永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(47)

2008年05月12日 | Weblog
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【葵】の巻 (10)
 
 故葵の上の母君(大宮)は、袖に包んだ玉が砕けたのよりも情けなく、悲嘆のあまりあの日から起き上がることができません。

 源氏はといえば、二条院にもお出でにならず、仏前のお勤めをきちんきちんとされながら、日を送っていらっしゃいます。方々のご婦人へは、文のみとして、ましてや六條御息所には、斎宮という斎(いつき)のことにかこつけて、お便りをなさいません。
何もかも憂いがちに、いっそ出家ができたら…と思うにつけても心をよぎるのは、紫の上の「さうざうしくてものし賜ふらむ有様ぞ」――きっとさびしく過ごしておられる様子では――です。

 念仏を唱える僧たちの明け方などは、源氏は独り寝の寂しさに、寝覚めがちなのでした。

 秋も深まって風の音にもあはれが身に染みて、なれない独り寝に、夜を明かしかねる朝の霧が渡るそのころ、咲き初めた菊の枝に、濃い青鈍(あおにび)色の紙に文をつけて、使いの者が置いていきます。見れば、六條御息所の筆跡です。
うた「人の世をあはれときくも露けきにおくるる袖を思ひこそやれ」「ただ今の空に思ひ給へあまりてなむ」
――奥様のご逝去をお気の毒に伺うにつけても涙が出ますのに、あとにお残りのあなたのお嘆きはさぞかしと拝察いたします。――ただ、今のもの哀れな空に思いあまりまして、こんなお便りを――

 源氏は、常よりも優雅な筆跡の文であると関心もし、捨て置けずお読みになるものの
「つれなの御とぶらひや、と心憂し」
――なんだ、自分で祟り殺しておきながら、知らぬ振りの御弔問よ、と、恨めしい――

あの生霊にあれほど嫌な思いがしたのは、自分の心のどこかに御息所を疎んじる気持ちがあればこそともお思いになるのでした。
とはいうものの、これきりお尋ね申さぬのも、六條御息所のお名を汚すことになると思い直されて、お返事をなさいます。

文はこのような内容でした。
「ひどくご無沙汰をいたしましたが、喪中のことなのでとお察しくださると思いまして。残るわが身も亡くなった妻も無常の世の中のこと故、この世に執着するのはつまらないことです。(私への執着をお忘れください…か)喪中の文はお読みになるまいと存じまして、
こちらからはご遠慮しておりました」

◆写真 喪中の服装  風俗博物館より

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