永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(150)

2016年11月20日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (150) 2016.11.20

「十日、賀茂へまうず。『しのびてもろともに』といふ人あれば、『なにかは』とて詣でたり。いつもめづらしき心ちするところなれば、今日も心ばはる心ちす。田墾しなどするも、かうしひけるはと見ゆ。紫野どほりに北野にものすれば、沢にもの摘む女、わらはべなどもあり。うちつけに、ゑぐ摘むかとおもへば、裳裾おもひやられけり。船岡うちめぐりなどするも、いとをかし。」

◆◆十日、賀茂の神社にお参りをしました。「こっそりとご一緒にいかが」と誘う人があったので、「参りましょう」といって参詣しました。いつも清新な感じのするところなので、今日も心がのびやかになる。田を耕している人もよくこのように無理をして働いているものよと見たりして、紫野を通って、北野に行くと、沢で何かを摘んでいる女や子どもがいます。見た瞬間に、えぐを摘んでいるのかと思うと、裳裾がさぞかし濡れることだろうと思いやられます。船岡山を回ったりするのもたいそう面白かった。◆◆



「暗う家に帰りて、うち寝たるほどに、門いちはやくたたく。胸うちづぶれてさめたれば、思ひのほかにさなりけり。心の鬼は、もし、ここ近きところに障りありて、返されてにやあらんと思ふに、人はさりげなけれど、うちとけずこそ思ひ明かしけれ。つとめて、すこし日たけて帰る。さて五六にちばかりあり。」

◆◆暗くなって家に帰ってぐっすり寝ているところへ、門をひどくうち叩く音がします。びっくりして目をさますと、なんとあの人でした。疑心暗鬼にもしかして、近くの女に差し障りがあって返されてきたのかしらと思ったので、あの人はそんなそぶりは見せなかったけれど、私は打ち解けずに夜を明かしたのでした。翌朝、すこし日が登ってから帰り、そのまま、五、六日ほど経ってしまったのでした。◆◆

■しひけるは=体が麻痺するほどの重労働をする意。


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