出かけました。車を冷泉院の御門の北側に止めました。それほど人も多くなかったので、気分も平常にもどって、そこに止まっていると、しばらくして行列が来て、私が目をかけているいる人も陪従(べいじゅう)に一人、舞人に一人混じっていました。このところ、別に変わったことはなくすぎている◆◆



■雀隠れ=美しい言葉である。雀の姿がかくれるくらいに木の葉などが繁ることをいう。

■祭りのころ=賀茂の祭り。四月、中の酉の日におこなわれる。この年の賀茂祭は十七日が斎院の禊、二十日が祭日であった。たまたまこの年閏二月があったので、三月になると四月ごろの季節感があったのであろう。

■八幡の祭り=石清水八幡宮の臨時祭

■あるじの若き人々=道綱と養女

■かへさ=八幡からの帰りの行列。

■檳榔(びろう)=檳榔毛の車の略。びろう(やし科の亜熱帯性高木)の葉を細かく割いて糸のようにし、車の箱の屋根をふき、左右の側にも押し付けたもの。上皇、親王、大臣以下、公卿、女官、僧侶、また相当な身分の女子なども用いる。


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