2012. 2/19 1072
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(43)
「額つきまみの薫りたる心地して、いとおほどかなるあてさは、ただそれとのみ思い出でらるれば、絵はことに目もとどめ給はで、いとあはれなる人の容貌かな、いかでかうしもありけるにかあらむ、故宮にいとよく似たてまつりたるなめりかし」
――(浮舟の)額のあたりや目もとがほんのり匂っているようで、たいそうおっとりとした高貴さは、大君にそっくりそのままに思い出されますので、中の君は絵の方はろくろく御覧にならず、まあ、なんとなつかしい顔かたちであろう、どうしてこうまで似たのかしら、故父宮にたいそうよく似ていらっしゃるようだこと――
そして、
「故姫君は宮の御方ざまに、われは母上に似たてまつりたり、とこそは、古人ども言ふなりしか、げに似たる人はいみじきものなりけり、と、おぼしくらぶるに、涙ぐみて見給ふ」
――姉君は父宮似で、私は母上に似ていると、老女たちが言っていたようでしたが、たしかに似ているというのは、なつかしいものだこと、と、心の中で思い較べながら涙ぐんで見ておいでになります――
「かれは、限りなくあてにけだかきものから、なつかしうなよよかに、かたはなるまで、なよなよとたわみたくさまのし給へりしにこそ、これは、またもてなしのうひうひしげによろづの事をつつましうのみ思ひたるけにや、見どころ多かるなまめかしさぞおとりたる、ゆゑゆゑしきけはひだにもてつけたらば、大将の見給はむにも、さらにかたはなるまじ、など、このかみ心に思ひあつかはれ給ふ」
――亡き姉君は限りなく上品で気高くて、それでいて人なつかしく、優しくて、危ういほどになよやかでいらっしゃった。こちらの浮舟は、物腰もまだ初々しく、何につけても恥かしくばかりに思っているせいか、見た目では優雅さが劣っていますものの、せめて重々しい感じを添えたならば、薫大将がお逢いになっても、決して見ぐるしいことはありますまい、などと、中の君は姉君らしいお心で思案されるのでした――
お二人はお話などなさって、明け方になってお寝みになりました。
「かたはらに臥せ給ひて、故宮の御ことども、年ごろおはせし御ありさまなど、まほならねど語り給ふ。いとゆかしう、見たてまつらずなりにけるを、いとくちをしう悲し、と思ひたり」
――中の君は、御自分の側に浮舟をお寝かしになって、故父宮の御事や、御在世中のご様子などを、思い出されるままにお話になります。浮舟は、ひとしお心惹かれてなつかしく、とうとうお目にかかれなかったことを口惜しくかなしく思うのでした――
「昨夜の心知りに人々は、『いかなりつらむかな。いとらうたげなる御さまを、いみじうおぼすとも、かひあるべきことかは。いとほし』と言へば、右近ぞ、『さもあらじ。かの御乳母の、引きすゑて、すずろに語り憂へしけしき、もて離れてぞ言ひし。宮も、逢ひても逢はぬやうなる心ばへにこそ、うちそぶき口ずさび給ひしか。いさや、ことさらにもやあらむ。そは知らずかし。昨夜の火影のいとおほどかなりしも、事あり顔には見え給はざりしを』など、うちささめきて、いとほしがる」
――昨夜の経緯をよく知って知る人々は、「どうだったのでしょうか。たいそう可愛いいお方ではありますが、上(中の君)が、いくら大事になさっても、宮様とああなってしまっては、その甲斐があるでしょうか。お気の毒に」と言うと、右近が『そんなこともなかったでしょう。あの方の乳母が、私をつかまえて、とりとめもなく愚痴をこぼした様子では、お二人は何の関係もないような口ぶりでしたよ。匂宮も、逢っても逢わなかったような気がする、という古歌を吟誦なさいましたよ。それはまあ、わざと反対のことを言われたのかも知れません。そこまでは分かりませんが、昨夜の灯影でお見受けしたお姿の、姫君(浮舟)の大そう落ちついておおようでいらっしゃったのは、事あり顔にはお見えになりませんでしたよ』などと、ひそひそ囁きあって気の毒がっています――
◆あてさ=貴さ=身分が高い、高貴
◆逢ひても逢はぬ=古歌「臥すほどもなくて明けぬる夏の夜は逢ひても逢はぬ心地こそすれ」
では2/21に。
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(43)
「額つきまみの薫りたる心地して、いとおほどかなるあてさは、ただそれとのみ思い出でらるれば、絵はことに目もとどめ給はで、いとあはれなる人の容貌かな、いかでかうしもありけるにかあらむ、故宮にいとよく似たてまつりたるなめりかし」
――(浮舟の)額のあたりや目もとがほんのり匂っているようで、たいそうおっとりとした高貴さは、大君にそっくりそのままに思い出されますので、中の君は絵の方はろくろく御覧にならず、まあ、なんとなつかしい顔かたちであろう、どうしてこうまで似たのかしら、故父宮にたいそうよく似ていらっしゃるようだこと――
そして、
「故姫君は宮の御方ざまに、われは母上に似たてまつりたり、とこそは、古人ども言ふなりしか、げに似たる人はいみじきものなりけり、と、おぼしくらぶるに、涙ぐみて見給ふ」
――姉君は父宮似で、私は母上に似ていると、老女たちが言っていたようでしたが、たしかに似ているというのは、なつかしいものだこと、と、心の中で思い較べながら涙ぐんで見ておいでになります――
「かれは、限りなくあてにけだかきものから、なつかしうなよよかに、かたはなるまで、なよなよとたわみたくさまのし給へりしにこそ、これは、またもてなしのうひうひしげによろづの事をつつましうのみ思ひたるけにや、見どころ多かるなまめかしさぞおとりたる、ゆゑゆゑしきけはひだにもてつけたらば、大将の見給はむにも、さらにかたはなるまじ、など、このかみ心に思ひあつかはれ給ふ」
――亡き姉君は限りなく上品で気高くて、それでいて人なつかしく、優しくて、危ういほどになよやかでいらっしゃった。こちらの浮舟は、物腰もまだ初々しく、何につけても恥かしくばかりに思っているせいか、見た目では優雅さが劣っていますものの、せめて重々しい感じを添えたならば、薫大将がお逢いになっても、決して見ぐるしいことはありますまい、などと、中の君は姉君らしいお心で思案されるのでした――
お二人はお話などなさって、明け方になってお寝みになりました。
「かたはらに臥せ給ひて、故宮の御ことども、年ごろおはせし御ありさまなど、まほならねど語り給ふ。いとゆかしう、見たてまつらずなりにけるを、いとくちをしう悲し、と思ひたり」
――中の君は、御自分の側に浮舟をお寝かしになって、故父宮の御事や、御在世中のご様子などを、思い出されるままにお話になります。浮舟は、ひとしお心惹かれてなつかしく、とうとうお目にかかれなかったことを口惜しくかなしく思うのでした――
「昨夜の心知りに人々は、『いかなりつらむかな。いとらうたげなる御さまを、いみじうおぼすとも、かひあるべきことかは。いとほし』と言へば、右近ぞ、『さもあらじ。かの御乳母の、引きすゑて、すずろに語り憂へしけしき、もて離れてぞ言ひし。宮も、逢ひても逢はぬやうなる心ばへにこそ、うちそぶき口ずさび給ひしか。いさや、ことさらにもやあらむ。そは知らずかし。昨夜の火影のいとおほどかなりしも、事あり顔には見え給はざりしを』など、うちささめきて、いとほしがる」
――昨夜の経緯をよく知って知る人々は、「どうだったのでしょうか。たいそう可愛いいお方ではありますが、上(中の君)が、いくら大事になさっても、宮様とああなってしまっては、その甲斐があるでしょうか。お気の毒に」と言うと、右近が『そんなこともなかったでしょう。あの方の乳母が、私をつかまえて、とりとめもなく愚痴をこぼした様子では、お二人は何の関係もないような口ぶりでしたよ。匂宮も、逢っても逢わなかったような気がする、という古歌を吟誦なさいましたよ。それはまあ、わざと反対のことを言われたのかも知れません。そこまでは分かりませんが、昨夜の灯影でお見受けしたお姿の、姫君(浮舟)の大そう落ちついておおようでいらっしゃったのは、事あり顔にはお見えになりませんでしたよ』などと、ひそひそ囁きあって気の毒がっています――
◆あてさ=貴さ=身分が高い、高貴
◆逢ひても逢はぬ=古歌「臥すほどもなくて明けぬる夏の夜は逢ひても逢はぬ心地こそすれ」
では2/21に。