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永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(193)

2008年10月17日 | Weblog
10/17  193回 

【乙女(おとめ)】の巻】  その(3)

さらに続けて、

「時移り、さるべき人に立ち後れて、世おとろふる末には、人に軽めあなづらるるに、かかり所なき事になむ侍る。なほ才を本としてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強う侍らめ。(……)」
――時代が変わり、力と頼む人に死なれて、晩年には人に軽蔑されるにつけても、頼りどころも無いということになります。やはり学問を基礎にしてこそ、持前の大和魂(やまとだましい)も立派に世間に役立つというものでしょう。(さしあたっては、心元ないでしょうが、将来、国の重鎮となれますような教養を、今のうちに身につけさせておきますならば、私の亡くなりました後も安心であろうと存じます。私が付いておりますうちは、大学寮の貧乏書生などと、蔑むものはおりますまいと存じまして)――

 大宮は、なるほどそこまでお考えならばとお思いになりますが、嘆息なさって、夕霧が子供心にひどく口惜しそうにしていらっしゃるご様子を申し上げますと、源氏はお笑いになりながら、「ひどく生意気に不平を言ったものですね。あの年頃では無理もないでしょうが、学問をして少しものの見方が変われば、そのような怨みは自然消えていくでしょう」とおっしゃる。

「字つくることは、東の院にてし給ふ。」
――儒者となるものの通称をつける儀式の「字(あざな)」は、二条院の東院で行われます。――

 普通、大臣邸で行われることはないので、珍しくゆかしいことと思って、上達部、殿上人が、めったにない儀式を見たいと集まっています。式を司る博士たちも気後れしているに違いありません。
 源氏は、「身分に対して遠慮することなく、いつもの通りに容赦なく厳格に執り行うように」と仰っられますので、儒者(教官)たちは、しいて何気なく装ってはいるものの、借り物の衣装が身に付かず、不格好なのも構わず、それでも顔つきや言葉つきをもっともらしくしながら、ずらりと居並んでおります。まことに見慣れぬ儀式の模様です。

ではまた。


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